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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

キョウフウ
1999年 栃木県
夜寝ていたら、部屋のドアがすごい勢いで開いた。強風が吹いて、部屋に置いてあった物がぐちゃぐちゃになってしまった。

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テンジョウカラタレテクルチ
1986年 東京都
林間学校で、りんどうの部屋に寝ると、天井から血が垂れてくる。昔、女の人がこの部屋で死んだという。
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カラダガウク
1999年 栃木県
自分が寝ていたら、急に自分の体が浮いていて、目を開けると目の前が部屋の天井だった。少したつと、すごく高い所から落ちるように、自分の体が落ちた。以前はこういうことがよくあった。
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ギンナン
1999年 栃木県
自分の部屋にいたとき、いきなり銀杏を投げつけられた。
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バケヘビ,ダイジャ
1971年 福島県
蛇がきれいな男に化けて娘と遊んだが、時間が来ると決してこの部屋はのぞくなという部屋があった。それを娘の親が見てしまった。すると男はものすごい大蛇みたいになっていた。娘は大蛇の胴で締められて殺されてしまった。
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オタフク
1933年 京都府
色々な物が置いてある部屋に寝ていると小さなお多福が天井に浮かんでくる。そして、それが次第に大きくなって天井一杯になる。このような怪談は大茶屋に付き物であるが、実際に見たという人は聞いたことがない。
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シンレイタイケン,シ
1995年 福島県
早朝2階の部屋のドアがガタガタ鳴った。この時刻に叔父が倒れたという。朝起きて2階の部屋に入ると窓ガラスが割れていた。この時刻に叔父が死亡したという。旅先でコップを割った時刻には恩師が亡くなっていた。
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ミルナノザシキ
1971年 山形県
男が禁を破って、見てはならない座敷に入っていく。第1の部屋は正月、次の部屋は2月の初午、次が3月の雛祭り、5月は田植え、6月は田の草取り、7月は盆踊り、9月は稲刈り、10月は脱穀。最後の見てはならない部屋に入ると、そこは12月の猛烈な吹雪で、男は吹雪どりに遭って死んでしまう。
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オオボウズ,コボウズ
1932年 静岡県
ある宿屋の下の部屋は陰気で、壁に大坊主と小坊主の姿をした雨じみがあった。夜が更けると、閉めたはずの表の格子戸の開く音がして、手で砂を払う音とともに、大坊主小坊主が抜け出てきた。それは上の部屋にも上がってきて、寝ていた男に手を引っ張るぞと囁き、ずるずると床の間へ引っ張っていった。
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ネコ,シニン
1977年 青森県
遺体が置いてある部屋に猫を入れてはいけない。猫の魂が入ると死人が再生するので。
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ハッコツノショウネン,アカズノトイレ
1999年 栃木県
学校の開かずのトイレは、夜には戸が開いている。けれども中に入ると閉じて開かなくなってしまう。中には白骨の少年がいるという。
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ヒトノケハイ
1992年 山形県
1人で留守番していると、だれもいない部屋なのに人の気配がする。
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ミブルイ
1988年 群馬県
役場の村長室のドアを開けると「ゾクッ」と身震いが出た。その部屋の隣に引き取り手のない、御巣鷹の屋根で亡くなられた人の遺骨が安置されていた。
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バシャノオト
1986年 東京都
りんどうの間に寝ていると馬車の音が聞こえてくる。昔、この部屋で寝た女の子が二段ベッドの上から落ちて死んだのだという。
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ユウレイ
1937年 新潟県
勝手方を任されていた老女が死んだ。それ以降、器具部屋では皿を整理する音がするようになった。恐ろしくて近づけなかったが、部屋に後任を配置するというと、音は止んだ。
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ユウレイ,(ゾクシン)
1940年 秋田県
人を吹くと幽霊に吹かれる。
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(ゾクシン),ネコ
1933年 茨城県
死人の部屋に猫を入れておくと、死人が蘇生する。
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(ゾクシン)
1978年 石川県
産育に関する俗信。妊娠中に水を飲むとお産が苦しくなると言って水を飲まなかったという。お産の時は部屋を綺麗に掃除しておかないと汚い子が産まれるので、部屋を綺麗にしたという、など。
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ムチ
1942年 高知県
田の上を鞭を振り回すような強い勢いで風が吹いていくもの。これに当たると悪い病気になると言われる。
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レイ
1999年 栃木県
ドアを少し開けたまま眠ると、隙間から幽霊が入ってくる。
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ネテイルホウコウガシゼントカワル
1992年 山形県
夜寝ていると、何時の間にか寝ている方向が変わっている。
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ヒラカザルマ
1974年 滋賀県
延暦寺に竹林院という坊があり、そこに児かやと言う開かない部屋があった。宝暦7年に行われた法花会の時に、この坊に宿泊した権右中弁敬明が自分の家人にこの部屋を開けさせてみたが、中は暗く、何もなかった。家人はただ冷気を感じてたちまち病気となり、家に帰るとそのまま死んでしまったという。敬明も数月後に死んでしまった。
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