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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ハチメンダイオウ,オニ
1990年 長野県
有明山のふもとに住んでいた弥左衛門は薬草を採りに行って、そのまま八面大王という鬼にさらわれた。妻は1人で幼い息子の弥助を育て、弥助はやがて立派に成長した。ある年、弥助は大きな山鳥を助けてやった。それから3日、美しい娘と知り合った弥助は、その娘を嫁にした。春になると、また八面大王が暴れるようになり、坂上田村麻呂がそれを征伐しにきた。

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ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
有明山のふもとに住む弥左衛門は息子の弥助が幼いうちに八面大王という鬼にさらわれた。立派に成長した弥助はあるとき大きな山鳥を助けた。それから3日して弥助は美しい娘を娶った。そのうちまた八面大王が暴れ始めた。坂上田村麻呂が観音堂で祈ったところ、特定の山鳥の尾を矢にするよう言われた。その話を聞いた弥助は悩んだが、嫁がそれを持ってきた。嫁は山鳥の化身であり、その後姿を消した。その矢で八面大王は退治された。
類似事例

ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ
1990年 長野県
将軍の命令により、弥助も山鳥の尾を探した。褒美をもらって嫁に着物でも買うつもりだったが、見つからなかった。嫁は話を聞いて探しに出かけ、翌日山鳥の尾を持ってきた。嫁は山鳥であり、魂のこもった尾を弥助に差し出して消えた。弥助はそれで矢を作り、将軍に捧げ、それで八面大王は退治された。弥助の家には褒美の品々が運び込まれたが、弥助とその母親は呆然とするばかりだった。
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モミジオニビト,ハチメンダイオウ
1976年 長野県
もみじ鬼人と八面大王は夫婦の鬼で仲が悪い。坂上田村麻呂に八面大王が退治される。もみじ鬼人は退治するのに大変苦労したが、3本目の矢が命中し、泣きながら帰っていった。
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ゴンダラ
2001年 青森県
ある漁村に孫助という若者がいた。ある日、大きなごんだらが網にかかると、孫助はこれにひきずられて海中へ引き込まれて行方不明となってしまったが、暫くして海を泳いで帰ってきた。すると、1年程経ったある日から、晩に女が訪ねて来るようになった。だが、そうなってからというもの、孫助は日に日にやつれていってしまう。和尚に相談してこの女に毒針を刺してみたところ、その正体は大きなごんだらであった。
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クツアト
1984年 長野県
荒武者であった新助は、あるとき暴徒に襲われて最期を遂げた。新助の沓跡といわれる石がある。弓の達人であった新助が矢を射るときに踏まえたい石に沓跡が残っている。
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サケノダイスケ
1966年 山形県
昔、村の鮭川に鮭の主がいた。毎年秋になると「大助・小助・大助・小助」「大助のぼれ、小助のぼれ」と声がして鮭がたくさん川を上ってくる。
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(ニンジュツツカイ)
1974年 愛媛県
炭焼きという所の門田の早助は、忍術が使えた。ある晩、夕食中に一晩で金毘羅様へいけるかという話になり、早助は金毘羅さんへ出かけた。11時頃に護摩札を背負って帰ってきた。皆は嘘だろうと言ったが、早助は背中のお札を見せたという。
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トウスケブチ
1956年 宮城県
藤助が渕で釣りをしていると水底から呼びかけられた。声の主は長年渕に住んでいる鰻で,「明晩賢渕の蜘蛛が攻めてくるので声を立てないでほしい,負けてしまうから」と藤助に頼んだ。明晩合戦が始まると藤助は余りの恐ろしさに声を上げてしまい,鰻が負けた。その時鰻の首がものすごい形相で睨んだので,藤助は気が狂って死んでしまった。以後藤助渕と呼ばれるようになった。
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タネノトウスケ,キツネ
1981年 鳥取県
種の藤助という家の嬶さんは狐だった。藤助の家の田は、助けた狐の子が恩返しによその田でできた米をくわえてもってきたので豊作になった。
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テング,ウジガミサマ
1973年 山梨県
渡辺弥次右衛門が大和田山へスズ竹を取りに行き、その荷を背負って休んでいると後ろから何物かが来て弥次右衛門を放り投げた。弥次右衛門は倒れたまま気を失っていたが、しばらくするとまた何物かが来て引き起こしてくれた。放り投げたのは天狗で、引き起こしてくれたのは氏神様という。
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キツネモチ,キツネ,チュウギヤクロウ
1922年 島根県
柚木弥九郎という百姓が、庄屋や蔵元の不正を上書した。調べに来た役人の1人は狐持で狐を使って弥九郎に口をきかせず炮烙の刑に陥れた。各戸に燃料の割木が課せられたが、N家のみは思い応じなかった。翌年大火事があり、彼に善意を持った者以外全焼した。村が霧に包まれた年はN家の谷あいだけ農作物が良く出来た。刑場で弥九郎に「おまえも一通りの悪党だ」と言った某は、弥九郎に火の中から「御礼に行くから忘れるな」と言われ、その夜に炉中に倒れて焼死した。屋根の上では笑声がしたという。
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コウヤケノフチ,ダイジャ
1963年 愛媛県
黒蔵の関助が木を伐っていると斧が飛び、中の川谷にある公焼の淵に沈んだ。斧を取りに淵底に行くと御殿があり、姫が斧を返してくれた。以来、姫は毎年土佐へ向かう途中、必ず関助の家で一泊するようになったが、部屋を覗くことは禁じられていた。ある年、関助が禁を破り部屋を覗くと、部屋いっぱいに大蛇がいた。姫は二度と会わないと言い残して去り、関助の家はその後没落した。
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ユウレイノシュッサン
1956年 宮城県
藩政時代,金山邑主中島伊勢の家臣に四十九院(ツルシ)弥五左衛門という侍がいた。隣家の美女に懸想され,当惑していた。ある春の斗蔵山の観音様の祭礼の時,娘が弥五左衛門に恋情を訴えると彼はかっとなって娘を斬りすててしまった。ところがその後,夜毎に娘の亡霊が現れて切なさを訴えるので,余りのいじらしさにいつしか娘の亡霊と契る仲となってしまった。ある夜亡霊が「身重になった。赤子が生まれるから育てて頂きたい」と懇ろに頼んで消えてしまった。それから一周忌の頃に弥五左衛門が娘の墓参に行くと,地中から赤子の鳴き声が聞こえる。掘ってみると棺の中で生まれたばかりの赤ん坊が泣いていたので,連れて帰って大事に育てた。この事が藩侯の耳に達し,惨殺の罪を罰せられぬばかりか,奇特な事として禄をも与えられた。その子孫は今も四十九院を姓にしている。
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ミサキサマ
1975年 高知県
馬之助という子供が山奥へ捨てられ死んだ。それ以降親や親族が次々死に、ミサキ様として祀ると鎮まった。ところが大正の頃、子供や人が死んでは生き返るという事件が起こった。馬之助が祈願を求めているということになり、馬之助大明神として祀った。
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ヤマノカミノバツ
1922年 京都府
例年1月15日は山の神様が柴の種をまく日であるから山へ登ってはいけないとされてきた。しかし40年ほど前、孫助という変わり者がその日に山へ登り、行方不明になった。翌年の夏、滝壷で孫助の衣類が発見されたが死体は見つからない。
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キツネ
1989年 鳥取県
大山の麓の種原で魚売りの商人が大勢の狐に襲われ、木に登って逃げた。「藤助のかかあを呼んでこい」という声がして、大きな古女狐が来た。商人は襲ってきた女狐の額をカナリョウで打ち、女狐は死んだ。種原の藤助は妻が狐とは知らず、田植えができずに困っていたので、仲間の狐が一晩で植えてやった。藤助の稲は穂が出なかったが、刈り取ってみると茎の中から米が沢山出て、分限者になった。
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イエナリ,タタリ
1923年 愛知県
針綱神社の老木を切ったら、夜に家鳴りが続いた。その家の盲児千之助に何かがとりつき、自分が住んでいた木を切ったからだと告げる。千之助はやがて修験者になった。
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トウスケブチ
1956年 宮城県
牛越橋下の渕にヌシの大鰻がいる。岸に住む藤助という者が渕で釣りをしていると、渕の底から藤助を呼ぶ声がして、明晩賢渕の蜘蛛が責めてくるから必ず声を立てるな、そうすればおれが勝つから頼む、という。合戦が始まった時、藤助は恐ろしさの余り約束を破ってあっと声を立てたので、鰻が負ける。
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キツネ
2000年 東京都
浅草観音の境内に弥惣左ヱ門稲荷という社がある。熊谷弥惣左ヱ門という飛脚が罠に掛かって死に狐となった。これを祀ったものと言う。
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レイキ
1973年 北海道
文政8年に松前の東蝦夷地アツケシで、長さが2間にあまり、幅が1丈もある大きな亀(スッポン)が獲れた。この亀は惣助なる漁の請負人に涙を流した。惣助や捕獲した人々は心動かされ、亀を放した。するとその後、近年の不漁が嘘のように豊漁となったという。これは惣助の陰徳だと思われた。
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(フシギナオト)
1988年 奈良県
猟の好きな藤助という男が猟犬と、鳥屋の中で獲物を待っていると、ドーンという不思議な音がした。飛び出してみたが何も見えず、藤助は鉄砲を撃ち尽くして息絶えてしまった。猟犬が藤助を鳥屋の中に運んだが、火縄銃の火が燃え移って黒焦げになってしまった。村人は非業の死を哀れみ、藤助地蔵を作って祀った。
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