カミ,ヌチ,ツカサ,ノロ 1986年 沖縄県 ヌチ=カミはその場に常在し、場を掌握守護すると同時に、分離性、飛翔性を持つ霊的存在である。可視的存在になることもあり、部落の聖所に通じる神道(カミミチ)を去来するのを、ごく稀に見ることがあると言われる。カミミチの多くは存在を知られておらず、何らかの障りが生じた際にユタによってカミミチに対する不当な行為(道をふさぐ、汚すなど)が指摘され、その存在を知ることが多いのだという。
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カミ,ヌチ,ヒノカミ,シガラヌチ 1986年 沖縄県 波照間島では、儀礼の際に呼び集められる神はすべて同一の神で、拝まれる場所によって呼び出し方が異なるだけであるという説もあるが、そうとは考えにくい。カミ・ヌチの間には階層も見られ、自然と深くかかわり、その場を掌握し、人々に恵みを与える存在であると考えられている。
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マブイ 1986年 沖縄県 人はからだとマブイでなりたっていると考えられており、マブイは超自然的存在、からだはその容器である。マブイは遊離性があり、からだから離れるとマブイウチ、タマチドラの状態となり、病気になる。マブイは10個あり、7個以上失われると死に至るといわれる。マブイの遊離性は幼児と老人に起こりやすい。マブイが遊離したときには、ムヌチ(ユタ)を呼んでマブイグミをする。
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レイ,ショウワル,マブリアワセ 1962年 鹿児島県 マブリアワセのとき、死者の霊に性わるの血筋だと言われると婚姻を避けられたりする。性わるとの結びつきはなるべく避けることにしているのだというが、絶対的ではないらしい。
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カミ,ヌチ,ニライ・カナイ,ニラ,ニラヌヌチ 1986年 沖縄県 現行の儀礼行為から見れば、カミ、ヌチはセヂ降る場としての信仰対象と近い。ニラ(与那国では海底、海で死んだ死者の在所)もヌチの存在する場のひとつである。ニラヌヌチは人々の祈願招請によって、人神ではなく、霊的存在として来訪する。
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ヒノタマ 1988年 茨城県 高性地橋のところにある墓のところには、火の玉が飛ぶという。
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グスヌトゥ,カミ,フトゥキ 1986年 沖縄県 33回忌の儀礼は与那国でも祝いとして行われる。この儀礼は後生人(グスヌトゥ)のもつ個性を観念上も、視覚的にも失わせる。死者は、天と表現されるそれまでとは異なる空間に飛翔し、カミ、フトゥキなどとなり、獣肉や煮た穀物を必要としなくなるのだという。
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ヌチ,カミ,テン,アンドノチマ,ハイドナン 1986年 沖縄県 与那国島のヌチはカミとも呼ばれ、港、浜、磯部、湾、岬、沖、海、海底、山、泉、川、拝所などに存在する。また、アンドノチマ、ハイドナン(南の与那国島)のように、遠く離れた空想上の場もあり、多くは豊穣、死者と関連付けて語られる。テン(天)、は33年忌が済んだカン、フトゥキがのぼるところであり、水のカンやヌチも儀礼の過程では空を行く船に乗り、天に去ると考えられている。
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カミ 1986年 沖縄県 与那国の家屋・ヤシキには多岐にわたるカミが存在する。左右門の神、四隅方角の神、便所の神、井戸の神は形もなく、目に見えない。抽象的な神で固有性はない。
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カミノオツゲ,カミダーリ 1986年 沖縄県 十数年前カミダーリ(神憑依)があり、「おまえはウマリ(霊能のすぐれた個性をもつ人格)だから、カミファーフジ(祖先神)のいうことをよく聞いて行動し、悩んでいる人々を助けなさい」と言われ、断ると「そうしないと命をとられる」という神の警告があった。
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カミ,アミダノフトゥキノシンカ,ブラスウノシンカ,ヌチ 1986年 沖縄県 八重山においても33回忌は死者霊の没個性化、融合体としての祖先化の儀礼として位置付けられている。可視物を持たない霊的存在となった死者を、カミ、アミダノフトゥキノシンカ、ブラスウノシンカなどと呼ぶが、これらがヌチと呼ばれることはない。
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シュテンドウジ,イバラキドウジ 2001年 新潟県 栃尾市一之貝地区では、節分にちなむ言い伝えで、「この日渡辺性は酒呑童子の腕を取ったので鬼は怖くない。茨木性は茨木童子の子孫なのでこの両性は豆まきをしなくても良い」というのがある。
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オサキ 1975年 群馬県 オサキといわれている動物はヤマイタチの一種らしい。なぜオサキが憑くなどと考えられるようになったかは、民俗概念において形態的に野生と動物との中間的な存在であり、また空間的にも野生動物であるのに里でうろちょろするという、分類カテゴリーからの逸脱という、2重の意味での両義性を備えているためと思われる。
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セジ,レイリョク 1986年 沖縄県 セジ(霊力)の信仰は、人格を持たず、神秘的な超自然力とされ、もっともプリミティブなものであるという。首里王府によって御嶽と総称された場所はこうしたセジの憑依する聖別された場所である。
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カワランベ 1981年 長野県 カワランベはキツネやカワウソに似ている。甲羅はない。夜行性で、昼は寝ている。
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カワッパ 1962年 山梨県 上野原町、旧巌村の鶴川と桂川との合流点の松留山性法寺の東は断崖となっているが、この淵に河童がすんでいて人や馬を悩ましたため、性法寺の和尚さんが河童を捕らえてねんごろに説法したところ、河童は謝り、今後決して出てこないことを誓って放してもらってからは現れなかったという。
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イヌガミ 1936年 徳島県 犬神は小豆大の白い子犬などの一定の形相を持った可視的なものではなく、長い年月の間に形作られてきた1つの迷信上の妖怪的存在であって、その本質は迷信を生じるに至った人々の心理中にあると考えられる。その起源については、犬をトーテムとした異族の残存に求めるものと、古くからあった犬そのものにある霊力があると考えた思想に求めるものとがある。
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エギリドリ 1931年 沖縄県 エギリドリは夜行性の鳥である。この鳥が通ったところでは疫病が流行ったといわれている。
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マジナイ 1957年 山梨県 流行性感冒のときは南天で槌と瓢箪を作り、帯につるす。
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ガラッパ 1982年 鹿児島県 ガラッパの声の主はトラツグミという小鳥で、神秘性を保つためにこのことはあまり公にされていない。
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チミズ 1919年 沖縄県 岸から血のように赤い水が沸いた。おそらく細菌性のものだろうが、当時の人は血水といっておそれていた。疫病が出ると、この現象とつなげて考えていたのかもしれない。
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