国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

キツネモチ,キツネ,チュウギヤクロウ
1922年 島根県
柚木弥九郎という百姓が、庄屋や蔵元の不正を上書した。調べに来た役人の1人は狐持で狐を使って弥九郎に口をきかせず炮烙の刑に陥れた。各戸に燃料の割木が課せられたが、N家のみは思い応じなかった。翌年大火事があり、彼に善意を持った者以外全焼した。村が霧に包まれた年はN家の谷あいだけ農作物が良く出来た。刑場で弥九郎に「おまえも一通りの悪党だ」と言った某は、弥九郎に火の中から「御礼に行くから忘れるな」と言われ、その夜に炉中に倒れて焼死した。屋根の上では笑声がしたという。

類似事例(機械学習検索)

ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ
1990年 長野県
将軍の命令により、弥助も山鳥の尾を探した。褒美をもらって嫁に着物でも買うつもりだったが、見つからなかった。嫁は話を聞いて探しに出かけ、翌日山鳥の尾を持ってきた。嫁は山鳥であり、魂のこもった尾を弥助に差し出して消えた。弥助はそれで矢を作り、将軍に捧げ、それで八面大王は退治された。弥助の家には褒美の品々が運び込まれたが、弥助とその母親は呆然とするばかりだった。
類似事例

キツネ,タヌキ,ダンクロウ,サンキチ
1935年 新潟県
団九郎狐は、佐渡に住むたちの悪い古狸の三吉を憎んでいた。あるとき信濃川のほとりで団九郎は三吉と出会う。団九郎は三吉をおだてて酒屋の小僧や大入道に化けるなどさせる。団九郎はお礼に自分の芸も見せるといい、次の日に街道に来るようにいう。三吉が約束の場所で待っていると大名行列がやってくる。三吉は感心して行列の前に飛び出るが、それは本物の大名行列で、捕らえられて食べられてしまう。
類似事例

ハチメンダイオウ,オニ
1990年 長野県
有明山のふもとに住んでいた弥左衛門は薬草を採りに行って、そのまま八面大王という鬼にさらわれた。妻は1人で幼い息子の弥助を育て、弥助はやがて立派に成長した。ある年、弥助は大きな山鳥を助けてやった。それから3日、美しい娘と知り合った弥助は、その娘を嫁にした。春になると、また八面大王が暴れるようになり、坂上田村麻呂がそれを征伐しにきた。
類似事例

ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
有明山のふもとに住む弥左衛門は息子の弥助が幼いうちに八面大王という鬼にさらわれた。立派に成長した弥助はあるとき大きな山鳥を助けた。それから3日して弥助は美しい娘を娶った。そのうちまた八面大王が暴れ始めた。坂上田村麻呂が観音堂で祈ったところ、特定の山鳥の尾を矢にするよう言われた。その話を聞いた弥助は悩んだが、嫁がそれを持ってきた。嫁は山鳥の化身であり、その後姿を消した。その矢で八面大王は退治された。
類似事例

テング,ウジガミサマ
1973年 山梨県
渡辺弥次右衛門が大和田山へスズ竹を取りに行き、その荷を背負って休んでいると後ろから何物かが来て弥次右衛門を放り投げた。弥次右衛門は倒れたまま気を失っていたが、しばらくするとまた何物かが来て引き起こしてくれた。放り投げたのは天狗で、引き起こしてくれたのは氏神様という。
類似事例

ゲンクロウ
1936年 大阪府
昔、源九郎という狐がいた。冬、食物を探しに出た時、ある家の竈の下で寝ていたら、火を焚かれて焼け死んでしまった。その魂が、その家の百姓にのりうつった。見てもらったところ、狐がついているというので、食物をやったら治った。
類似事例

キツネ
2000年 東京都
浅草観音の境内に弥惣左ヱ門稲荷という社がある。熊谷弥惣左ヱ門という飛脚が罠に掛かって死に狐となった。これを祀ったものと言う。
類似事例

ゲンクロウイナリ,キツネ
1988年 奈良県
日本三大稲荷の一つ源九郎稲荷は、白鳳年間、平群真鳥誅伐に出陣した大伴金持道麿の軍勢に白狐を送って助けた。源九郎という名前は源義経から贈られたもの。『義経千本桜』の狐忠信はこの稲荷の化身という。
類似事例

ゲンクロウギツネ
1988年 奈良県
日本三大稲荷の一つ源九郎稲荷は、山中で迷っていた静御前を白狐の姿で案内したことから、源九郎という名前を源義経から贈られた。『義経千本桜』の狐忠信はこの稲荷の化身という。豊臣・徳川の合戦の時には徳川方について諜報活動をしていたが、豊臣方に毒殺された。後の郡山城主が不憫に思い、今の場所に祀った。
類似事例

キツネ
1931年 奈良県
明治初年に郵便がはじめて行われたとき、お狐さんの飛脚の仕業だといっていたという。この地にある洞泉寺境内にある源九郎稲荷社は人々の信仰があつかった。
類似事例

メインドウ
1987年 長野県
昔,土地の者が今の「みだれ橋」付近を通ると川の中から名を呼ぶ者がある。掘ってみると阿弥陀様の石仏が出てきたので,自分の墓地に運んで堂を立てて安置し「無縁堂」と名づけた。したがって「みだれ橋」の名は,阿弥陀さまが出たところから「弥陀出橋」「弥陀の橋」がなまったのだという。
類似事例

ヤマイヌ
1987年 長野県
高見沢善九郎から聞いた話。善九郎さんが川上の一番奥の梓山から炭を運んでくると,夜道になったので馬の尻尾に掴まって下ってきた。馬が急に立ち止まったので見ると道の真ん中に山犬がいてこっちを見ていた。こういう時は山犬に何かやれば引き下がると聞いていたが,あいにく何もない。そこで山犬に謝って「この次来た時に何か持ってくるから勘弁してくれ」と言うと,それがわかったのか山犬は行ってしまった。
類似事例

ニンコ
1914年 島根県
人狐の系統は縁組を避けられる。人狐を狐持とも言う。突然、家の者に狐が憑き、狐持の家になることがある。狐持になった家とは絶縁し、交際しなくなる。狐持と称する家は、概ね富裕の家が多い。
類似事例

ユウレイノシュッサン
1956年 宮城県
藩政時代,金山邑主中島伊勢の家臣に四十九院(ツルシ)弥五左衛門という侍がいた。隣家の美女に懸想され,当惑していた。ある春の斗蔵山の観音様の祭礼の時,娘が弥五左衛門に恋情を訴えると彼はかっとなって娘を斬りすててしまった。ところがその後,夜毎に娘の亡霊が現れて切なさを訴えるので,余りのいじらしさにいつしか娘の亡霊と契る仲となってしまった。ある夜亡霊が「身重になった。赤子が生まれるから育てて頂きたい」と懇ろに頼んで消えてしまった。それから一周忌の頃に弥五左衛門が娘の墓参に行くと,地中から赤子の鳴き声が聞こえる。掘ってみると棺の中で生まれたばかりの赤ん坊が泣いていたので,連れて帰って大事に育てた。この事が藩侯の耳に達し,惨殺の罪を罰せられぬばかりか,奇特な事として禄をも与えられた。その子孫は今も四十九院を姓にしている。
類似事例

ケブツノミダ
1983年
慈覚大師は入唐して顕密の奥義を極めたが、帰朝の途中で、引声の弥陀経の一曲を忘れてしまった。そこで西方に向かい祈誓した所、舟の帆の上に、小身の弥陀が香煙に立ち、成就如是功徳荘厳と唱えてくれた。慈覚は感激し、袈裟を以てその姿を写し、帰朝後にそれを真如堂の本尊の胎中に納めた。
類似事例

オサカベドノ,(カミキリ)
1979年
源九郎きつねは諸国の女の髪を切り、焙烙を割り、万民を悩ました。姫路に長く住み、おさかべどのの四天王のひとりだとかいわれた。
類似事例

バトウカンノン
2001年 青森県
N家の神棚のお宮の傍らには馬頭観音が祭られているが、その由緒は不明である。
類似事例

カッパ
1953年
カッパの淵に行くと、土地のものが「去年の夏定九郎カッパがでた」というような話をし、シゲ地(聖地)に行くと、幼時からの畏怖心を語ってくれた。
類似事例

キツネモチ,ヒトギツネ
1922年 島根県
出雲では狐持は嫁に貰わないという。狐持の家と親類になれば、すぐに狐が憑いてくるとか、狐持の家の床下には多くの狐が住んでいるとか言い、それが人に憑くと気違いになるといって狐持ちの家を嫌っている。
類似事例

トウクロウモリナガ
1974年 和歌山県
今瀬戸庄瀬戸村のあたりに網不知というばしょがあり、そこに藤九郎盛長の社があり尊崇を集めている。それはもしも碇が岩にかかった時にこの神に願うとたちまち上がって来るという。
類似事例

テンサラバサラ
1952年 山形県
テンサラバサラは天から授かったもので、飼っているとその家はとても幸福になる。弥惣兵衛家では、明治36年に地上1m位のところを飛んでいたのを拾った。土蔵の改築時に紛失してしまい、その後不幸なことが続いた。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内