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検索対象事例

シャリ
1974年
法然上人の石碑から舎利が出た事があったという。この法師は立派だったので生存中に奥州にある舎利母石で作ったからと伝わっている。

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シャリ
1974年 東京都
麹町に住んでいたという仏法を信じていなかった者の額から舎利が出たことがあったという。
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シャリ
1974年 東京都
三縁山増上寺の了学上人は、寛永11年1月15日に念仏を唱えながら臨終を迎えた。彼を荼毘に付した後、その身体はことごとく舎利となり、また手にかけていた水晶の数珠も五色に輝き、舎利になったという。
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ホトケ
1974年 茨城県
修行熱心な法師がいた。丈六阿弥陀を造ると側の障子に阿弥陀の影が現れた。百姓の家で通夜をしていると障子に丈六の尊像が現れた。また法師の左耳から仏像のような舎利が出てきた。
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ヒトツメコゾウ
1970年 長野県
峠の高い所には、一目小僧の舎利骨なるものが埋められているという。近所の人が掘り出したが、壊してしまったので、今はもうない。
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ツエ
1925年 広島県
生口にある松蟲寺に、法然上人の杖が成長した白檀がある。
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エンダラオウジ,アワシャリ,ゴズテンノウ
2001年 滋賀県
中国創世神話の神で、牛頭天王と習合する盤古の子、もしくは天竺毘舎利国の縁太良王子は手指を7つに切って日本の方向へ投げた。それが近江の国志賀浦に漂着し、粟舎利という人になった。貪欲な巨端将来が牛頭天王から罪を被ったときにはそこに奉公していた粟舎利の子の蘇民将来だけが免れた。志賀浦に住んだ粟舎利と蘇民将来の親子が、河原の先祖となった。
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(ゾクシン)
1969年 岐阜県
鳥が家の中に入ると良い事があり、出ると悪い事があるという。
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シャリ,ビシュカツマ
1979年 京都府
嵯峨にある五台山清涼寺の本尊・釈迦像は、毘須羯摩が作ったものとされている。その仏像の耳の中には仏舎利が生じるといい、振ってみると耳の中からコロコロと鳴るものがあった。顕れた舎利はいくつもあり、龕に収められている。
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イコウ,シャリ
1974年 滋賀県
寛永19年8月13日、江州彦根の円常寺の実誉上人が臨終の際、仏殿の上に紫雲がたなびき、火葬の後で遺灰から舎利を得たという。
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レンリョショウニン
2002年 石川県
六字名号の石碑に蓮如上人のお姿が出たと評判になった。
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ハクサ
1976年
正徳2年11月、東国一統に白沙が降った。俗に舎利が降ったというのは間違いである。
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(ゾクシン)
2000年 新潟県
畑野町大久保にある上人田は昔から女人は入ることが出来ず、田の中にある涼み石という黒い石は、文覚上人が涼んだ石だという。
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ヒトトリイシ
1974年 福島県
奥州磐梯山の人捕石は毒石であって、殺生石と同じである。
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スッポン
1974年 兵庫県
播磨の姫路に曾宇志屋大明神という神社がある。この神社の前に池があり、ここで人御供が行われていた。備えられると池の中から大きなスッポンが出てきて池に引きずり込むという。しかし法然上人がこの場所を通るとき、人御供を止めさせたという。今は祭礼の前夜、「スホコテンヤホウテンヤ」と言って池のまわりを厳しく廻る。これは「すっぽん出な法然じゃ」と唱えていると言う。
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シャリ
1974年
舎利というものは淫らな事をつつしむと身体から出てくるという。若い内は額にニキビとして出てくるが、煩悩を断った大徳の和尚は、自然とニキビのようなものが凝りかたまって、一つの玉となって離れていくという。
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イヌガミ
1936年 高知県
犬神はその家に伝わる。
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モモンガー
1941年
モモンガーは江戸時代に箱根から東京方面に生存していたという。しかし、いつの間にかいなくなったという。
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アクマ,リュウ
1928年 大阪府
天王寺の龍が井戸は、昔、太子が仏法の邪魔をする龍を封じ込めたと伝えられている。中ごろ、一舎利上人が龍の姿を見たいと念ずると龍が現われた。眼が潰れたが、一方の眼を手で押さえていたために片目だけですんだ。
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イコウ,シャリ,(ヒカリヲハナツネンジュ)
1974年 神奈川県
鎌倉の光明寺に住む檀通和尚が死んだ時、火葬の場では異香がただよい、遺骨はみな舎利になった。また50粒ほどの念珠は光を放ったという。
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ツガルシャリ
1976年 青森県
今辺地の海岸に奇石がある。大きなものは拳くらいで、白色に薄赤い色を帯びている。小さいものは豆粒のようで、白色で光がある。これを津軽舎利と名付け宝塔に納め、頂礼恭礼すればまれに増えることがあるという。
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イトクタクサンノカミ,タタリ
1989年 長野県
イトク沢山の神といって、小さな石碑を祀ってある。そこで何かしていると、必ず後で病気になったり災難があったりするという。
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