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検索対象事例

ヤマンバ
1983年 愛媛県
山中にヤマンバがいて、村で婚礼などがあると食器や膳を借りに行った。返す時に食べ物の残りがないように洗って返すとひどく怒った。ある年の大水でヤマンバの家が流された後に、小祠を建てて祀っていた。

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ヤマンバ
1985年 愛媛県
山中にヤマンバがおり、村人は婚礼などがあると食器や膳を借りに行った。返す時に、食物の残りがないようにきれいに洗うと、ひどく怒った。ある年の大水でヤマンバの家が流され、村人は小祠を建てて祀った。
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ヤマンバ,(ヤマニデルヨウカイ)
1990年 長野県
山にはヤマンバが出るという。
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ヤマニデルヨウカイ,ヤマンバ
1987年 長野県
山にはヤマンバがでる。
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ヤマンバ
1990年 香川県
大きな女が年をとるとヤマンバになる。夜、山番が、ヤマンバの声を聞いたという。
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ヤマオジ,ヤマンバ
1985年 和歌山県
セマオジやヤマンバもいたという。
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ヤマンバ
1983年 東京都
「ヒノバラクジがあったからこい」と呼ばれてついて行くとヤマンバの住みかで、そこに行くとつかまって殺される。ヤマンバの住みかにはウスなどがある。
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ゼンザエモンイド
1985年 長野県
井戸があった。心がけのよい人が膳を借りに来ると、翌日には用意されていた。それをきちんと返さなくてはいけなかった。ある時強欲な人が借りて、返さなかったことがあり、以来井戸から膳が出てくることはなかった。
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ヤマンバ
1977年 京都府
一月十五日は「ヤマンバ(山姥)正月」で丹沢美山町地方では昔から、この日の朝早くヤマンバが子供達のために山々の谷川に餅を流してくれると言い伝えられている。
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ヤマンバ
1991年 京都府
1月15日をヤマンバ正月と呼び、この日朝早くヤマンバが谷川に餅を流すと伝えられている。「明日の朝早く起きなさい。餅を拾っておくから」と言われて子供たちは楽しみにする。
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カッパ
1989年 長野県
村で必要なものを、大和見淵のかっぱに頼んで借りていた。ある時、返す約束をしていたのに返さなかったら、かっぱが怒って二度と貸してくれなくなった。
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ジュウゼンブチ
1989年 長野県
じんごんの橋の上に十膳淵はある。村人が膳を欲しいときは、淵に行って必要な数を頼むと、翌朝には揃っていた。皆借りて使っていたが、欲深な者が十膳借りて九膳しか返さなかった。それ以後、誰が借りに行っても貸してくれなかった。
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オトコ,ヤマンバ
1976年 長崎県
娘が心安くなった男の着物の裾に男は虫になり山中の穴に入った。男はヤマンバの子で娘の腹に虫を宿したと語ったが、ヤマンバに桃の酒、菖蒲酒、菊酒を節句に飲むので下されると言われていた。
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オナンブチ
1989年 山梨県
オナンという下女がいて、お膳かお椀を壊し、主人に怒られてオナン渕に身を投げて亡くなった。その霊がいるので、「お膳を何人貸してください」という手紙を流すとあくる朝にはその通りお椀とお膳が浮いていた。しかしずるい家があり返さなかったので貸してくれなくなった。その返さなかったお膳というのが光照寺にある。
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(ワンカシブチ),カッパ
1991年 山梨県
お地蔵淵は別名巴淵ともいい、底の岩の根に河童が住んでいた。村の人寄りの時には膳椀を貸してくれたが、ある時、お膳を返さない人がいて河童は怒ってそれ以来貸さなくなった。その人は謝罪のためにその膳に商売道具のノミを1丁載せて返したがききめがなかった。
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ヤマンバ
1981年 香川県
イトマキという峠の頂上には糸まきの形をした田んぼがあり、昔ここでヤマンバが糸を巻いていたという。そしてヌノハエバというところで機を織っていたという。バガタニというところでは昔ヤマンバが出たといい、子供が神かくしにあうことをヤマンバニサソワレルと言う。
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ヨウカナイヤマ
1982年 新潟県
貧乏な木こりが用かないやまへ仕事に来て、一休みした松の根元で、フルマイのことを考え、お膳お椀が10人前も揃っていたらと、ひとりごとを言う。翌日その松の根っこに希望のお膳とお椀が揃えてあり、3日のうちに必ずこの場所に返すようにと書いた紙切れもあった。その話が村へ広まって村人も借りるようになり、その山は用かない山と呼ばれるようになった。ところが、欲の深いおばばがお膳やお椀を借りたまま返さなかったら、もうどんなに頼んでも貸してくれなくなった。
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(ワンカシブチ)
1987年 山梨県
都留市鹿留町のおなんガ淵では、人寄りがあって多数の膳椀が必要の時、淵か川に行って頼むと、翌朝それだけの数が岸の岩の上においてある。用済の器具はよく洗ってお礼を言って岩に置くといつのまにかしまわれる。しかし、心のよくない者が返すときにその数をごまかしたり、壊して返したのでそれからは頼んでも貸さなくなったという。10人前借りて返さなかった5人分の膳が、今でも民家と夏狩の宝鏡寺に保管されているが、黒い漆塗りの膳に朱で稲穂の絵が描いてあるという。
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ショッキ
1943年 香川県
諏訪神社の祭日にお客が多いので食器に困っていた。祭日の前日神社に参ってそのことを告げると、祭日の日には神社の洞穴の前に食器がちゃんと出してあった。使い終わるとその夜返しにいくことになっていたが、ある家が食器をこわし、わびもしないでそのままかえしたので、それからは食器が借りられなくなった。
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リュウグウ
1943年 群馬県
寛平元年に大洪水があり、水がぬけた跡が大きな沼となった。龍宮城へ通じているといい、灯りがともったりした。手紙を書いて流せば、食器を貸してくれた。返すときも手紙に書いて流せば、椀はひとりでに沈んだ。ある者が借りた盃を1つ返さなかったところ、二度と貸さなくなった。その者の家では、盃を家宝としている。
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リュウ,タタリ
1990年 長野県
かま沼には昔竜が住んでいて、人の欲しいものを何でも用意してくれた。しかしある時、借りたお膳の足を折ったままで返したら、その家の人に祟ったという。
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ヤマジョロウ,ヤマンバ,ユキンバ
1985年 愛媛県
ヤマンバをヤマジョロウとも呼ぶ。奥山に住み、人の子をさらう恐ろしい老婆である一方、豊作や幸運をもたらす。一二月のヤマンバの洗濯日に洗濯をすると暴風が起こり、その家の子をさらっていく。雪オンバ・ユキンバとも呼ばれる。
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