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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

スズメ,カワセミ
1973年 沖縄県
雀とカワセミは兄弟で、共に首里へ方向に行っていた。雀は親孝行であったが、カワセミはそうではなかった。ある日親が危篤になり、雀は仕事着のまま実家に帰ったがキツツキはめかし込んでいたので臨終に間に合わなかった。その為、雀はボロを着ているが米倉の横で米を食べ、キツツキは美しい着物を着つつも川の畔で泣いているのである。

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スズメ,ツバメ
1913年 和歌山県
昔、燕と雀の姉妹の所に親が臨終だとの知らせが来た。燕は着替えて盛粧をして行ったので、親の死に目に逢えず、雀はお歯黒をつけたまま飛んで行ったので、親の死に目に逢うことができた。それで雀は美しくないが米粒を食べ、燕は美しいが土を食べるようになった。
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トリ
1982年 鹿児島県
ガラッパは雀より少し大きい鳥である。
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オクリスズメ
1987年 奈良県
夜雀というのがいた。夜に、ちっち、ちっちと鳴き、ついて来た。それが送り雀だということを聞いたことがある。
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オクリスズメ,オオカミ
1948年 和歌山県
送り雀は夜に山道を歩いているとチンチンと鳴きながらあとをつけてくるが、誰も姿を見たことはない。送り雀がついてくると、狼も一緒についてくるといわれている。
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スズメ
1959年 長崎県
雀の鳴き声を「親死ね子死ね、四十九日の餅とつちくろ」と解し、雀の巣を取ることを恐れ慎むところがある。
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スズメイクサ
1974年 東京都
天保3年8月6日から10日まで、湯島麟祥院の隣寺の森に雀が数千匹棲んでいたが、雀戦が起こるや数万羽が集結し、食い合ったという。
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ユウレイ,スズメジゴク
1929年 長崎県
雲仙岳の雀地獄は、昔、雲仙岳にあった大寺院の稚児二人が、白雀を巡って争いとなり刺し違えて死に、それがきっかけとなって一山の宗徒が互いに争いとなり、寺がすべて焼けてしまった跡に湧いて出たという。旅の僧は雀地獄を訪れて、夢に二人の稚児が死後も幽霊となって争いつづけているさまを見せられた。
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ウミスズメ,ゼンチョウ
1947年 熊本県
海雀が鳴けば時化。(注)船乗業者の話では、海雀の姿は見たことないが、船縁をチーチーと鳴くという。これを聞くと遠からず暴風雨が襲うと言う。
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フクジン
1935年 長崎県
正月4日、雀の鳴かぬうちに起きていないと、その家は留守だといって福神様は通り過ぎられる。
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アシアト
1975年 岡山県
仏壇の横に小さな膳を置き灰をならしておくと死霊が来た時に足跡をつけるという。その足跡を雀の足跡や人間の足跡だという。また雀の足跡は良いが、猫の足跡は悪いと言う。
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ホネツギ
1976年
腰の骨が折れた雀に、銅を削って食わせると、やがて治って飛んでいった。
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(ゾクシン)
1963年 愛媛県
屋根の上の竹のことをスズメドマイという。お幣を立てるまでの間に、雀がとまることを忌むという。
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スズメ,カンノン
1995年 愛知県
江戸時代中期、村人は雀がその塚を突付いているのを見て、掘ってみたら15センチの観音像が出てきた。
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ヒサゴ,スズメ,バケモノ
1934年 大分県
昔昔大昔、山の中で百姓をしている正直な婆さんが大怪我した雀を治療してやった。するとそのごやってきて、瓢の種をひった。それを植えると庭一面に大きな瓢がなった。欲深な婆様は自分で雀の腰を折ってそれを治療するという行動に出たが、お礼だと思ったものの中から化物のようなものが出てきた、婆様はおどろいて死んでしまった。
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オクリスズメ
1927年 和歌山県
暗中で灯影に引かれて送り雀がついてくれば、後は狼が追ってくるので怖いという。
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オクリスズメ
1924年 和歌山県
夜でるときにチンチンと雀が鳴く音が聞こえたら、狼が追ってくる。
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オクリスズメ
1981年 和歌山県
晩方、送り雀が山道でチンチンと鳴き声をさせてついてくる。
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オクリスズメ
1981年 和歌山県
晩方、送り雀がチンチンと鳴き声をさせてついてくるが、悪いことはしない。
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オクリスズメ
1939年 和歌山県
紀伊の山奥では、提灯の火に送り雀がついてくる。恐ろしい声ではなく、ち、ち、という小さい声である。正体を見たものはいない。
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ムクドリ,スズメ
1976年 東京都
文政7年7月25日、椋鳥と雀が合戦をして、互いに喰い合っていた。場所は小石川馬場と真光寺と金性院と、加州侯の屋敷の森で、殊に湯島の金性院では見物人がおびただしく、鳥の死骸も多かった。どこの国かは忘れたが、狐の合戦があったというのは聞いた事があるが、椋鳥と雀の合戦というのは聞いた事がない。
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(スズメカッセン)
1974年 大分県
後一条院の時、長元4年5月2日に宇佐八幡宮の神殿で雀が闘い、また住処を作ったという。
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