オソキ水神 1965年 宮崎県 オソキ水神は子どもが好き。子どもが河原や神社の境内で遊んでいるとよく現れるし、子どもの帰るときには見送ってくれるという。
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(コドモノユウレイ) 1971年 福島県 子どものお棺に六文銭を入れてやらなかった。子どもが買い物に来るが、いつもその子どもだけが買えないで見ているという話を聞いて行って見たら、自分の子どもだったという。後になって掘ってみたら金を入れてやっていなかった。だから忘れずに入れなければならない。
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ホウインサマ 1964年 福島県 病弱な子どもは法印様に名前を改めてもらうとよいという。
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カッパ 1980年 秋田県 5~6歳の子どもがよくカッパに取られてはらわたを食われたので、魚とりのヤスでカッパを捕まえた。もう子どもを取らないと約束するので許してやった。以来、子どもが溺れることはなくなった。
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テング 1972年 千葉県 ある子どもが東茂原のある橋で天狗を見た。その子どもは頭が悪くなって死んでしまった。
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ジゾウサマ,カミサマ 1985年 新潟県 お宮の神様は子どもが好きで、お宮の池で船を出して子どもと遊んだ。お地蔵様も一緒に遊び、子どもがいたずらをしてもばちがあたることはないという。
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カミサマ 1985年 新潟県 子どもが集落の宮様の神様を引っ張り出して雪の上で遊んでいるので叱ったが、神様は「子どもと遊ぶのが楽しい」と言った。
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(コドモガマヨッタトキ) 1965年 宮崎県 子どもが迷ったときは願立てをするといい。その効なくして子どもが死んだときは、その子の着物の裾をもって、逆さまに振るといい。
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シンダコドモノタマシ 2001年 青森県 日が暮れて暗くなってから自転車に乗って帰っていたところ、前を青い姿の子どもが歩いていた。しかし、いくらこいでもその子には追いつけなかった。家へ着くと、オバサンの孫が死んでいたことが分かった。その子どもは、死んだ子どものタマシだったのである。
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キツネ 1954年 栃木県 山の神様の怒りで、子どもが狐に殺されることがある。母親が抱いていてもいなくなり、子どもは囲炉裏で死んでいる。
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ヤマノカミサマ 1954年 栃木県 山の神様の怒りで、子どもが狐に殺されることがある。母親が抱いていてもいなくなり、子どもは囲炉裏で死んでいる。
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シラセ 1964年 不明 子どもが生まれるとき、産の神の来訪を告げる知らせがあった。
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(ゾクシン) 1964年 不明 子どもが生まれたとき、橋をわたらず3軒とか7軒のせっちんに参ると子どもが無事育つ。
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カラス,コウマレガラス 1984年 福井県 「子生まれガラス」といって、烏がたいへんにぎやかに鳴くと、どこかで子どもが生まれる。
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カラス,コウマレガラス 1984年 福井県 「子生まれガラス」といって、烏がたいへんにぎやかに鳴くと、どこかで子どもが生まれる。
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ヤマノカミ 1941年 岐阜県 山の神は子どもの神なので、子どもが病気になったときは提燈をともして祈ると全快するといわれている。また、山神は狐だという人もいる。
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ウマレカワリ 1984年 福島県 亡くなった人の足の裏に墨で名前を書いておくと、赤ん坊に生まれかわったときに足の裏に名前のある子が生まれる、生まれかわりの人には痣がある、という。
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レイコン 1942年 沖縄県 子どもが衰弱して病気になるのは、霊魂が体から抜け出したからだという。
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カミカクシ,カクシガミ 1984年 新潟県 子どもが夕方に「かくれんぼ」をすると「神かくし」にあった。夕方に、外で泣いていた子の声が聞こえなくなり、子どもがいなくなった。探すと川の淵に浮いていた。「かくし神」にあったものだという。その淵はその子の名を取って「ウシ淵」という。
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ミイデラノカネ 1941年 滋賀県 昔、三井寺で鐘をつくるときに、ある長者の家では子どもなら三人でも出すけれど、金は一銭も出さないと断った。同行衆は帳面に子ども三人と書き加えた。いよいよ鐘を鋳るときになると、長者の子どもは三人とも急死した。今でも三井寺の鐘には子どもの形がついている。
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ヤマイヌ 1991年 静岡県 子どもを連れた山犬は恐ろしい。
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