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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シンレイタイケン,シ
1995年 福島県
早朝2階の部屋のドアがガタガタ鳴った。この時刻に叔父が倒れたという。朝起きて2階の部屋に入ると窓ガラスが割れていた。この時刻に叔父が死亡したという。旅先でコップを割った時刻には恩師が亡くなっていた。

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ナマクビ
1986年 東京都
1階のしゃくなげの部屋の窓から生首が見える。
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ヤナリ
1959年 福井県
ある人の奥さんが実家で亡くなった時、婚家で家鳴りがした。明け方、知らせが着て知ったが、亡くなった時刻と家鳴りの時刻が同じだった。
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ナママブリ
1981年 鹿児島県
夜中に帰宅する叔父と私の2人が、叔父の家の門口で女の人の姿を見た。その女の人をはさむように2人で歩いていったが、途中で見えなくなった。それからしばらく忘れていたが、五日ほどして叔父の妻が死んだ。あの女はマブリだったのだ。
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(バケモノ)
1981年 東京都
ある時、雪飛という人物が与力の桐淵という者の家に行ったところ、その家の下女が真っ青な顔をして2階から下りてきた。下女が言うには化物が2階から落ちてきたという。雪飛がこわごわ2階に上がると、鏡台がおいてあり、この鏡に何らかの化物が映ったのだろうという。
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タナババ
1956年
棚にいる恐ろしい婆。タナとは養蚕などに使う三階部屋のこと。
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ヒバシラ
1938年 長野県
夜9時頃、窓ガラス越しに「ブラ提灯」そっくりな2尺くらいの長さの火がぱっと映った。同僚たちもこの火を見た。たちまち消えてしまったが、3日後、同時刻に半里ほど先で火事が起こった。これが火柱なのか、よく分からない。10年ほど前の話である。
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キョウフウ
1999年 栃木県
夜寝ていたら、部屋のドアがすごい勢いで開いた。強風が吹いて、部屋に置いてあった物がぐちゃぐちゃになってしまった。
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(シノヨチョウ)
1935年
話者の体験談。叔父がハワイからの帰途汽船の中で死んだ。話者と両親、祖母とが話していると「ごめん」と言ってニハグチ(入り口)の障子に触った者がいた。また、叔父の弟は銚子沖の船中で、暗夜に大時化の中を船が行くのを見た。叔父が死んだのも同じ銚子沖の時化の時だった。
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ヒノタマ,ヒトダマ
1959年
南九州の農村である子供が病気の叔父を気にかけて、その丘向こうの家の方を見ていると赤い火が闇の中に見えた。だんだん大きくなり子供の家の大木の梢に止まって明るく光り消えた。しばらく後叔父の死が伝えられた。
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カタテバラミムラ
1931年 兵庫県
ある娘が叔父と若衆と共に伊勢参りに行っていた。宿では若衆のいたずらを避けるため、叔父は娘の腹の上に手を乗せ、用心して寝ていたにもかかわらず、娘は妊娠してしまった。産まれた子供は片手一本しかなかったという。
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オオカミ,ニワトリ
1989年 山梨県
旅人が狼を切りそこなった。宿で「狼を切り殺したので復讐に来るかもしれない。2階へ寝かせてくれ」といい、2階で鶏の掘りのもののある刀を用意して寝ていた。すると狼が来て犬梯子で一匹また一匹と乗るようにして2階を狙うので「一匹づつでも切ってやろう」と思うと、目釘のそばの鶏が「コケコッコウ」と鳴き、狼は夜が明けたと思い逃げた。
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タッチャエモト
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
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イチクレ
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
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オモアンドキ
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
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マジマジゴロ
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
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シケシケ
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
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メソメソジブン
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
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タヌキ
1937年 大阪府
時刻を告げる太鼓の音を真似て、人の時間の感覚を狂わせる狸がいた。
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ユウレイ
1935年 新潟県
2階にあった額が、突然落ちた。そのときに、愛娘が亡くなったということを聞いた。
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カネガミサン
1962年 徳島県
2階から小便をすると金神さんに祟られる。
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ネコ
1987年 岐阜県
猫が二階で手をまねくと、死んだ人もそうしたという。
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