タイラノマサカド 1963年 福島県 将門を斬った俵藤太が朝にお茶を飲もうとすると、首のない死体がうちかかってきたが、お茶を飲むと死体が倒れた。
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マサカド,カイイ 1976年 東京都 天慶年間、俵藤太秀郷が相馬の将門の首を持って、都に上る途中、将門の甲を持ってきたが、様々な怪異がおこったため、箱に収めて埋めた。そこを甲塚とも甲山ともいう。
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マサカド,クビ 1995年 将門の首が入洛する時、将門の軍隊がやってくるというデマが飛び、大騒ぎとなった。
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マサカド,クビ 1995年 東京都 東京都千代田区大手町の将門塚は、梟首されて落ちた将門の首を葬った所だと言われている。
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マサカドヅカ,タタリ 1995年 東京都 三井物産ビルの設計の為に将門塚の買収をしようとすると、祟りがあるといけないとの反対意見が出た。また工事が遅れると、将門塚を買い取ろうとしたせいだと噂になり、将門の祟りと結び付けられることが多かった。
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マサカド,タタリ 1995年 東京都 昭和十五年に大蔵省本庁に落雷した時には、それが将門塚付近であった為に、将門霊神の祟りということになり、慰霊祭が盛大に行われた。
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マサカド,クビ 1995年 滋賀県 滋賀県愛知郡の将軍塚は、将門の首を葬った所であるとされている。
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タイラノマサカド 2004年 滋賀県 将門調伏説話の一つ。尊意が延暦寺講堂で不動法を修すると,結願の奇瑞として火焔に将門の幻像が現れた。
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マサカド,クビ 1995年 東京都 東京都千代田区九段にある津久戸明神は、矢を射られた将門の首が落下した所だと言われている。
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ムカデ,ヘビ 1982年 群馬県 赤堀家の先祖は俵藤太。三上山のムカデを退治して大蛇を助け、大蛇の娘を嫁にした。
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マサカド,クビヅカ,オンリョウ 1995年 東京都 関東大震災後に、病人が続出して現職の蔵相らが死んでいくので、これは将門の怨霊のせいだということで衆議が一致した。バラックを建てる時に、首塚を縁の下に叩き込んで靴で毎日踏みつけていたから、将門が怒ったのだという。そうして盛大な鎮魂祭が行われた。
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ムカデ 1982年 群馬県 赤堀では毎年白羽の矢の立った家の娘を小沼へあげていた。あるとき、俵藤太がムカデを退治して、そのことは止んだ。
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タイラノマサカド 2004年 平将門が悪人の王となったのは,宿世によるものである。にもかかわらず天台座主尊意は,「悪法」を修して将門を殺したので,その悪報により死後11劫もの期間人間への転生が許されず,一日に10度将門と闘諍を繰り返している。
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オオムカデ 1989年 群馬県 むかで山にはむかし大むかでが棲んでいた。俵藤太が矢につばきをつけて射て退治したという。そのためか、この地方にはショウロクの人(両目がしっかり見える人)がいないという。
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マサカド,クビ 1995年 岐阜県 岐阜県不破郡矢通村は、将門の首が東北に飛んで帰る途中に射通された場所であり、御頭神社はその首を祀った所である。
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セイレイ 1983年 香川県 阿州波という屋敷に藤太という人がおり、伊勢詣りに行くことになった。一緒につれていってくれとせがむ嫁を置いて出かけたが、宿へ泊まるたびに膳を2人前持ってきた。嫁の生霊がついてきて、藤太には見えなかったが、宿の人には見えたのだという。
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リュウ(ヘビ) 2001年 新潟県 俵藤太が瀬戸の唐橋を通ると大蛇(竜)がいた。踏み越えると、ニガミ山の百足退治を依頼されたため、唾を付けた矢で退治した。
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オオキナイシ 1932年 長野県 鼎村の路にある大きな石に、昔百姓が米俵を背負って一休みして居眠りをしているうちに、米俵がなくなった。石が食ったといわれている。
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マサカド,クビ 1995年 東京都 東京都台東区鳥越にある鳥越神社は、梟首された将門の首が飛び越えた所だと言われている。
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マサカド,クビ 1995年 栃木県 栃木県足利郡の大手神社や大原神社は、将門の手や腹を葬っている。
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クズノダイジャ 1933年 大阪府 源満仲が夢の告げに従って空に矢を放つと、それは雷のように轟き光って飛び去った。夜が明け、老人の案内で、先年俵藤太秀卿が射とった百足の霊が9頭の大蛇となって棲むという池に行くと、大蛇は頭に鏑矢が当たって死んでいた。
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