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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

タヌキ
1915年 愛媛県
松山には八百八狸の大将がいたという。

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カミサマタチ
1974年 宮城県
神様たちが、「今からお産に行くが、その子の寿命は十八まで」と言っているのを聞いたので、おかんのん様がその家に行って八十八のお守りを書いてやったら、寿命が八十八まで延びた。
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アマンジャク
1982年 群馬県
弘法大師が霊場を捜して寺を建てる八十八谷を捜したが、アマンジャクが1谷隠してしまい、大師はあきらめて、八十八谷ある高野山に本山を開いた。
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ヤオビクニ,ニンギョ
1980年 和歌山県
八百比丘尼という尼が800年生きていた。八百比丘尼については次のようにも語られている。ある人が講の仲間に加えてもらうために人魚を持って来た。その人は長生きして800年生きていた。後に若狭へ行ったために、若狭では紀州の八百比丘尼という。
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ハッピャクビクニ
1973年 福井県
八百比丘尼は八百代姫(やおよひめ)と言う。元和5年に若狭の白玉椿というあたりで、夜な夜な舞い遊ぶ比丘尼の姿現れ、人に出会うと掻き消すように見えなくなることがあった。この場所はかつて尼が住んでおり、その霊魂と考えられたために土地の神職が祠を建て八百代の祠と名付けた。それからは怪しいものは出なくなったという。
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オニ
1991年 宮崎県
角がある異形の鬼八の首を、ある親子が跳ねて土に埋め、鬼八の美しい妻を連れ帰った。鬼八の首は地中で生き続けて祟り、妻を奪われたことを嘆いた。里人が一年に一人ずつ女を鬼八に差し出すと収まり、やがて鬼八の力も弱まっていった。
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ヤオビクニ,ヤオヒメ
1930年 埼玉県
日進村の櫛引という字には八百比丘尼が来た話が伝えられている。ここにきた八百比丘尼は2本の槻を植えていったという伝説があるが、今はもう枯れてしまってなくなっている。
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カタメノフナ,ナナフシギ
1929年 愛媛県
松山城付近、川の鮒は片目である。(松山七不思議)
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ニンギョ,ハッピャクビクニ
1974年 京都府
竹野郡乗原の大久保家が八百比丘尼の生まれた家である。この家の娘が人魚の肉を食って八百年生きた。同家付近の松並木や敷石も比丘尼がしいたものであるという。
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ヤクシサマ
1973年 富山県
薬師様は十月八日に出雲へ薬合わせに行き、四月八日に帰ってくる。
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ヤクシサマ
1973年 富山県
薬師様は十月八日に出雲へ薬合わせに行き、四月八日に帰ってくる。
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ハッピャクビクニ
1995年 愛知県
庚申講のお祭りでおがせという国に行ったら、人間の裸みたいなのを料理していたので、食べずに帰ったが、竹皮にその肉を包んで土産に持たされた。家に帰って一息ついているときに、娘の1人がその肉を食ってしまった。その娘はいつまでも年を取らず、橋爪の満願寺で800歳まで生きて、八百比丘尼と呼ばれた。万願寺には八百比丘尼の七つ椿が残っている。八百比丘尼は五郎丸という帆船で幅下の港からあちこちに行ったという。
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オヨウカサマ
1943年 山梨県
お八日様(師走八日)には目の大きい怪物(または1つ目)、厄病神が各戸を覗いて歩くという。
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ムラサキイロノミズ,ナナフシギ
1929年 愛媛県
松山市の木屋町北端の或る井戸水は紫色である。(松山七不思議)
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ハッピャクビクニ,ニンギョ
1957年 三重県
八百比丘尼という乙女は、十七の時草生の里に降りて人魚を食べることで不老の美貌を手に入れたが、孤独からか里に出なくなり、やがて故郷の草生で八百歳で死んだ。毎年元旦の未明には黄金の鶏が鳴くという。
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ニンギョ,ハッピャクビクニ
1960年 東京都
八百比丘尼が人魚の肉を食べて800歳の齢をもったということは、江戸時代の記述にもある。文化11年の『遊歴雑記』に八百比丘尼の建立したという庚申塔が中里村にあるという記述がある。
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ハッピャクビクニ
1975年 埼玉県
武蔵国足立郡水波田村慈眼寺仁王門の傍に榎の伐株がある。周囲2丈ほどで、筵6畳を敷く。これは若狭の八百比丘尼が植えた木だと言い伝わっている。ここに掘り出しの地蔵というものがある。その石櫃に八百比丘尼大化元年と彫ってある。寛保まで一千百余歳である。
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ヘンジョウナンシ
1973年 東京都
文政年間に、神田和泉橋通りに住む善八が、旅の途中、前方から15、6歳ほどの娘が急いで来たが、その娘が目の前で気絶した。善八が介抱すると目を覚まし、誘拐されて逃げてきたという。善八が彼女を送り帰したところ、恩を忘れぬようにと善八の所持品を所望したので、浅草観世音の御影を与えた。善八が江戸に帰ると家の新婦が出産していたが、孫の手にはかの御影が握られていた。書状を出して尋ねると、先の娘はそれ以前に病死していたという。観音の慈悲によって男子に生まれた変わったのだろう。
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テング
1921年 徳島県
藩士浅川八衛門は四人の仲間とともに力自慢をしていた。ある時訪れた見知らぬ小僧を八衛門が懇ろに迎え、障子襖を締め切って密談をしているので、母が覗くと小僧は天狗であった。以来天狗とともに八衛門の姿は消えたので、天狗になったといわれている。
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トウハチゴンゲン,テング
1995年 静岡県
天狗になった藤八を祀った藤八権現は戦時中、出征者の無事を祈願する人々で賑わった。日中戦争の時に大陸で道がわからなくなった人が、藤八権現のお告げで導かれて助かった、などという話がある。その人は北海道の人だった。
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ユルギイシ,ナナフシギ
1974年 高知県
四国遍路八十八ヶ所の三十八番、土佐の蹉跎寺の寺僧が海岸に望んで「御亀様御亀様」と呼ぶと、大小の亀が多く浮き出てきて、岸下に集まる。これは補陀落山の使者であるという。但し呼ぶと出てくる理由はわからない。
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タヌキ,コウシンシンパチ
1922年 徳島県
天正寺の庚申さんは神籤が良く当ると評判だが、これは庚申新八という狸の力という。新八が住んでいた庚申谷の近くには蜂須賀藩の火術指南北島藤蔵が住んでいたが、その流れ弾が新八の棲家に当り、眷属が多く殺されたので悪戯をはじめたという。子分に老婆や20位の女に化けさせて藤蔵やその弟子をだまさせたりした。また新八も道路を川と見せて、美女に化けて北島氏と相合傘で一緒に帰り、カサを卒塔婆と取り換えるなどしてだましたが、終いには北島氏に撃たれて死んだ。その死体は3日めにようやく狸に戻ったという。
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