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検索対象事例

エンダラオウジ,アワシャリ,ゴズテンノウ
2001年 滋賀県
中国創世神話の神で、牛頭天王と習合する盤古の子、もしくは天竺毘舎利国の縁太良王子は手指を7つに切って日本の方向へ投げた。それが近江の国志賀浦に漂着し、粟舎利という人になった。貪欲な巨端将来が牛頭天王から罪を被ったときにはそこに奉公していた粟舎利の子の蘇民将来だけが免れた。志賀浦に住んだ粟舎利と蘇民将来の親子が、河原の先祖となった。

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リュウオウノムスメ,ゴズテンノウ,ゴオウ
2001年
南海の竜王の娘の噂を聞いた牛頭天王は、妻問いに出発する。その途中に巨端将来に宿を請うが拒絶され、蘇民将来に歓迎される。天皇は礼として牛玉を与える。蘇民将来は天王を竜宮まで送る。天王は竜女と結婚して8人の王子をもうける。天皇が妻子を伴って故郷へ帰ることを知った蘇民将来はもてなすために牛玉によって家財を出す。天王は巨端将来の家には疫神を派遣して撲滅し、蘇民将来へは疫病の難からの加護を約束する。天王夫妻と八人の王子は年間各季の行疫神、守護神となる。
類似事例

ゴステンノウ
1986年 愛媛県
用の山にはスサノウノミコトを祀る牛頭天王神社がある。今の社殿があるところに大きなカシの木があり、それを村の人が切ってお宮を建ててまつったところ、牛頭天王のタタリがあって、生まれた子や若い人が次々に死んだり、神楽を舞う音がするので村人が行ってみると何もないというようなことがおこり、太夫さんにみてもらうと牛頭天王が腹を立てているとわかり、おわびとして小田の深山というところから木をたくさんもってきて植えたところようやく許してもらえたという。
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シャリ
1974年
法然上人の石碑から舎利が出た事があったという。この法師は立派だったので生存中に奥州にある舎利母石で作ったからと伝わっている。
類似事例

シャリ
1974年 東京都
三縁山増上寺の了学上人は、寛永11年1月15日に念仏を唱えながら臨終を迎えた。彼を荼毘に付した後、その身体はことごとく舎利となり、また手にかけていた水晶の数珠も五色に輝き、舎利になったという。
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ゴズテンノウ,ツルメソ
1974年
犬神人は牛頭天王が下界に天下った時、一緒につれてきた2頭の犬が子を産み、その子が人に変化したという。
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ツル
1936年 福島県
鶴が湯の沸いているところで傷を治していたので介抱してやると、後に美女が訪ねてきて、稲・粟と神書を置いていった.その湯は神の作ったもので、その地を開き、稲・粟を撒いた。
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キツネ
1977年 福島県
粟畑の中を、川を渡っているつもりで泳いでいた人がいた。きつねの仕業。
類似事例

シャリ
1974年 東京都
麹町に住んでいたという仏法を信じていなかった者の額から舎利が出たことがあったという。
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ゴズテンノウシャノタタリ
1985年 愛媛県
牛頭天王社が三島神社に合祀されたあと、その社地が売りに出された。買い主がすぐに畑にしたら、山から石が転げ落ちたり、死人が出たりした。天王社の祟りとされ、耕作することを止めた。
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ヤクビョウガミ,アクビョウ,(ゾクシン)
1933年 埼玉県
家の入口に粟を撒いておけば、悪病(疫病神)が入らないという。
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ソミンショウライ
1978年 広島県
武塔神が立ち寄った時、蘇民将来は快くもてなしたのでその子孫だけ滅びずに済んだ。武塔神は、以後疫気があるときは蘇民将来の子孫と名乗り、茅の輪を腰につければ免れると伝えた。
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キツネ
1982年 東京都
狐が憑いて粟を食べさせたり、おばあさんに化けたりした。拝んでもらうと井戸へ飛び込んで、途中まで上がってきたが落ちて死んでしまった。
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ヒトツメコゾウ
1970年 長野県
峠の高い所には、一目小僧の舎利骨なるものが埋められているという。近所の人が掘り出したが、壊してしまったので、今はもうない。
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タニノオショブ
1958年 和歌山県
村の西の浦に出る女。
類似事例

カッパ
1956年 宮城県
6月10日の牛頭天王祭に初生りのキュウリを供えたあとで川へ流し、この日までキュウリを食べない。河童にさらわれるからだといわれている。
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テンノウキツネ
1955年 岡山県
布寄神社を天王様といったが、このお使いの天王狐がいる。天皇狐は変事がある前の夜には必ず出てきて鳴いたと言う。また天王狐は油揚などを好んで夜村の人が持って歩いていると必ず取られていて他のものと入れ替えられていたと言う。また昼でも出会った人が石を投げると怒って一日中山の中を歩かされたという。
類似事例

チイカコク,コヒトコク,テナガコク,ミツカシラコク,ロクロクビコク
1974年
日本の周辺には長人国,小人国,長臂国,三首国,飛頭蛮国という国があったとされる。
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テンノウサマ,エキビョウ,コタン,ソミンショウライ
1936年 岩手県
昔、天王様が南海に乙姫を探しに行ったとき、巨旦長者のところに宿を求めたが断られた。蘇民将来の家では1升しかない米を食べさせた。天王様は長者の家に疫病を投げ込んだので、米を食べさせた家から嫁に行っていた女を除いて全員が死んでしまった。六月十五日に米を搗いて練って食べるのはこれによる。
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ソミンショウライ,タケアキラノカミ
1935年 広島県
武塔神(たけあらきのかみ)が一夜の宿を乞うた時、巨旦将来は裕福だったが拒み、蘇民将来は貧乏であったが快く宿を貸し、栗飯などで饗した。八年後に神は帰ってきて、蘇民とその子孫に茅の輪を腰につけるよう言う。その夜から疫病がはやり、蘇民と妻と子供以外は死んでしまった。そのときに神は、吾は速須佐能雄神で、後世に疫病が流行れば蘇民将来の子孫といい茅の輪を腰につければ災いを免れるといった。
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コウボウダイシ
1943年 広島県
牛飼いが快く粟を差し上げたら、法力で1年に3度収穫できるようにしてもらった。
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イワナ
1937年 岐阜県
脇山平淵のアマゴは捉えると笹となり、淵の中に投げるとまたアマゴとなり泳ぐという。ある時毒流しをして岩魚を捕らえようと準備していると、夜に1人の僧が来て毒流しはやめなさいと注意する。粟飯を食わせて返し、その後毒流しをして魚を捕らえ、そのうち大きな岩魚の腹を割ると粟飯が入っていた。僧は岩魚が化けていたという。
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