キジムナー 1969年 沖縄県 キジムナーが塩焚きの主人の漁を手伝った。キジムナーは、屁をひったら船ともども沈ませるぞ、と言った。
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オニ 1966年 静岡県 節分の2月3日4日を鬼おどかしという。「鬼は外、福は内」のほかに「隣の婆、婆、屁をひった、しゃらくさい、うーん臭い、まっと臭い、ぷー」と唱える。臭いといって鬼が逃げる。
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(ゾクシン),イタチ 1935年 山口県 いたちに屁をかまされると馬鹿になる、という。
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テングサマ 1956年 静岡県 山では、てんぐ様が怖くないという話はしてはいけない。
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オニ 2001年 顔が真っ赤で角が2本あり、背が7尺もある大きな鬼がいた。鬼はあまりにも大きな屁をブウーッとこいたのでゴロッと死んでしまった。
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ヘッピリヨメゴ 1956年 宮城県 屁っぴり娘が年頃になり嫁にいったが、屁をこらえていたので顔色が悪くなった。心配した姑が話を聞いて、「心配せず屁をたれろ」と言ったので、嫁は「炉ぶつにつかまって」と言ったので姑は言うとおりにした。嫁が屁をやらかすと姑は向い山までふっとんだ。腰をさすりながら帰ってきた姑に追い出されて、嫁は実家にも戻れず、街道をずっと歩いていた。途中木綿屋の前で木いっぱいになった梨を落とせなくて困っていた。嫁が全部取ると言うと、木綿屋のおやじが「取れるもんならとってみろ、とれたら反物をうんとやる」という。嫁が屁をやらかすと梨は大風にあったようにすべてもげた。約束どおり反物をいっぱいもらい家に戻ると、姑ガガも喜び、「お前の屁はそんなに役に立つのなら家にいろ」と嫁はまた家に戻れたという。
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オニ,セキ 1979年 昔から「人が死ぬと鬼となり、鬼が死ぬと聻となる」といわれている。
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オニ 1961年 和歌山県 百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
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ナメクジリ,ヒヒル 1980年 ものの変化というのは、必ず定があるというものではなく、なめくじり(なめくじ)はひひる(蛭)になるという。
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オニ 1975年 霊は鬼であり、鬼は気である。
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ヒョウスンボ 1999年 宮崎県 ひょうすんぼはいたずらがすき。
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チチオニ 1941年 大阪府 父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
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ヒョウスンボ 1992年 宮崎県 ひょうすんぼが知恵のある狐と賢い狸をだました。ひょうすんぼの鳴き声はヒュールヒュール。
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キツネビ 1989年 群馬県 狐火が夜見えて怖かった。
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キジムナー 1985年 沖縄県 キジムナーは海や村里に住む。悪い者がわざと屁をしたら、その人は海に放り投げられて死んだ。
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イシビリ 1956年 宮城県 けちなことを指す。「ひる」は糞尿をたれること。昔、大黒天に金銀をひるように願ったところ、石がひりだされたという。この話から石びりという言葉が生まれた。
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ユウレイ 1989年 長野県 この世に恨みがあるとき、あるいは生前に悲しいことがあるとき、幽霊になって出てくるという。
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トリ 1964年 福島県 ひんひょうんとなく鳥を見ると死ぬといわれているが、見た人はいない。
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キジムン 1989年 沖縄県 ある人がキジムンと友達になった。キジムンが望みをかなえてやるというので、大和見物をしたいというとキジムンは「早速連れて行ってやるが、屁だけはしないように。私は屁がこわいから」と言う。彼は屁をへまいと用心しながら、キジムンに連れられ千里の波涛を越えて大和を見物して帰った。
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カッパ 1935年 茨城県 河童が漁師に捕捉されるとき、放屁したという。相当猛烈な屁だったようだ。尻の穴が3つあったという話もある。
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ヒョウスンボ 1992年 宮崎県 木の瀬河原の若宮神社にはひょうすんぼ石という細長い、大きな石が祀ってある。そのためひょうすんぼはいたずらをしない。
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