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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カミサマ
1983年 愛媛県
小西家は三百年の長い伝統を誇る家柄であるが、ここの当主は正月元旦の雑煮餅を食べない。神様が当主の夢枕に立って「小西家は子々孫々栄えるが、当主の寿命は六一歳を越えない」とのお告げがあった。以来当主は年をとらないように正月の餅を食べなくなった。

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オコリヤマ
1982年 群馬県
ある家が火事になったりのは、当主がオコリ山の木を切ったのが原因だと言われた。
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カミカクシ
1974年 京都府
嘉永元年八月十九日、久美浜町の綱家の当主が氏神につれられて諸社順拝にでかけた。家の者が心配して探したが、三日目の早朝ひょっこり帰宅した。翌年の同じ日に再び当主はいなくなり、神の真筆の御神号などをもちかえった。
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イエノカイイ
1940年 福島県
ある酒屋の当主が死に、分家していた長女一家が継いだ。その後「奥座敷には行くな、醒い風が吹いてきて、話し声がしたり子供が走るような物音がする」と言われるようになり、家運も衰えた。一説には死んだ当主の母が上人を誑かして寺の宝物を奪った祟りだとも言う。
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ヘビ
1959年 岐阜県
正月16日に16歳の娘を池の蛇の人身御供に出す慣わしがあった。出した家には客があることに人数分の魚を蛇が置いていった。代々の当主はみな鱗が生えている。
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シロイキモノヲキタヒト
1993年 静岡県
富士川町矢所では正月三が日に餅の入った雑煮を食べてはいけない。祟りがある、病が流行るという。禁を破って食べたら、雑煮の鍋が引っくり返って家の人が火傷したことがあった。昔、白い着物を着た人が戌亥の方角(北西)から現れて、「正月三が日は雑煮を食べるな」と言って消えた、という。4日からは食べてもよい。
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(チヲナガスモチ)
1930年 山口県
昔、大晦日の晩、和佐(森野村)の民家に、毛利氏に追われた陶氏の落人が入ってきて、自害したいので家を貸してくれといった。気の毒に思った村人は家を貸し、供養してあげたいので言い置くことはないかと聞いた。落人は正月を待たずに死んでしまう心を汲んで、正月を祝ってくれるなといった。何年かたった後、正月に餅をつき雑煮を作って食べたものがいたが、その餅から血がたらたらと流れ落ちてきたので、それ以来村で正月に餅を食べるものはなくなった。陽暦の正月には廃れてきたが、陰暦では今もこれが守られている。
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モチ
1964年 福島県
正月に神に供えた餅が割れるとその一年は悪いことがある。
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テング
1969年 山梨県
法印さんと呼ばれた家の当主の母は祈祷をしていたが、1955年ごろ、病気のため止めた。昔天狗にあって東山梨郡の大岳神社に連れて行かれ、修行して祈祷師になった。
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ウジガミ
1943年 静岡県
氏神が正月の餅を食って死んだので、氏子は正月の餅を食わない。
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モチ
1930年 山口県
周防大島に追われて逃げてきた陶氏の部下が、正月は祝わないでくれと言い残して自殺した。何年か後、ある家で正月に餅を食べようとすると、餅から血が出た。
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モチ
1965年 岩手県
正月の焼けない餅を食べると火傷した嫁をもらうという。
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ロクブ
1984年 愛媛県
暮に餅を搗いていると六部が訪ねてきた。家の者はその六部が大金を所持していたので、殺して金を奪った。その祟りによるものか、翌年の正月は餅を作れなかった。以後、この家では正月に餅を搗くことをやめ、他家から貰って祝うようになった。他家に貰った餅は、一月十五日に餅つきをして返すことになっている。
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サギチョウノモチ
2000年 徳島県
正月15日の小正月に、正月飾りを燃やす左義長の火で、神に供えた小さい餅を焼き、家族で分け合う。この餅を食べると家族が健康であるという。この餅は左義長の餅という。
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ヘビ
1936年 岐阜県
ある庄屋の娘の元に若い男が通って来た。素性を明かさないので針に糸を付け男の着物に刺し、朝になってから糸を辿った。すると川の側で大蛇が苦しんでおり、死んだら家を守ると言った。以来家の当主の腋には鱗が3枚生えるという。
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ロウジン
1973年 富山県
碁を打ちに来る老人がいた。老人の家へ遊びに行き、ごちそうを食べて帰ってきたら三年たっていた。土産の魚をある娘が食べたら三百年も寿命が延びた。
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モチ
2000年 徳島県
正月15日の小正月は、若餅を搗いて神に供え、前日までに作っておいた左義長を燃やした火でその餅を焼く。その餅を食べると夏に病気をしない。
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ソセンノタタリ
1985年 愛媛県
筆者が高校1年のとき、下半身が麻痺する病気にかかった。病院をかえても治らなかった。四代前の財産を潰した当主がとりついていると言われ、百円を木の小箱に入れて拝みなさいと言われた。実行すると間もなく病気は治った。
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コジキ
1984年 愛媛県
正月に餅を搗いていると、乞食がやってきて餅を所望したが、欲深の婆さんが「これは餅ではない白石だ」と言って断った。それ以来、餅を搗くとみな白石に化してしまうようになったので、土地の者は餅を搗かなくなった。
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カッパ
1971年 茨城県
1965年頃までは、12月1日には思案餅もしくはカピタリ餅、カワッペリ餅と呼ぶ餅をついていた。うるち米は丸餅に、餅米はのし餅にして切り分け、焼いて食べたり、屋敷を出て最初に渡る橋まで行って、河童にやるといって橋の下に投げたりした。
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オニ
1935年 長崎県
正月7日、この日に鬼が年をとるという。
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ヒル
1981年 和歌山県
弘法大師が回ってきて餅を乞うたが、そこの人は「餅をやるから口をあけろ」と言って弘法大師の口の中に火を投げ込んだ。以来そこでは正月に餅を搗くと蛭が出てくるといって、餅を搗かない。
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