ニオウ,テンテンボウ 1968年 愛媛県 唐のてんてん坊と日本の仁王が力比べをした。仁王は唐にいるてんてん坊の母を訪ねたところ、その怪力に驚き逃げたが、帰ってきたてんてん坊に捕まった。仁王は観音様に門番になることを誓って祈り、助かって日本に逃げ帰ることができたという。
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コウシン,ニオウ,ムクロ 1960年 佐賀県 新羅のムクロという力の強い男と力比べをしようと仁王が出向いたが全く歯が立たず、何とか日本に逃げ帰ったがムクロは追ってきた。仁王は庚申さんにすがって命が助かった。ムクロを殺されて怒った母は日本に疱瘡をふりまいた。
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サルタヒコ,カンノン 1960年 栃木県 猿田彦が唐の力持ちのところへ力比べに行ったが、敵いそうになく、やっとの事で日本に逃げ帰ってきた。唐の男は日本まで追いかけてきたので猿田彦は観音さんにすがって唐の男を殺した。
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〔チゴクイニオウ〕 1986年 埼玉県 仁王様の近くで子供が赤ん坊を背負って遊んでいた。背負っている赤ん坊が泣き止まぬものだから、仁王様の前に下ろして夕方まで遊んでいた。帰ろうと思って仁王様の前まで来ると、赤ん坊がいない。母親も共に探し、もしやと思って仁王様を見ると、赤ん坊の帯ひもが口から垂れ下がっていた。村中大騒ぎになり、仁王様を谷底に突き落とした。その時仁王様は「オホホン、オホホン」と笑ったので、そこをホホン沢と呼ぶようになった。また、仁王様はそこで屁をした。その谷の近くはビリ沢という。
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キツネ 1913年 和歌山県 昔、金剛院という山伏がいた。金剛院に驚かされた狐が仕返しに池の藻をかぶって金剛院に化けるようになった。ある時、他の山伏たちが金剛院に化けた狐を懲らしめるために袋叩きにした。けれども、化けの皮がはがれず、実は本当の金剛院だった。
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オオニオウ,コニオウ,タタリ 1923年 長野県 旭山に大仁王・小仁王という二匹の大蛇がいた。樵夫が大仁王を殺し、その死体を見世物にして非常にもうけたが、蛇の霊がたたって樵夫の親類一族悉く死に至った。小仁王は今も生きていて郵便脚夫を追ったりしている。
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ケイドウホウイン,ニオウ 1940年 香川県 桂同法印は彫造完成後の仁王像を運搬するために、仁王像に向かって大声で一喝したところ、自らの足で仁王像が歩き出した。
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ニオウ 1977年 神奈川県 仁王様が夜遊びに出かけ、ある家でお婆さんが糸をつむいでいるのを覗いたところ、そのお婆さんが大きな屁をした。仁王様がおかしくてくすりと笑ったところ、お婆さんが「におうか」と言ったので、仁王様はびっくりして逃げ帰った。
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ニオウ 1977年 神奈川県 ある嫁のところへ仁王様がいい男になってやってきたのだが、その嫁が臭いおならをしたので、仁王様が逃げ出した。嫁は「におうか、におうか」と言った。
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ツガネジノニオウサマ 1987年 長野県 津金寺に戸隠の九頭竜権現様が来て仁王さまを彫ったとき,誰も見てはいけないと言われていたのにある人が覗いてしまった。権現様は怒って帰ってしまい,仁王さまは完成しないまま今に至っている。
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ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ 1983年 愛媛県 柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
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カッパ 1991年 石川県 8月7日の金剛祭には河童も参加して、先祖を祀っていた。
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ブウンチョウキュウ 1981年 山形県 小松野千松寺の仁王様の下から、直径2~3センチの石を2つ広い、小さな座布団を作って石を乗せる。それを床の間においておくと武運長久のまじないになる。毎夜、湯で石を洗い、無事に帰ってきたら石を仁王様に返す。
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ニオウ 2001年 埼玉県 慈光寺の仁王様は子供を食べたので、母親に谷に突き落とされた。
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ダイシ 1984年 新潟県 大師が唐の国から種物を盗んで帰るとき、追いかけられたが、雪が降って足跡を隠したので日本に帰ることができたので、オダイシコの日は雪が降る。
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タニカゼノウシイシ 1956年 宮城県 仁王門のうしろにある牛形の石。霞目村の百姓弥右衛門の女房がみごもったとき、日本一の力持ちをさずかるように仁王に丑ノ刻参りをした。満願の日に恐ろしい牛が仁王の前に寝ていてたじろいだが、思い切って背中を踏み、お参りを果たす。生まれた子、与四郎が後の大横綱谷風で、仁王が石を牛に見せて谷風の母を試したのだという。
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(エキジン) 1980年 推古天皇の頃、日本が不作だったので三韓から穀物を調進してきた際、その船中にどこのものか分からない3人の少年がいた。彼らは疱瘡を患っていた。日本の人々が問うと、自分らは疫神で疱瘡を司っており、いま日本に渡ってきたという。そして祠を建てて畠芋を供えろと言って消えたという。それ以後日本で疱瘡が蔓延したという。
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ショウメンコンゴウドウジ 1960年 徳島県 この世の人々が皆死んでしまい、僧都は7日間祈った。すると28才の青面金剛童子が現れ、流行する病気の原因は三毒五欲のためでと言い、自分は梵天帝釈の使いだと言って消えたという。
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アマンジャク 1960年 奈良県 釈迦がヒマラヤで修行中、帝釈天が現れ法を授けた。そして、大青面金剛、青衣同時2体、赤、黄、白、黒色の童子の計7体の仏体が現れた。軸には三猿、アマンジャク(自在天)も描かれている。
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ニオウ 1933年 武蔵國箕田勝願寺の仁王は子供を脅かしたという。
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カッパ,テンジク 1949年 新潟県 河童は、6月1日に天竺(天空)から降り、八月の末に天竺に帰る。
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