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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ダイジャ
1982年 群馬県
千代田村の大沼の大蛇が毎年人身御供を取るので、都から来た藤原長良に退治を願った。長良は弓の名人の御殿女中のおさよ殿(さいぞう様ともいう)を連れ、大蛇の目を射潰して刀で刺し殺した。大蛇の屍骸は18に切って、頭は千代田村瀬戸井に祀り、他は邑楽郡各地に祀った。邑楽郡に長良社が18あるのはそのため。

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ダイジャ
1982年 群馬県
藤原長良が大蛇を退治して、蛇体を8つに切って分けて祀ったので、邑楽郡には長良(ながら)神社が8社ある。
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マサカド,クビ
1995年 東京都
東京都千代田区九段にある津久戸明神は、矢を射られた将門の首が落下した所だと言われている。
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ダイジャ
1986年 長崎県
吉田浦の蛇瀬の大蛇がいて、磯に来るものに害をなした。応永の頃、宗総左衛門澄茂という武士が大蛇を弓で射て退治した。土地の人は澄茂を軍殿としてこれを祭った。また大蛇が現れた日は3月3日、大蛇にとらわれた子は村一番の旧家の娘、大蛇を射る際に藁人形を形代として大蛇をひるませたとも言う。
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ダイジャ
1941年 大阪府
昔、池に大蛇が棲んでいて、毎年村の娘が人身御供の犠牲になっていた。これを見かねた村の男が、神仏の加護を味方に付けて、大蛇を退治した。それ以後、人身御供の犠牲者は出なくなった。
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ダイジャ
1937年 愛知県
大蛇を見た者が病気になって死んでしまった。他にも大蛇が目撃された所があり、あるいは同じ大蛇なのかもしれない。
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ダイジャ
1972年 静岡県
奥伊豆に人を喰らう大蛇がいた。甲州から弓の名人が退治しに来たが返り討ちにあう。遺された双子の娘は弓術に精進し、観音から授かった弓矢で大蛇の目を射て本懐を遂げる。その後里人は大蛇の祟りを恐れ一宇を建てた。これが蛇骨寺の由来である。
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ダイジャ
1995年 香川県
百々淵には古くから大蛇が住んでいた。弓の名人別子八郎はお殿様から大蛇退治を命じられた。八郎は観世音菩薩に願をかけて退治に出向いたが、大蛇は釣り鐘をかぶっていたため、矢が大蛇の体を通らない。一瞬の隙を見て最後の矢を放つと当たり、大蛇は立ち去った。その日から一昼夜大雨が降った。
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チヨダイナリジンジャ
1935年 東京都
千代田稲荷神社は、霊験奇瑞が頗る多いという。火難よけの神様として近隣の信仰を集めているという。
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ダイジャ
1933年 香川県
弓の名人が大蛇退治に行ったとき、娘が来て、母が死んだから早く帰れといった。不審に思ったが、急いで帰ると、そんな様子はなく、娘も覚えがないという。次の日、また同じ事が起こったので、今度は耳を傾けずに大蛇を退治した。
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〔イノクマ〕,ダイジャ
1964年 福島県
伊達郡・信夫郡は昔は大きな湖で、七頭の大蛇が主であり、3年に1度人身御供をとっていた。あるとき玄熊が現れて大蛇と7日7夜の噛みあいをして、大蛇が負けた。大蛇は人身御供をしていればおとなしかったが、玄熊は手に負えないので、日本武尊に退治を願った。日本武尊は掘割を作って湖水を抜き、玄熊を射殺した。
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オニ
1957年 兵庫県
養父郡の吉井部落では、正月のぞうには臓腑煮であると伝えられている。昔、鬼が正月の御馳走に毎年1人ずつ取って食ったことの真似であるという。美方郡の奈良尾・熱田の部落でも、ぞうには死んだ者の腸だと言っている。
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マサカド,クビ
1995年 東京都
東京都千代田区大手町の将門塚は、梟首されて落ちた将門の首を葬った所だと言われている。
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ダイジャ
1963年 茨城県
岩穴に大蛇がいて人が通れないので大勢が退治にきた。泉で水を飲み、沢に入ると人がいた。大蛇退治の意図を語ると指差して消えた。指差した方に大蛇がいたので皆で矢を射ると、大蛇の目に刺さって大蛇は沢に迷い込み、そこで死んだ。沢の人は山の神だったという。
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ダイジャ
1961年 静岡県
昔、大蛇が長者が原の方から天城山の池へ通っていた。その当時、尾張の針屋が刀をさしてきた。大蛇がその人を呑もうとすると刀が自然にぬけて大蛇にむかい、針屋は呑まれなかった。それを見ていた人が刀をすりかえたので、その次には呑まれてしまった。針屋の娘が大蛇を退治しに来て、小杉原のアネガクボとイモウトガクボというところで、大蛇を射た。最後の矢が大蛇の目に当たり、蛇は転げて岩にはさまった。その岩はジャガバサミという。また、大蛇の歯と使った矢を伏倉のナカインキョが蔵している。
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ダイジャ
1990年 福島県
沼沢湖に大蛇がいた。蘆名家の家来の佐原十郎義連が退治に行き、大蛇に呑まれたものの刀が刺さったか、兜につけた観音様の威光かで大蛇の腹が裂け、退治することができた。その時ついた地名がキリドオシに蛇ぬき。大蛇の頭か骨を祀ったのが沼御前神社。
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ゴコウ,イワシノアタマ
1973年 三重県
ある家の女中が一寸八分ほどの小さな観音像を祀っていた。あるとき、風呂へ入っているうちに他の女中が観音さんの代わりにいわしの頭を入れておいた。女中がそれを拝むのを見て他の女中は笑っていたが、そうしているうちにいわしの頭に後光がさしたという。
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(ゾクシン),ヘビ
1933年 千葉県
印旛郡川上村、山武郡公平村、千葉郡都賀村では、蛇の半殺しは祟る。
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ダイジャ,ヒトバシラ
2001年 奥州
身売りをして奥州まで下ったさよ姫が大蛇の生贄になる。しかし法華経の功徳によって生贄をまぬがれ、大蛇はさよ姫によって済度される。大蛇は人柱となって川に沈められて死んだ娘で、自分を人柱に選んだ人々に報復しようという執念が彼女を大蛇に変える。さよ姫は大蛇を済度した後、竹生島弁財天して神になる。
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カシャ
1982年 群馬県
カシャが屍骸を取りに来るので、棺が家から出たら母屋のグシもしくは鬼門に向って弓を引いて矢を射る。
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ダイジャ,キツネ
1918年 奈良県
こまのと言う女が結婚を断られた男を追っていくと、淵に映る男の姿を見て池にはまったと早合点して池に飛び込み大蛇となった。大蛇を鎮めるために人身御供をしていた。ある時、人身御供になる娘の母に乳をもらっていた狐が神官に化けて大蛇を退治した。
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カシマジンジャ
1956年 宮城県
天正18年(1590)、大崎氏が滅びたとき、家臣野村刑部が弟民部、妹えもりとともにこの村に土着帰農した。当時村の大沼に怪物が居り、年々人身御供を取っていたのを兄弟で退治し、氏神として鹿島神社を勧請。二代目のとき姓を佐々木と改め、慶長14年(1609)政宗から肝入を命ぜられた。祭礼は9月9日で、同族18家で1年ずつ神主の宮座をつとめてきたが、戦後は全部40数戸で交代に当前をつとめている。
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