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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オラビゴエ,オニ,ボウレイ
1937年 佐賀県
沖ノ島にすむ鬼と竹崎観音堂の中の鬼が旧正月6日に呼び合うが、もしおらびあったら非常な災難が起こるので、それを防ぐために鬼祭を開く。沖で生死をわかった兄弟がおらび合うのを防ぐ話もある。

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オニ
1984年 佐賀県
佐賀県藤津郡竹崎地区の修正会鬼祭では、竹崎の沖合いに住む鬼と観音堂内の鬼箱に封じ込められている鬼が、正月5日の満潮となるとお互いに呼応して島を転覆させようとするのでこれを妨げようと村人が大声をあげて島を守るという。
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オンバコ
1937年 佐賀県
竹崎観音堂の鬼祭で用いられる鬼箱は鬼の面が入っているといわれているが、開けると眼が潰れるというので、誰も中を見たことがない。この箱を出しておくとマラリヤのような激しい病もすぐ治る。
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チチオニ
1941年 大阪府
父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
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オニ
1975年
霊は鬼であり、鬼は気である。
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オニ
1984年 佐賀県
佐賀県南西部藤津郡の竹崎地区では正月5日から6日にかけて修正会鬼祭が催される。裸祭あるいは鬼祭ともいわれる。竹崎地区の未婚の未婚の若者男子は「鬼之忌屋」という若者宿に入り、既婚男子は宿老宿に入る。若者組からは4名の鬼副(オンゼイ)が選ばれる。追儺の行法の鬼追い、童子舞などに特色がある。
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オニ
1961年 和歌山県
百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
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キンキ,フウキ,スイキ,インギョウキ
1975年
天智天皇の時代に、藤原千方という者が金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4鬼を使役していた。伊賀と伊勢の国はこの鬼のせいで、天皇の支配に入らなかった。そこで紀朝雄という人物が「草も木も我大君の国なればいづくか鬼の栖なるべき」と和歌を詠んで鬼のもとに送りつけたところ、たちまちに鬼はいなくなり、藤原千方は朝雄に討ち取られたという。この鬼は狐狸の類か。
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キツネ
1921年 兵庫県
昔、田舎では子供が狐につままれて行方不明になる事があった。村人が夕方から「おらばおおらばお」と呼びながら探す。この時、一人だけ桝の底を叩きながら後ろからついていくと、狐は桝を叩いている者の側へ子供を放り出す。
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オニノイナイムラ
1937年 静岡県
昔、鬼を退治して鬼はいないので豆はまかない。
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オニ
1997年 静岡県
鬼払いの行事の過程に関する記述。鬼払いに出る鬼は、青鬼、赤鬼、黒鬼の3匹である。鬼役を務めると厄逃れや兵役逃れ、弾逃れになるといって希望する者が多かったという。
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オニ
1935年 長崎県
正月7日、この日に鬼が年をとるという。
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オニ
1986年 鹿児島県
ある人が狩りに行って、木の上にしばられた鬼ににぎり飯をやったら、鬼が力をつけてしばっていたカズラを切り逃げた。実はその鬼はその人の妻の父がしばっていたもので、逃げた鬼は妻をさらって鬼が島へ行ったという。妻をとりかえすために箱に入って鬼が島へ行き、鬼を退治する。
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オニ,ホウキ
1941年 朝鮮
村人で四方山話をしている中で、鬼は強くて負け嫌いという話になった。すると鬼が現れて相撲をとろうと言った。相手になった村人は力持ちで、鬼を倒すことができた。何度も負けた鬼は姿を消した。翌日その場所を見ると箒が転がっていて、鬼は箒が化けたに違いないということになった。それ以来、頭の近くに箒を置いて寝ると、恐ろしい鬼の夢を見ると言われている。
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オニ
1990年 静岡県
久保というところに鬼穴という穴があって鬼が棲んでいたのを、弘法大師が退治した。鬼とは山賊のことだったろう。
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オジュラッサン
1984年 愛知県
乙方(南知多町)には鬼が住み、人間の子供を七人まで食べたので、その仕返しとしてある人が鬼の子を捕まえ隠した。鬼は泣いてわが子を探すと、その人が鬼に向かって「人間の嘆きも同じである」といい、鬼は非常に後悔して子供の守り神となった。これが現在の林若子神社であり「おじゅらっさん」と呼んでいる。
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チチオニ,ハハオニ,コオニ
1941年 大阪府
昔、父鬼と母鬼との間には、9人の鬼の子供がいた。その鬼の使った臼が、ある河原に残っている。
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オニ,ゼンキ,ゴキ
1968年 奈良県
8月3日に大峯山の行者祭りで行われる「鬼の行列」には一本歯の下駄で歩く行者に従って手に斧を持った鬼、水壺を持った鬼、そして数十名の赤鬼・青鬼が続く。この鬼は「ゼンキ・ゴキ」と言われ、行者を助けて行場を作った民衆を意味する。
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オニ
1922年 徳島県
昔、鬼が住んでいて人を喰い、財を掠めていたが、法然上人によって改心させられ、仏道に入った。鬼は罪を悔いて死んだので、そこに鬼骨寺を建てた。鬼骨寺では、今でも鬼の牙を秘蔵しているという。
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オラビ
1975年 高知県
おらびは昭和の初めごろまで聞くことができた。初めのうちジィーッと鳴き、次第にオーッという大きな声になり、ついに全山をゆるがすばかりの雄叫びになる。おらびのあるときは返事の前兆といわれる。古狸のわざであったという人もいる。
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オニ
1936年 山梨県
馬方が馬に鰯を乗せて帰宅する途中、鬼に出会って松の木に登って隠れた。鬼は鰯も馬も食べてしまった。馬方は鬼の家までつけていき、2階に隠れていた。馬方は鬼が味噌を取りに行く間に、鬼が焼いていた餅を食べてしまった。その後、鬼が釜の中で寝たので、蓋をして火を炊いた。鬼は焼き殺されて脂になった。馬方はそれを売って長者になったという。
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オニ
1983年 岩手県
6月1日には、正月の鏡餅を焼いて食べる。これを鬼の骨と言い、この日に鬼が来るけれど、この餅を噛めばないといわれている。
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