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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

キョジン
1993年 三重県
巨人が江州から土を運んだとき、もっこから落ちた土がモッコ山になった。

類似事例(機械学習検索)

データラブチ
1992年 群馬県
昔巨人が榛名富士を作ろうと土を運んでいた途中で夜が明けたので土を掘り出して帰った。その土がひともっこ山である。
類似事例

アマンジャク
1936年 鳥取県
あまのじゃくがモッコに一荷土を運んで来たが、モッコの緒が切れて土がこぼれたので、そのままにして逃げた。それが大路山と雲山にある山にある。
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オトナ
1920年 徳島県
稼勢山という山がある。その昔この辺りに巨人が住んでいて、もっこう(土を運ぶ道具)に土をいれて運んでいると、その綱が切れて土が積まれて山になったという。近くに巨人が米を搗いて、その糠を捨ててできたという小山もある。
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ダイダラボッチ
1992年 静岡県
昔巨人が富士山のような山を千頭に作ろうと土を運んでいた。夜明けが近くなったので土を掘り出して行った。その土が丘となって残っている。また大井川を一跨ぎにして水を飲んだ時の足跡が遠州と駿河にそれぞれ足窪と名づけられ残っている。
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シナイヌマ,ダイダラボウ
1956年 宮城県
ダイダラ坊という巨人が大昔、タンガラに土を入れて運び、七ツ森を造ったとき、土を取った跡が品井沼となったという。
類似事例

(キョジン)
1993年 静岡県
ぼっこ田、ぼっこ山は、昔琵琶湖からボッコ(モッコ)で土を運んで富士山を作ったときにこぼれてできた。
類似事例

ダイジャボウ
1975年 埼玉県
昔、ダイジャボウ、アカボウサマという巨人がいてどこからともなく大きな山を背負ってきて置いたのが富士山になった。これを入れてきたモッコの土が落ちて浅間山になった。浅間山の噴煙は、その時のほこりである。
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カミサマ
1993年 長野県
昔、神様が御岳山を富士山より高くしようとして土を運んだが、最後の1もっこで夜が明けたので、持って来た土を投げ捨てた。それが今の封土。
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キョジン
1939年 香川県
昔、巨人がフゴを担いで讃岐へやって来た。巨人がフゴの土を撒いたりふるったり、草鞋の土を落としたりするとそれが山になり、尿を流すと川になった。
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キョジン,モッコ
1998年 埼玉県
巨人がひとつのモッコに武甲山、ひとつのモッコに宝登山を入れて尾田藤の長尾根を天秤棒にして担いできたが、縄が切れ、モッコが地上に落ちてしまった。武甲山は固い岩だったので残り、こぼした山は宝登山と箕山になった。
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オテングサマ
1982年 群馬県
お天狗様が榛名富士を富士山と同じ高さにしようとして土を上げていたが、一番鶏が鳴いたのでおきっぱなしにしたひともっこ分の土が、ひともっこ山。
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モッコ
1941年 秋田県
秋田には、モッコという妖怪がいるという。
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ナナツモリ,キョジン
1956年 宮城県
モリは東北地方で山のこと。朝比奈三郎という巨人が、今の品井沼の所からタンガラに土を入れて運び、七ツの山を造った。出来上がってからタンガラにくっついていた土をほろき落としてできたのがタンガラ森で、これは七ツ森に入らない。土を掘った跡に水がたまって品井沼となり、土を運んで往復した足跡が吉田川となった。七ツ森の全ての頂上に薬師の石仏を立て、毎年旧暦4月8日に薬師ガケといって一日で巡拝する習わしがある。
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ドクジン,ドコウジン,(ゾクシン)
1972年 岐阜県
土公神さんは土の神様である。春はカマド、夏は井戸、秋はカド(門)、冬は庭(土間)にいるから、そういうところにお茶を捨ててはいけないという。土を取るときは、祟りがないようにお祓いをしてもらうという。
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デーダラブチ
1982年 群馬県
デーダラブチという大男が榛名富士を富士山と同じ高さにしようとして土を上げていたが、一番鶏が鳴いたのでおきっぱなしにしたひともっこ分の土が、ひともっこ山。
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ドチュウノフナ
1974年
文化10年の頃、拝領した植木鉢の土をひっくり返してみると、いささか動くものがあった。何だろうと思って土を洗ってみると鮒だった。3年も水から離れて土のなかに入っていたことになる。
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ヤマンバ
1991年 静岡県
山姥が富士山または竜頭山を作るときに倉木山から土を運んだが、途中で臼を搗く音を聞いて夜明けと勘違いし、土を置いていった。それが浅間山である。
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キョジン,ダイトクボウ
2003年 福島県
昔、大徳坊という巨人がいて、タンガラ(背負籠)で土を運んできて平地にあけた。それが今の信夫山である。タンガラの底に少し残っていた土を捨てたのが今の一杯森(福島市森合)であり、草鞋の裏についた土を払ってできたのが石ヶ森(福島市鎌田)であるという。
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オテングサマ
1982年 群馬県
お天狗様が榛名富士を富士山と同じ高さにしようとして土を上げていたが、一番鶏が鳴いたのでおきっぱなしにしたひともっこ分の土が、ひともっこ山。あれだけの土があがれば、榛名富士は駿河の富士山と同じ高さになれた。
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コウシンヅカ
1934年 東京都
家に入口をつける時に、土を取り除いたが、その土が庚申塚にかかったためか、子どもが肺炎から疫痢になった。お詫びに土止めをしたら、子どもは回復し、命を取りとめた。
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オテングサマ
1982年 群馬県
お天狗様が夜の間に赤城山を作り、榛名山を作った。次は富士山よりでかい山を作ろうと土を上げていたが、一番鶏が鳴いたのでおきっぱなしにした土が、ひともっこ山。お天狗様が残念がって地団駄したところが、ひともっこ山の麓の深く掘れた所。
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