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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

グハザウ,タタリ
1975年 京都府
宅間証賀法印という僧が、栂の尾で春日・住吉2神の像を写そうとした。明恵上人は、この像を写せば必ずたたりがあるからと法印を止めたが,法印は強いて模写した。すると法印は、都に帰る途中で落馬して死んでしまった。不思議な画像もあったものだ。

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タヌキ
1975年 静岡県
伊豆と駿河の間を行き来する僧がいた。この僧は絵が上手だったので、多くの人がそれを求めたものの、沼津で犬に噛まれて死んだという。その死骸を見ると、僧に化けた狸だった。
類似事例

キツネ
1977年 福島県
法印様が法螺貝で寝ていた狐を驚かせた。その後、明るかったのに急に暗くなり、法印様は一軒の家に宿を求めた。家には若い美人と老婆がいた。老婆に乞われて水をやろうとした法印様は、川にはまって死んでしまった。狐を驚かせたので。狐に化かされて死んだという。
類似事例

ウシ
1988年 奈良県
旅の僧が中峰山の神波多神社に泊まり、壁に1頭の牛を描いて立ち去った。その牛が抜け出して稲を食べるので、僧を追い掛けて伊賀上野から連れ戻し、松の木を描き加えて綱で繋いで貰った。この僧は狩野法眼元信だったという。
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センジュカンノン
1983年 大阪府
法海上人がいた頃に、どこからともなく客僧が来た。上人に仕え一夏の間香水をとり、九旬過ぎて去ろうとした時その賃を乞うたが、上人が与えなかったので、波の上に立ち、我はふだらく山の主なりと告げ、千手観音の姿となって飛び去った。上人は千手の像をつくり安置した。その霊験はあらたかという。
類似事例

タヌキ
1989年 静岡県
ある家に鎌倉某院の僧が来た。沼津で犬に噛み殺されたとき、正体を現して狸になった。その僧の書いた鷹などの僧画が残っている。
類似事例

テング
1976年 京都府
貞和の頃、ある僧が仁和寺の六本杉で雨宿りをしていると夜がふけて愛宕、比叡の方から輿に乗ったものが空を飛んできた。乗っていたのは春雅など既に死んだ人であった。死後怨念によって天狗になった人たちだろう。
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オニ
2004年 徳島県
法然が四国に流された時の話。兵庫の浦で,一行の舟が大波に遇う。どこからともなく赤白の二鬼が姿を現し,上人はこれを教化する。しばらくして,上人の所に二鬼が父母を伴って再び姿を見せ,教えを乞う。上人が十念と仏画を与えると,鬼の親子は山中の断崖から捨身往生を遂げた。上人は遺骨を取り集め,阿波に鬼骨寺を建立して菩提を弔った。
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タイシサマ
1931年 宮城県
道際にある太子様は、子供が好きな神である。子供たちが仏像を苗代に持ち出し引きずっていたのを法印がとがめたところ、かえって法印が病気になり死んでしまった。
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リュウ,テング
1974年 香川県
讃岐国の万能池にすむ竜が小蛇の形になっていた時、比良山の天狗が鵄の形となって持ち帰って洞内に閉じこめた。そこには一滴の水もなかったので竜はどうすることもできず死にかけていた。しかし天狗がまた一人の僧を拉致してきたが、その僧は手水をつかうところで水瓶を持ちながら洞内に入れられたので、竜がその水一滴を得て天上し、僧を元の房に帰したという。
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オイワケニョライ
1956年 宮城県
出羽国寒河江慈恩寺の覚明阿闍梨は、湯殿山の霊夢により弥陀の本尊造像を京の安阿弥快慶に頼む。快慶が精魂を打ち込んだ阿弥陀如来は会心の作で覚明に渡すに忍びず、いまだ出来ずと偽って覚明を帰したが、翌年約束どおりに訪れた覚明に渡すこととなり、名残を惜しみ近江の草津まで見送る。別れるとき笈を開くと、光明がさし一体の阿弥陀像は二体となっており、いずれが本仏とも化仏とも分明せず、二人は一体ずつ負って別れる。よって笈分如来とも身分け如来ともいう。覚明は南北に川が流れ、一本の菩提樹の生えている地を夢に見て、今の地に移した。他の一体は京都市下京区富小路六条角の蓮光寺にある。
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アミダニョライゾウ
1990年 長野県
浄雲寺の阿弥陀如来像は、通行人は下馬して拝んで通るほど霊験あらたかだった。ある時、武士が馬に乗ったまま通り過ぎようとしたところ、罰が当たって落馬したという。
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ムジナ
1939年 新潟県
夜道で生首や棺おけなどが出ても法師は平然としていた。ある時一つ目入道が出てきたが、帰宅した後、妻の顔が入道であったので、気絶してしまった。法師はこれが原因で亡くなった。遺言通り狢が出る辺りに法師を葬ると、翌日に狢と格闘した跡と狢の死体があった。
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リュウ
1988年 奈良県
池に竜が住み村人を食ったので退治することになった。池の堤でかがり火を燃やして騒いだが、竜は現れない。そこに通りかかった武士が池に矢を射込んだ。竜は武士をつかんで天高く昇って行った。やがて雷光がして真赤な雨が降り、竜の体がズタズタに裂かれて落ちてきた。村人は竜の屍骸を埋めて竜象寺を作った。武士はとうとう現れなかった。春日明神の化身であったと言う。
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トビカンノン
1984年 長野県
寺に落人が逃げ込んでいると言う噂が立ち、織田信長軍がその寺に火をつけた。数日して、村人が川の滝壷近くにあるこの寺の仏像を見つけた。火が熱いので御本尊が自ら川に飛び込んだと言われるようになった。
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アサクサカンノンノエイゾウ
1973年 東京都
享和年中、ある田舎人が東京見物に来て、浅草観世音に詣でるなどして過ごした後帰路に着いたところ、土手で泥酔した狂人に斬られた。本人もそう思い失神した。その後、息を吹き返した彼は、懐にしまってあった浅草観世音の影像を見ると、紙に刷ってあった御影が切れていた。これは観世音が身代わりとなったと思われた。
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チマミレノオビイ,ボウレイ
1984年 長野県
上人が乗る籠の先棒の足が動かなくなり、その先には比丘尼がいた。比丘尼は癩を病み巡礼に出たが、途中宿の主人に殺された。死体を崖に投げた男もいた。主人は行方不明に、男は自殺する。比丘尼の霊は恨みと巡礼半ばの悔しさで彷徨っていたが、上人が成仏させた。
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オソウズサマ
1968年 愛媛県
享保の頃、佐賀の僧が大僧都位をもらい京都から故郷に戻る途中で難破した。一命は取り留めたが、七条の袈裟を失った。袈裟は小浜に打ち上げられ、それを知った僧が取り戻しに来たが、拾得者はこれを返さなかった。僧は自殺し、拾得者は袈裟を売ろうとしたが立派過ぎて売れなかったので焼いてしまった。後、村に不思議が続出したので、僧の祟りだろうといい、「お僧都様」として祭った。
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キツネ
1999年 宮崎県
ある秋の日、永友法印という修験が、昼寝をしていた狐を法螺貝で脅した。そのまま行くと突然日が暮れる。おかしいと思って松の木に腰を下ろすと、葬列がやってきた。法印は松の木に登ってやりすごそうとしたが、葬列は松の根元に棺を埋めた。すると埋めたばかりの棺から幽霊が出てきて、法印のほうに登ってくる。つかまれそうになり、もはやこれまでと高い松の木から飛び降りると、1mくらいしかなく、いまだ真昼であった。けっして生き物をいじめてはいけない、と法印は話した。
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テング
1974年
ある人が狩野元信の家にやってきて天狗の絵を依頼した。しかし元信は天狗の姿を知らないので困っていたところ、夢の中に老翁がやって来て天狗の姿を現したので、それを元に6尺ほどの紙に描き、依頼主に送ったという。依頼主はそれを鞍馬寺に奉納しようとしたところ、急に雲や風が発生し、霊像が自然と鞍馬に飛び去ったという。
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(ヒカルヤマ),(カンノンゾウ)
1989年 長野県
円仁という僧侶が上野に行く途中で山が光るのを見た。帰りに寄って霊木を探すと、光る幹があり、大きな木があったので三体仏像を刻んだ。ところが三体目は途中で熱を持ち血が流れ出したので、途中で止めた。かんなくずには法華経を書いて埋めた。彫った観音様は、岩屋堂を作って祀って、帰ってしまったという。
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