キツネ 1990年 大阪府 白狐が100年以上生きると霊狐になる。男の狐は300年生きる。女の狐は子を生むので100年である。大和川改修工事のとき浅香の狐と力を合わせて反対運動に加わった勇敢な狐がいた。この狐がちょうど300歳になっとき、猟師と戦って相打ちになった。ここに住む狐はどれも誉や特色を持っている。
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〔イキイシデンセツ〕 1986年 大分県 石が生きている。
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カッパ 1999年 宮崎県 河童の腕を木城の比木神社へ奉納した。
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タヌキ 1978年 徳島県 一番坂の狸は若い女に化けて出る。「作さん」という男が晩に一番坂を歩いていると若い女が出たので、手を掴み、家まで無理やり連れていった。「殺してやる」「もう人を化かさんから許してくれ」と問答していたところ、嫁が仲裁してやり、狸は逃げた。
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キツネ 1995年 滋賀県 盆や正月などにご馳走をもらって帰るとき、狐が現れる。気がついたときには重箱のご馳走が空になっている。
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キツネ 1982年 宮城県 乞食がご馳走をもらっての帰り、狐に化かされてご馳走と馬糞をすりかえられた。
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オニ 1970年 鳥取県 昔、鬼が出て人を食ったりして暴れていた。鬼が出る雪の晩、若い娘が宿を求めてきたので泊めてやり、鬼の話をしたところ、娘はヒイラギの葉を戸口に打ち付けて豆を撒いた。すると鬼は逃げていった。翌朝、娘はいなくなっていた。神様であったという。
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キツネノハナ,キツネ 1938年 長野県 夕方、狐の花をとるとその晩狐に化かされると言われている。
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キツネ 1998年 奈良県 婚礼のご馳走を重箱に入れてもって帰る途中、狐に騙されて、畦道に座って芝居見物をした。気がつくとご馳走はすっかりなくなっている。そういう話が昔はよくあった。
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キツネ 1931年 長野県 秋の終わりのころの寒い朝、通りがかりの人が川の中を老人が這って歩いているのを見た。狐に化かされ油もすっかりなめられていた。老人は田の草を取っている気がしたのだという。
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キツネ 1993年 岩手県 ご馳走をかかえて歩いていた人が、ふと気づくとご馳走がすべて木の葉になっていた。きつねの仕業。
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カッパ 1915年 東京都 合羽坂という坂がある。坂の下で低い土地にある池に河童が住んでおり、時々坂のあたりに出たために、坂の名になったという。
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キツネ 1995年 愛知県 ある人が、ご馳走をもって葬式から帰ってくる途中、道が分らなくなり、結局崖から落ちてしまったという。それは、ご馳走を目当てにしていた狐の仕業だといわれている。
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オオニュウドウ 1981年 京都府 六地蔵では奈良街道沿いによく狸が出た。林千賀さん(明治四十三年生まれ)は、子どものころ近所の青年が、夜になってからこの街道の町はずれで大入道に会った、と青い顔をして逃げ帰ってきたのを覚えているという。
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キツネ 1974年 栃木県 60歳くらいのお婆さんが狐に化かされて、橋の下の川原を歩かされていた。本人は街道を歩いているつもりだった。
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ケンテセイ 1980年 カツホという地に住むある老人は、特異な体つきをし、いつも蝦蟇のように腹が鳴った。見底勢という医者が診療したら、苦しむが30年は生きるものの、その寿命を若く死んだ者にあげるよう薦める。老人が承知したので老人の口と若者の鼻に管をさし、老人の背中に藥を張り、若者の背中に鍼を刺す。すると老人は死に、若者は復活したという。
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タマシイノタテルオト 1944年 岩手県 魂は死んで100日(1年、33年とも言う)経つまでは家の軒から離れない。それで100日間は精進する。戸の開く音やすたすた歩く音が聞こえることがある。これを「魂がきた」と言う。
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ロクシャクボウズ 1996年 石川県 六尺坊主が出たと言われる坂がある。
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キツネ 1972年 長崎県 宮浦の峠に、狐がたくさん出た。ある日、老人が赤牛を連れて峠に行くと、ツワの葉を体にたくさん付けた狐がいた。老人は狐が化かしていると思ったが、そのときにはもう化かされており、どこか違う家の書斎に居る気になっていた。そこへ人が通りかかり何をしているのかと問いかけると、老人は牛のしっぽに掴まって「狐だ」と言っていたという。
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モモエダノマツ 1938年 鳥取県 この松に関する話は色々あったが、今は知る人もいない。
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ヒタチボウカイソン 1931年 宮城県 阿子島屋という古い呉服屋にいた老人は超長寿で、甲州流の秘法とされる戦場沓の製法を知っていたり、元禄3年に107歳で死んだ天鑑和尚が15、6歳の頃にはすでに老人で経を教えていたり、家康の時代に暦にすでに暦の誤りが指摘されていたことを知っていたり、元禄5年の火事を呪文で水を呼んで鎮めたりしたといわれている。元禄6年に死んだと言われているこの老人は常陸坊海尊だと信じられている。
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