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検索対象事例

ホネツギ
1976年
骨を傷めたときは、銭を焼いて酢にひたし、磨りつぶしたものを酒と一緒に飲む。すると銅の粉末が折れた骨を包んで治る。

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ホネツギ
1976年
落馬して足の折れた人が、酒で銅の粉末を飲んで治った。その人が死んで改葬するとき、骨を見ると、折れた場所に銅の粉がまとわりついていた。
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ホネツギ
1976年
腰の骨が折れた雀に、銅を削って食わせると、やがて治って飛んでいった。
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オニ
1957年 兵庫県
吉井部落では、正月の20日を骨正月と呼び、正月市で買ってきたブリの骨を食べる。20日になると鬼が食べる肉がなくなり、骨しかなかったため、その骨を食べたと言われており、それを真似たものである。奈良尾部落では、死んだものの骨を食うと言って、ブリの骨を食べる。熱田部落ではシイラの骨を食う。人の代わりに魚を食うのだという。
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オコリ
1957年 岐阜県
墓を粗末にすると必ずオコリ(マラリヤ)が出る。その時は墓場を清めて供養するか、死者の骨を焼いて臼で粉末にして飲むと良い。
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マムシ
1974年 滋賀県
玄関につるしておいたマムシの骨を川に入れると、骨だけのものが泳ぐ。
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キツネ
1935年
昔話に、狐は骨がないとだませないので、毎晩骨をもらいにくる。
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オニ
1989年 兵庫県
吉井部落では正月のぞうには臓腑煮であるといい、これは昔鬼が正月の御馳走に毎年1人ずつ取って食ったことの真似という。7日は唐と日本の鬼が交際をして、七色のものを入れて食べたといい、20日は骨正月といい、ぶりの骨を食べる。これは20日になるともう骨がなくなって、骨しか残っていなかったので鬼がこの骨を食べたのだといわれる。
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(ヒカリモノ)
1988年 茨城県
夜、キジや山鳥が骨を咥えて飛ぶと、骨が光りながら飛んでいくという。
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ヘビ
1989年 長野県
どんどん大きくなる蛇を打ち殺した人が三ヶ月ほどしてその場所に行くと殺した蛇は骨だけになっていた。その人が骨を蹴り飛ばすと骨が足に刺さり、蛇の毒が体に回って帰宅後まもなく死んでしまったという。
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オニ
1933年
大阪の寺宝だった鬼の骨や名古屋で公開された鬼の骨や、九州を巡回した見世物の鬼の骨はおそらく同一の物だろう。
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カッパノホネ
1952年 熊本県
松求麻村には河童の骨が伝えられている。1文銭を結びつけておいた跡がある。河童は鉄物を嫌うという考えから、仲間の河童が来ても骨を取り戻すことはできないと信じられている。また、河童の骨は水中に入れると見えなくなるとも考えられている。
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オニノホネ,オンノホネ,オニ
1950年 長崎県
正月2日にオンノホネ(鬼の骨)を焼く。昔、鬼ヶ島で退治した鬼の骨を焼いた日といわれる。その時に焼いた骨に見立てた餅がのどに引っかかったのが、七草ズーシ(雑炊)を食べて喉を通ったいわれで、今でも七草ズーシを食べる。
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ダイジャノホネ
1970年 鳥取県
大蛇の骨という岩石がある。
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ダイジャ
1970年 静岡県
蛇骨山大蛇院という寺があった。親を殺された子によって退治された大蛇の骨を葬った寺として伝えられている。
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オオカミ
1985年 高知県
骨が詰まってつらそうな狼の口から骨をとってやった。お礼に翌朝、猪の後足が置いてあった。
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キツネ,ヒノタマ
1935年
狐が骨をくわえて走ると、火の玉になるという。
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リュウノホネ
1970年 大阪府
宝池庵という寺の寺宝として竜の骨を蔵している。生物学者の話では、実は鯨の骨だという。
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タマシイ,サカナノホネ,ゴイサギ
1981年 茨城県
毎夜、飛ぶタマシイがあると人々が騒ぎ出した。鉄砲打ちが光ものを打つと、ゴイサギが魚の骨を咥えていた。光っていたのはその骨であった。
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リュウコツ
1970年 東京都
竜骨は薬品としても用いられていた。近世、伊豆三宅島に竜骨があり、これを欠きとっては売っていた。けれども、この骨を採ると嵐になるというので、採取が禁じられた。この骨は、神々に退治された悪竜の骨であるという。
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ヤマオニ
1986年 秋田県
人の子の骨を抜いて「蛭子」にする。
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ヤマイヌノオンガエシ
1941年 岐阜県
昔、口に人の骨が刺さっていた山犬がある老人にその骨を抜いてくれるようにお願いしに来た。老人は山犬に自分を食わないと誓わせてから骨を抜いたが、後日の朝、老人の家の前に山鳥一羽が落ちていた。それは山犬の恩返しだった。
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