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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

メイゲツヒメ
1936年 大阪府
源平の頃、平清盛に見染められた名月姫が許婚者と自害した後に建てられた墓は、嫁入りの道中が通ると姫がけなるがるために悪報があるという。

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ヒメ,ヒメナグサ
1928年 新潟県
漂着した舟に美しい姫が乗っていた。村の若者達が姫に熱心になったため、村の娘達は姫を恨むようになった。姫は入水して死に、それからは川の水が濁った。河原には小さな草が生え、人々は姫の精だとして姫名草と名付けた。
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ギンナン,シロヘビ,オンリョウ,タタリ
1990年 京都府
昔、殿様が糸織り姫を愛するのに嫉妬した者が、姫は他の男と約束を言い交わしたと言ったので、殿様が立腹して姫を殺した。この姫は松平家7代まで祟り、そのため子供が生まれなかった。姫が殺された日から銀杏の木に大きな白蛇が棲むようになったので、これは姫の怨霊が蛇になったものだといわれている。銀杏を食べると腹痛になるともいう。
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〔ウスグモヒメ〕
1961年 愛媛県
山内式部大輔の娘は薄雲姫という美女だった。結婚の申し入れをはねつけたために戦になり、姫は風透山に落ちのびた。そのうち姫の元に男が通うようになったが、姫が二世の契りを申し出たところ、男は立ち去った。姫は男の裾に糸をつけ、後を追っていくと、風透山の風穴に入って消えていた。姫は驚き、その後病気になって死んだ。
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タタリ
1983年 香川県
身分の高い美しい姫が一隻の船に乗って流れ着いた。姫は身重で、船の中にはきれいな衣装や立派な調度品が積まれていたが、悪人が餓鬼のように襲いかかったため、姫も財宝も海中に沈んでしまった。それ以来、不漁や病人続きとなり、仏のお告げで姫のたたりとわかったため、姫を祀ったところ災厄がなくなったという。
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ダイジャ
1928年 大分県
速水姫という大切に育てられた姫がいたが、年頃になったとき、沈蛇の瀧に飛び込んでいなくなってしまった。姫が飛び込んだ日を命日にして、一周忌の日にお通夜をしていると、姫は以前のままの姿で帰ってきたので、親族は大喜びした。就寝中は声を掛けたり起こしたりするなという姫との約束を破って家人が覗くと、部屋に大蛇がのたくっていた。仰天して騒いでいると、蛇は姿を消した。
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ウリコヒメ,アマノジャク,ヤマンバ
2001年 石川県
ある日、婆ちゃんが川上から流れてきた瓜を拾って帰った瓜の中に姫がいた。瓜姫小女郎と名づけられた姫が機織をしていると、天の邪鬼がやってきて姫を連れ出し、木につるして自分が姫に化けた。天からの迎えが来たときに、正体が天の邪鬼であることがわかり、天車を持ってきた人は天の邪鬼をひきずり落として踏み殺し、本物の姫を乗せていった。
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スジガミサン,(ゾクシン)
1961年 愛媛県
筋神さんの祭神は石川備中守の側室・幼名菊姫とその息子・虎武丸ほか3名。四国征伐の折、援軍を求めた姫が旅路で筋病を病んだ。援軍を得られないまま城が落ち、落ちのびさせた子が殺されたことを聞いた姫も自害した。後に筋病の神として祭られたが、姫が生前冷酒を好んだため、願掛けにはオリカケダルを作って神酒を入れ供えるという。
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タケダグサ,ツヤヒメグサ,オンナ
1931年 山梨県
天正年間、武田勝頼は城を織田信長に攻められた。その時、武田の家来だった男と、恋仲だった艶姫は離れ離れになり、姫は捕らえられた。その後、姫は脱走に失敗し、自害して堀に身を沈めた。その次の春から、その堀には見慣れぬ水草が生えるようになった。里の者は艶姫の精だとして、武田草、艶姫草と呼んだ。4月29日の祭りは毎年雨であるが、何年かに一度晴れることがあり、その日の早朝堀に行くと水面が二つに裂け、美しい女が玉手箱や鏡や宝剣を持って現れる。この女を笑わせれば、その宝が手に入るという。
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アマノジャク
1960年 福島県
昔婆さんが川で洗濯していると胡瓜が流れてきて、家で爺様の帰りを待って切ってみると中から女の子が出てきたので、瓜姫と名付け機織などを覚えさせた。ある日姫は言いつけを守らず機織り中に戸を開けてしまい、あまのじゃくが姫を食って姫になりかわっていた。
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オヒメサマ
1989年 山梨県
お姫坂には昔水溜りがあって、お姫さまがそこに出たからお姫坂と呼んでいる。
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ツシロヒメ
1971年 鹿児島県
数百年の昔、敵の軍勢に囲まれた津城から逃れ長瀬まで逃れた姫が海に身を投げた。毎年その時期になると姫の霊魂が白鷺になってドンドロの松の木に来るといわれる。明治中期に硫黄鉱山の仕事をしていた谷山出身の男が人知れずこの姫のもとに通っていた男がいたが、財宝を掘り当てこの男は姿を消した。また二十六年前、長瀬では姫の宝物が光を放っており、これを探しに行った男二人がどこからともなく現れた姫や侍女の乗った舟にさらわれ地球上から消えた。姫のいる幸の国に行ったものか。
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(ホトケノカゴ)
2004年
盗賊が中将姫の庵を襲おうとしたが,仏が姫の周りを護っていたため果たせなかった。
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キヌガサノベンテンサマ,(ゾクシン)
1965年 愛媛県
重茂山の城主・岡部十郎には聡明で美しい姫がいた。城が落ちるとき、姫は落ち延びて普請中だった自分の御殿を目指した。途中で被っていた菅笠のために追っ手に見つかった姫は自害した。後に村人が祠をたて、弁天様にお祭りしたのが「衣笠の弁天様」である。一生菅笠をかぶらないと誓って願うと、加護があるといわれている。
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ヌマ,ヒメガサワ
1976年 宮城県
狩野因幡守の姫が足軽と相愛の中になった。姫は3年もかけて悲願をかけた曼荼羅を完成させたが父親の因幡守は激怒した。姫は桃の節句の日に沼へ見を投じた。それから桃の節句の日になると姫の機織姿が沼の上に浮かび上がり、通る人ににこっと笑うという。
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クビキレウマ
1933年 徳島県
昔、美しい姫が一人で住んでおり、1頭の駿馬を大層可愛がった。姫に恋心を抱く若者がいたが、偏愛の果てに姫の愛馬の首を山刀で切り落とした。その刹那、暴風雨と共に何もかもが消え去った。その後、
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ウリコヒメ,テンセイ
2001年
剣持弘子は瓜子姫の物語で、さらわれた姫の言葉の後に「ピーヒョロ」などと、鳥の鳴き声がつくのは、より古い形では姫が殺されて鳥へ変身するという展開であったと類推している。
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アコヤマツ
1956年 宮城県,山形県
実方の娘の阿古屋姫は千歳山麓に来て庵を結び,父の冥福を祈っていた。秋頃から男が毎夜姫の許に通ってきた。その頃陸前名取川の橋が洪水で流され,占いの結果千歳山の老松を橋にすれば流れないといわれたので,名取の里人はその木を買い取った。しかし松は非常に堅く,ようやく少し伐り込んでも翌日になるとその痕跡すら消えている。伐り屑を焼くと仕事が捗るようになった。松が伐り倒される前夜,姫の許に通ってきた若者が自分の正体は老松の精であると明かした。数日後,松の巨木が運び出されることになったがびくともしない。これを聞いた姫が巨木の背中を撫でて打ち乗ると大木は動き出したが,姫が降りると動かなくなる。柴田郡の古関で姫が懇ろに松を諭したので,その後は無事名取川の辺に着いた。
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タマツヒメ,タマヨリヒメ
1928年 福岡県
玉津姫(もしくは玉依姫)は身分の高い姫であったが、顔に痣があったので、なかなか縁がなかった。悲嘆の思いを込めて縁の神様と呼ばれた三輪大明神に7日7夜の時詣りをした。満願の夜、社殿で伏していると神さびだ声が聞こえてきて、夫は三重の炭焼き小五郎で、夫婦になると大長者になるといわれた。朝起きると、姫は信託のとおりにした。
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ケヤキ
1990年 秋田県
昔落城のとき、敵の辱めから逃れるため、妊娠中の姫が生き埋めにされた。姫を弔うため墓標に槻の小枝を挿すと、それが大木となり「姫埋めの槻」となった。その形は根元が細く、末が太く、またそれをきると熱病にかかるという。
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イツクシマミョウジン,ゴクラクヤマノカンノン
1978年 広島県
平清盛と常盤御前の間に生まれた天女姫は十四の時痘瘡にかかって死ぬ。清盛は厳島明神に埋葬卜定の事を祈ると、これより東方七里の所に赤旗が立っている。そこを墓地とすれば姫は疱瘡神となって万民を守る。という託宣を得た。清盛はそこに姫を埋葬し、洋上から西方の極楽山の観音を拝して別れを告げると、観音は「疱瘡となった姫と協力して衆生済度する」と誓い、向洋の岩鼻巌頭に菩薩像を現し、やがて消えた。
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クズリュウシン,ヤマヒメ
1928年 長野県
九頭龍山の本性を見ようと山に入った代官は、途中で山姫に会い、その姫の吐く毒息に当たって病となった。
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