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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

クロヌマ,カタメノフナ,カタハノアシ
1956年 宮城県
昔、黒沼のほとりに観音堂があったが、それを建てた満海上人は片目であったという。沼の鮒もみな片目で、芦も片葉であった。ほか、葦ヶ池の片葉の葦(白石市)、生出(おいで)八幡御手洗池の片目鮒と片葉芦(仙台市太白区生出),真野萱原の片葉芦(石巻市真野),蜂清水の片葉の芦(柴田郡柴田町舟追)。

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アシ,カタハノアシ
1956年 宮城県
敵の矢に眼を射られた鎌倉権五郎景政が、水鏡に映して矢傷を洗おうとしたとき、芦の葉が邪魔なので片葉を切り落としてから、すべて片葉となった。他にも多数伝わる(伝説なし)。仙台市南町裏の池、仙台市片平丁西側牢屋敷隣りの池、白石市柳町角田街道沿道田の中の池、白石市越河亀井清水、多賀城市市川鴻ノ池、宮城郡利府町神谷沢鏡ヶ池、黒川郡富谷町志戸田行神社御手洗池、石巻市真野萱原長谷寺の池、栗原郡金成町姉歯赤坂岩蔵寺堤、白石市葭ヶ池、柴田郡柴田町船迫清水、栗原郡高清水町勾当山。
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ギョウニンヅカ,ヒトミゴクウ
1956年 宮城県
広瀬川が深沼で海に注いでいたころ、川の流れが定まらず住民が水害に苦しんだ。1人の行人が、「土中で21日間鈴の音がしたら、流れが定まり水害はなくなる」といって生き埋めになる。住民が塚に節を抜いた竹をさして毎日鈴の音を聞いたところ、21日で絶えた。その後、川は名取川に合流して水害はなくなった。他にも行人塚あり。仙台市青葉区上愛子(生き埋め伝説)、仙台市青葉区川内(榎塚とも)、栗原郡高清水町経ヶ崎(行人万海が生き埋め、満開壇とも)、仙台市若林区北八番丁全玖院(詳細はC0310742)。
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サンジョウシミズ,コウボウシミズ
1956年 宮城県
この辺りは昔、水の不自由なところであった。弘法大師がここを通る時、貧しい家の老婆に水を所望したところ、親切に遠くから汲んで来てもてなしたので、大師は喜んで泉を授けて行ったといい、弘法清水と称した。今は涸れて涌かない。他に弘法大師と縁のある泉として弘法清水(仙台市若林区六丁ノ目)、弘法水(名取市秋保野尻)、弘法独鈷水(桃生郡河南町北村高福寺)、弘法井(石巻市田代島大泊松盛院)、毬清水(仙台市太白区鉤取栗木)がある。
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ウヤムヤノセキ、ヤマオニ
1956年 宮城県
仙台から山形へ越える奥羽山脈の笹谷峠、陸奥・出羽の境に中世の有耶無耶関がある。昔、山鬼が出没して旅人を害したが、一双の霊鳥が、山鬼がいると有耶となき、いないときは無耶とないて旅人に知らせたという。山形側のふもとの若松観音を有耶の観音、仙台側の笹谷観音を無耶の観音といい、霊鳥はその化身だった。
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リュウトウ
1989年 石川県
青竜が八手の観音に時々燈火を捧げる奇瑞があったので、龍燈山竜華樹院観自在寺と号すようになった。この観音は海から鹿に乗って出現したので渡鹿島観音ともいう。
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カリヤスミョウジン
1956年 宮城県
もと赤沼大明神といって沼のほとりに祀られた水神。昔、身に錦をまとい、宝冠を頂いた気高い1人の女行者が村に来て、一夜の宿りを乞うたが、見慣れぬ高貴な姿の上、出産間近い身重な様子を見て宿を貸す者がない。女が軒の下でもいいからと頼むと、年老いた夫婦が哀れに思って世話をしてやり、経塚で子を産んだ。この子は神であった。刈安草を敷いて生まれたので刈安明神という。このあたりは刈安草が多く、これを染料としたものは、他所のものと比べ甚だ佳品である。
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カンノン
1989年 広島県
昔、火事で観音堂が焼失した時観音像だけ探しても見つからなかった。村人が堂宇は再建したが観音像は安置しなかった。2年後の夏に子供が観音堂近くの滝で泳いでいる時に黒くなった観音像を滝つぼの中で見つけた。
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ヤマノテラドウウンジ
1956年 宮城県
昔ここに大菅谷、佐賀野という夫婦がいて、ともに容顔美しく老いを知らなかった。ある日、定恵が訪れて九十九峯、九十九谷の水清らかな地形を見、錫杖で地上に輪を描いてこれだけ地を貸してくれと言った。大菅谷が承知すると輪は広がり全部その中に入り、約束ゆえ夫妻は土地を明け渡して泉ヶ岳のふもとに移る。今その地を堂所という。定恵はその跡に蓮葉山円通寺を建て、一名を佐賀野寺、邑名を大菅谷保と称した。
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カンノン,ユメマクラ
1967年 福島県
相馬の松川にある夕顔観音は、夕顔に乗って海上を漂い、今の磯部の浜の鵜の尾岬についたという。そして村人の夢枕に立ち、白河の浜に着いたからその上の山に祀ってくれといった。観音を祀ると、いつの間にか傍に小石が生まれ出ていたので、それを観音様の生んだものときめて、お産の神として参詣が絶えないという。
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(ササウオ)
1980年 岐阜県
淡海立綱という人が浪花の蒹葭堂を訪ねた時に、飛騨の山川で獲れた笹魚というものを出した。それは少し笹の葉が変化しかかったものや、まもなく魚になるものまで集められていたという。
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スギ,ウバスギ
1956年 宮城県
鉄道が敷かれたときに伐られた姥杉が、夜な夜な泣いた。*他にも姥杉は多数あるが由来、伝承はない。以下に地名を記す。仙台市・川内仙台城本丸跡(今なし)、仙台市太白区長町茂ヶ崎旧大年寺楼門前、仙台市青葉区八幡五丁目山上清水姥神(今なし)、遠田郡涌谷町箆岳観音堂、栗原郡築館町双林寺。
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カタメウオ
1975年 兵庫県
摂津国川辺郡昆陽池の魚は皆片目である。昔、行基上人が1人の男が倒れているのをみつけ有馬温泉に誘ったが、男は動けず、鮮魚が欲しいと言った。上人が魚を見つけてくると、男は先に食べろという。上人が半分食べると、男は、身体に黒瘡があるので舐めて欲しいと言った。上人がそれを舐めたところ、男はたちまち薬師如来となって、上人を試すため病身となって現れたと言った。その魚の残りを昆陽池に放ったので、片目の魚になったという。
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センジュカンノン,ジゾウボサツ
1984年 愛媛県
養老年間に磯崎浦のある漁師が、突然大地からわき出てきた千手観音、地蔵菩薩の像を見つけて、出石寺を創建した。
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リュウジョ,ヤマンバ,ダイジャ
1995年 愛知県
各務原市の広沼には竜女が住み、妙齢の乙女になって里に出たり、山に入って山姥になったり、谷に出て大蛇になったりして、人や家畜を害して困らせていた。山で福富信蔵に矢傷を負わされて反省し、大安寺笑堂禅寺の済度を受けて白髪を剃り、八木山に登った。その白髪が苧に似ていたので、広沼を苧ヶ瀬池というようになった。
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コエ,モクゾウ,コウボウダイシ
1953年 福島県
昔村の狩人が鹿を追いかけて沢の奥へ入っていくと、ふいに草むらの中から「負って行け、負って行け」という声がした。たずねてみると弘法大師の木像であったので、背負ってきて太子堂に祀った。途中でささげの蔓にからまって大師様の目をついたので、今でも木像の片目から血が流れたような跡があり、それ以降村に生まれて人は誰でも片目が細い。
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ヌマノオンナ
1929年 岩手県
昔、吉里吉里の貧乏な漁夫は草刈に行って古沼のほとりで女に声をかけられた。彼女から姉への手紙と旅費を託され、途中道に迷いながらも秋田領で目的の女がいる黒沼に辿り着き、妹からの手紙を渡す。お礼に黄金の粒の出る挽臼をもらい、気がつけば体が空を飛び伊勢参拝に行く先発が居る仙台の宿の前に来ていた。
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オシドリ
2002年 栃木県
大町に六面に六地蔵を彫った五重の石塔があり、鴛鴦塚という。昔この辺りに猟師がいて、求食川上流の求食沼で、雄の鴛鴦を射止めて首を切り、体だけを持ち帰った。翌日同所で雌鳥を射止めると、その翼の下に雄鳥の首を抱いていた。之を見た猟師は発心し、本宮寺に入り、求食川の河畔に草堂を結び、鴛鴦夫婦の塚を設け、冥福を祈ったという。
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オカマシャ
1956年 宮城県
塩土翁神が塩を焼いたという四つの神釜を神体とする。一口は径四尺、三口は四尺八寸の鉄釜で竜神が献じたといいつたえ、今そこを釜渕という。毎年7月10日汐汲み神事を行い、海水を釜渕から汲んで神釜の水を替える。釜は初め七口ないし十五口あったとも。のち四方に散在し、二口は野田、一口は釜渕、四口は加美郡色麻村の四釜、二口は肝沢郡水沢の塩釜、一口は黒川郡富谷町志戸田、一口は仙台市石名坂円福寺にあるという。汐を駄送したとき、和加佐彦命が童形に化し、紫の腹かけを着けて牛を牽いた。牛はのちに石と化して牛石となり、藤のムチから根を生じたという。子供に紫色の腹かけを着せると丈夫に育つといわれる。
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オオタケ
1975年 静岡県
元禄の頃、駿河国府中の寺の庭に一夜の内に仮山のようなものができた。怪しんで見ていると、1両日たって、近くに竹林がないのに筍が生えた。そのうち竹に成長し、目算で3尺周りほどになり、見物人も訪れるようになった。寺の僧が竹を切ったので、人々は竹を配分して思い思いの器を作った。
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ハス,ツル
1973年 愛知県
三河国渥美郡鷲田村の百姓磯八が、6月11日に蓮の葉をとり、瓦野という場所で干していた。すると翌日4時頃から葉が次々と浮かび上がり、9時頃には150枚ほどにもなった。もはや上の方は見えなかった。その中から白い鶴が1羽降りてきて虚空に上がり、その後東から白鶴が3羽来て1羽は虚空へ、2羽はまた東に飛び去ったという。
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