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検索対象事例

イヌヨセ
1964年 福島県
山いぬともおおかみともいわれるような、山の精霊あるいはその使いのいぬを呼び寄せて託宣を聞くいぬよせもあったという。

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イヌ
1988年 長野県
いぬが人についたことがある。
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イヌヨセ
1967年 福島県
いぬよせというものがかつてあったというが、今はほろびている。
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イヌ
1988年 長野県
いぬが人についたことがあるという。これをはらうためには祈祷したりした。
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ミサキ
1983年 岡山県
六口島では、溺死者の死体が漂着したり、変死者が出たりすると、その死体を運ぶときに「ここからいのうぞ、必ずいのうぞ」と声をかけないと亡霊のミサキが残るといわれている。
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インガミ
1963年 鹿児島県
いんがみ(犬神)が憑いている人は病むと言われる。憑いている人を世間では根性の汚い者としていた。
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キマ
1977年
人名に付ける丸というのは不浄を入れる器の事で、鬼魔がこれを嫌うために付ける。糞という字や穢多が穢名やいぬと付けるのも同じ理由である。
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ヨナキイシ
1929年 滋賀県
子供が欲しい夫婦が、毎晩天に向かって祈っていた。あるとき夜星が胎内に入る夢を見て妊娠して、男の子を産んだ。あるとき僧が来て、子供の泣き声が経に聞こえる。この子供をもらえないかと言った。その代わりに何でも叶えてくれる一つの石を置いていった。この石は夜中になると「丹生にいのう」と泣いたという。子供は大僧正になった。
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イヌガメ,イヌガミ
1933年 島根県
当地方では犬神(いぬがみ)系統の者をイヌガメモチという。犬神は75匹をもって一眷族だとする。犬神系統の者は系統遣と称せられて、婚姻を結ぶ者がいない。
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キツネ
1934年 兵庫県
師走に狐よせをすると、狐がよって来る。普段はお稲荷さんに供えた米一升を釜に入れるとサーというが、狐よせの時の米を入れると、ゴーという。
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ヤマイヌノヘヤ,オオカミ
1990年 長野県
ししが平には、山犬の部屋と呼ばれる岩穴がある。ここにはおおかみが住んでいて、子が生まれると村人は赤飯を祝いに持って行ったという。翌日、おおかみはきちんとお礼返しにやってきたという。
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アマンジャク
1979年 徳島県
忌部(いみべ、いんべ)の神があまんじゃくに命じて立石山へ大石を運ばせた。あまんじゃくはあまりに苦しいので、鶏の鳴き声が悪いと言って、石を3つ重ねたままどこかへ行ってしまった。それが平野に残る三つ石として残っている。あまんじゃくの石と言われるものも残っている。
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ネンブツイヌ
1974年 東京都
文化12年頃、江戸の本町河岸に奇妙な牝狗がいた。この狗は常に法師などが軒先で木魚を打ち鳴らして読経念仏していたら、その後に付いてワアワアと吠えながら数町も送りゆくという。人々は念仏いぬなどと呼んでいた。ある武家の人がこの狗を飼おうといてもらい受けた。鉦鼓読経の声も聞こえず、他の犬と変わらなく、数年して病気で死んだという。
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ヤマカガシ
1915年 愛知県
ヤマカガシが雷鳴のするとき天に昇っていくのを見たという話がある。また、神様のお使いだともいう。愛宕の使いとも、山の神の使いだともいう。
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(ゾクシン),タタリ,ショウリョウ
1935年 滋賀県
長期の病気は、何かの祟りとか、人の精霊のせいだとか言われた。人の精霊の場合は、憑いている人が祈祷の満願の日に病人の家に用もないのにやってくるものだという。
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ボンミチカリ,〔セイレイ〕
1991年 愛知県
三河で七日に行われるボンミチカリでは、山から精霊が来ると信じられている。
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イトダヤマノカミノタタリ
1979年 長野県
昔、此田で子守と赤子が山へ行って行方不明になった。それ以降、この山に関係するものに祟りが及び、山の持ち主は必ず死ぬかけがをしたり、山の木を伐った人は災難にあうという。これを糸田山の神といい、山の持ち主はこれを家に呼んで祀るようにする。この山はバチ山ともいわれている。
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ヤマオバケ
1988年 長野県
山には山お化けが出る。
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イタチヨセ
1964年 福島県
いたちよせは、鎮守の境内に燧岳神社の祭場をつくり、よりが中央に座る。のりうつる人は、最初は幣束をもって、のりと呪文を唱える。その周囲をいたちの神よせをする人たちが5人や10人で拝んでまわる。呪文は「だいけんにっそん日のー神、だいじょうがっそん月の神、しんとうかじ」と唱えて印を結び、「玉の如く、かがみの如く、つるぎの如く、清く美しく・・・」などと唱える。やがてよりの手がふるえてきて、すわったまま飛び上がったりし始めると、よりが乗り移ったという。本人は意識がはっきりしなくなっている。このとき質問すると問答のようにこたえるが、これをお託宣という。よりはだれもがなれるものはない。村人の中にやる人がいたが、燧岳に参拝して信心しても行が足りず、いたちがつかなくなった。いたちよせのとき、村人はのてっぽうの幹をとってきて、地面をたたきながらまわったという。女人禁制の儀式である。
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ヤマカガシ
1937年 愛知県
山かがしは家の神様のお使いであるという。家の近くの土手や倉の側などにいるのは、家の神様のお使いだからかまってはいけないと言われている。
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キツネ,(ヤマニデルヨウカイ)
1989年 長野県
山にはキツネが出るという。
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キツネ,(ヤマニデルヨウカイ)
1989年 長野県
山にはキツネが出るという。
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