■研究活動 共同研究 2006年度

近代東アジアにおける知的空間の形成 -日中学術概念史の比較的研究-

20世紀末以来、グローバル化と反グローバル化が交錯するなかで、「知の革命」が静かに展開されている。近代性がジレンマに陥ったことによって、従来の学術概念、言説、理論は様々な思想的、現実的問題に対応できなくなった。ポストモダニズムの擁護者たちは「知の考古学」の名の下で「近代知」を根底から覆そうとしている。一方、モダニズムの擁護者たちは近代性という基本理念を前提としながらも、「近代知」を再構築することの必要性を認めざるをえなくなった。こうしたことを背景に、ヨーロッパ、日本、中国の異なる学術的空間において、学術概念についての比較研究が盛んになっている。  日中両国はいずれも漢字という道具を用いて西洋/近代文化を受容した。近世とりわけ近代以降、両国はそれぞれ独自に西洋の学術概念を受け入れた。しかしながら、明治期日本の急速な近代化にともない、一九世紀末二十世紀初期に大量の和製漢語が中国に伝わり、それを抜きにしては近代中国の「知」を語ることができない。しばしば指摘されるように、学術概念の翻訳と紹介は「言語横断的実践」(translingual practice)である。文化的コンテクストの相違により、翻訳者自らの主観的理解と解釈により誤訳と誤解が生じる。これは西洋の作品が漢字文化圏に紹介される際にのみ生じる問題ではなく、漢字を共用する日中両国の間でも、和製漢語で表記される学術概念が中国に逆輸出される際にも生じる問題である。言い換えれば、近代東アジアに形成された漢字を媒介とした共通の「知の空間」にも内在的相違を孕んでいる。  本研究の目的は、いままでの研究成果を踏まえたうえで、近代東アジアにおける「知の空間」の同一性と非同一性、具体的には、日中両国における学術概念の形成過程について考察することである。近代東アジアにおける知の空間の同一性と非同一性の考察は、日中両国において「近代性」がどのように形成され、知の空間が両国における歴史意識の形成や近代的世界観の形成にどのような影響を与えたかなどの問題の解明に寄与することが期待され、また、二十一世紀東アジアにおける開放的かつ包容力のある知の空間の形成に歴史的・学術的背景を提供することも期待される。

代表者 孫 江 静岡文化芸術大学文化政策学部 国際日本文化研究センター ・助教授客員助教授
幹事 劉  建輝 国際日本文化研究センター研究部・助教授
班員 荒川 清秀 愛知大学国際コミュニケーション学部・教授
岩月 純一 一橋大学大学院言語社会研究科・助教授
石川 禎浩 京都大学人文科学研究所・助教授
井上  健 東京大学大学院総合文化研究科・教授
王  暁葵 愛知県立大学外国語学部・客員助教授
岡田 建志 静岡文化芸術大学文化政策学部・助教授
緒形  康 神戸大学文学部・教授
上垣外憲一 帝塚山学院大学文学部・教授
川島  真 東京大学大学院総合文化研究科・助教授
川尻 文彦 帝塚山学院大学人間文化学部・助教授
川本 皓嗣 大手前大学・学長
姜  克実 岡山大学文学部・教授
黄  東蘭 愛知県立大学外国語学部・教授
坂元ひろ子 一橋大学大学院社会学研究科・教授
砂山 幸雄 愛知大学現代中国学部・教授
戦  暁梅 東京工業大学外国語教育研究教育センター・助教授
孫  安石 神奈川大学外国語学部・助教授
高柳 信夫 学習院大学外国語教育研究センター・教授
竹村 民郎 元大阪産業大学客員教授
田中比呂志 東京学芸大学教育学部・助教授
単  援朝 崇城大学総合教育部・教授
陳   捷 国文学研究資料館文学資源研究系・助教授
陳  力衛 目白大学人文学部・教授
陳  継東 武蔵野大学人間関係学部・助教授
テレングト・アイトル 北海学園大学人文学部・教授
十重田裕一 早稲田大学文学学術院・教授
並木 頼壽 東京大学大学院総合文化研究科・教授
橋本 行洋 花園大学文学部・助教授
村田雄二郎 東京大学大学院総合文化研究科・教授
茂木 敏夫 東京女子大学現代文化学部・教授
安田 敏朗 一橋大学大学院言語社会研究科・助教授
八耳 俊文 青山学院女子短期大学教養学科・教授
吉澤 誠一郎 東京大学人文社会系研究科・助教授
李  暁東 島根県立大学総合政策学部・助教授
李   梁 弘前大学人文学部・助教授
林  少陽 東京大学大学院総合文化研究科・特任助教授
稲賀 繁美 国際日本文化研究センター研究部・教授
鈴木 貞美 国際日本文化研究センター研究部・教授
園田 英弘 国際日本文化研究センター研究部・教授