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検索対象事例

ホウソウガミ
1992年 福井県
4、5代前、本家の女の子が疱瘡を患って死んだ。それでしばらく疱瘡神を祀らなかったが、ある夜夢の中で、烏帽子に直垂を来た神が現れ、「あれはもらい子だった。どうかこれからも祀ってくれ」という。それで再び祀るようになったとも伝えられる。

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ホウソウカミサマ
1955年 静岡県
疱瘡が流行ると疱瘡棚を作って疱瘡神を祀り、川に流す。
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ホウソウガミ
1992年 福井県
本家の子が死んだので疱瘡神を祀らなくなった。ある夜、囲炉裏の上に神が現れ、「死んだ子は貰い子だったのだろう」という。それで改めて祀ることになった。節分の夜、木製の赤い食器で2膳を供え、家人は台所で疱瘡神がお帰りになるのを待つ。
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ホウソウガミ
1952年 山梨県
隣の爺さんが病気になり、いくら暖めても寒気がする。床に入って寝ていたら疱瘡神が組んで出てきた。「疱瘡神だぞ」と注意したが、爺さんも子供も死んだ。隣家なので夫もお通夜に行ったが、疱瘡神を背負ってきて死んだ。
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ホウソウガミ,ヤクビョウガミ
1991年 静岡県
夜泣き、疳の虫、はしか、疱瘡は疫病神(疱瘡神)の仕業。
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コモチノホウソウガミ
1957年 東京都
昔、元八王子から嫁に来た人が本疱瘡にかかった。そのとき、子持ちの疱瘡神がいつでも枕もとにかしこまっていたという。
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イナリサマ,カジ
1944年 岩手県
マキで祀るイナリ様がある。ある時、本家で火事が出たのでイダツコに見てもらうと祀り方が悪いからだと言われた。以降、一層心して祀るようになった。
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ホウソウガミ
1957年 東京県
恩方村での聞き取りによれば、本疱瘡に罹った男が高熱を出し、寝床で薄目を開けていると、枕元に娘がかしこまっていたという。その娘は疱瘡神さんであったという。女の場合は、男の疱瘡神が枕元にかしこまっているという。
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ダルマ,ツク,タイグルマ,セキハン,ホウソウ
1935年 東京都
嬰児が疱瘡にかかると、張子の達磨や木兎、鯛車などを枕元に飾る。方法はさん俵を敷き、その上に達磨や木兎を祀る。そして幣帛を立てたり赤飯を供えたりして、疱瘡の治ることを祈る。半月経つと疱瘡も峠を過ぎたものとして供えた赤飯から3粒をとって紙に包み、三つ辻の角へ持っていって捨てる。この赤飯をまだ疱瘡の終わっていない子供を持つ母親が見ると持って帰って子に食べさせる。そうすると疱瘡が軽く済んだ小児にあやかることができるという。
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ヘビ,ナガガミ
1976年 三重県
長神を祀る家は、蛇の祟りを受けたので祀るようになった。毎月14日におこもりをする。
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スイジン
1968年 佐賀県
ある家で祀っている水神は、病人が出たとき法印から、井戸に金物が入っているから祀るようにと勧められて祀った。
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ツルギミサキ,マリシテン
1983年 岡山県
城山にツルギミサキを祀る家がある。これは昔、法者が城山の本家の屋敷の下に下りて来ている摩利支天を祀らなければ祟るというので祀ったものだという。
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レイケン,キズイ
1977年 大阪府
江戸巣鴨砂利場のある御家人の家に疱瘡お守りが伝わっている。元和元年12月晦日に摂津住吉に住んでいた御家人の先祖の家に一人の美童が来て宿を乞うた。童は疱瘡神でお礼に疱瘡除けの守りをくれたという由緒がある。
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(ゾクシン)
1976年 宮城県
子供と米を一緒に箕の中にいれると、ハヤリ神や疱瘡神を追い払うことが出来る。
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ヤクシサマ
2001年 青森県
某家では、家の者が目を患ったので、その眼病治癒の為に屋内に薬師様を祀った。後に父親が患った際にカミサマに見てもらったところ、薬師様は屋内に祀る神ではないと言われたので、屋外で祀ることとなった。
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ホウソウ,ケダモノ
1974年 新潟県
越後国のある森に、疱瘡の宮という小祠がある。四方が羽目板になっており、ところどころに穴が開いている。その穴に鼬のような小獣が出入りするが、近隣の村の作物などを荒らしはせず、また数も増減しなかった。しかし世間に疱瘡が流行すればこの獣は姿を見せず、疱瘡が止めばまた姿を現すという。
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ヤクジン
1976年
推古天皇の34年、日本で米穀が実らず三韓より取り寄せた。その船に3人の疱瘡患者が乗っており、それぞれ老人・婦人・僧が付き添っていた。どこの者かと問うと、我々は疱瘡神だと答えた。同年、初めて日本で疱瘡患者が出た。
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ホウソウガミ
1994年 群馬県
群馬県山田郡大間々町浅原にある小林一郎家の文書「疱瘡七社神名号」の原文引用と原文写真(抜粋)。疱瘡神には、魁神、石神、寛神、刑神、早神、役神、兵神の7つがあり、それぞれについて、姿、祭日、引き起こす病状を列挙。
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(エキジン)
1980年
推古天皇の頃、日本が不作だったので三韓から穀物を調進してきた際、その船中にどこのものか分からない3人の少年がいた。彼らは疱瘡を患っていた。日本の人々が問うと、自分らは疫神で疱瘡を司っており、いま日本に渡ってきたという。そして祠を建てて畠芋を供えろと言って消えたという。それ以後日本で疱瘡が蔓延したという。
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ジゾウサマ
1976年 大分県
三原家の庭には防空壕跡があり、地蔵様が祀られている。これは以前は山の上に祀られていたものを下に降ろしたまま祀らなかった。すると、三原家の死んだお婆さんの所に祀ってくれと地蔵様から指示があり、今の場所に祀ったという。
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ライジン
1982年 東京都
疱瘡にかかる前の小児は、毎月8日の朝五つ前までに、江戸の浅草寺雷神門に行って雷神の股を潜らせると、疱瘡には必ず瘡難は軽くなるという。
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ヤクジン
1974年
推古天皇34年に、日本は米が実らなかったので三韓から米を調貢させた。その船の中に疱瘡を患った人が3人おり、それぞれ老人と僧と婦人がつきそっていた。その名を問うと我らは疫神であり、疱瘡という病を司るという。また我らが来たので、この国の民も疱瘡にかかる。我らは畠芋を好むので、我らを祀るならば畠芋を供えよと告げて姿を消したという。
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