国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

オカネウムムスメ
1956年 宮城県
昔、名鰭沼のふちに夫婦が住んでいた。子どもになかなか恵まれず、願かけて神に祈っていると、春の猫柳の芽がふくれる頃、嫁の腹が大きくなり、ついに女の子が生まれた。しかし片目片耳の子だったので、人目をさけてボロに包んで納屋においておいた。あるとき用事で、どうしても子を背負って町にいかなければならぬことになったので、慎重に包んで出ていった。町の用事がすんで帰るとき、石の上に子どもをおろして休んでいると、腰のまがった白髪の爺さんがきてボロをはがして子どもを見て「これはいい子だ。神様の授かりものだ。今にお金を生むから毎朝米一粒ずつつかませておけ」と言い残して消える。ためしに米一粒つかませるとお金を一つ産んだ。夫婦はしだいに金持ちになったが、慾の出た夫婦は「うんとつかませたらうんと生むだろう」と、ある日つかみきれないほど米をつかませると、子どもは死んでしまった。

類似事例(機械学習検索)

トリゴ
1946年 岩手県
生まれたとき体の弱い子どもは取子として神様に名前をもらうと強い子どもになる。
類似事例

タヌキ
1972年 千葉県
瓶の中で子どもを生んで死んだ女が化けて出るというので、腕自慢の爺さんが退治に行き、女をつかんで引きずって家に連れ帰って庭に叩きつけたら、それは大きな狸が化けていた。
類似事例

ウブスナ
1976年 長野県
信濃国水内郡富竹村の2歳の子どもが蛇の急所をつかんで殺し、それを振り回して遊んでいた。子どもは急所を知らないが、そこをつかんで身を守ることができたのは、産土神の守護だろう。
類似事例

(ユウレイ)
2001年 新潟県
ある男が、腰城のラントウで、冷たい手に大事なところをつかまれた。亡くなった本妻が妾に取り憑いて殺すため、入口のお守り札をはがしてくれと頼むため、つかんだのだった。
類似事例

キツネ
1935年 千葉県
狐につかまれないために、下駄や草履は午後おろさぬ。
類似事例

シロイモノ,フシギナツメタイモノ
1999年 栃木県
冬の夜に1人で道を歩いていたら、空から何か白いものが降ってきた。それが当たると、とても冷たく体が冷えた。手でつかもうとしても、手の中につかんだはずなのに何もなかった。
類似事例

カエルノコ,カミサマ
1928年 鹿児島県
子供のいない老夫婦が神へ祈ると、老婆のひざから蛙の子が生まれた。蛙の子は村一番の金持ちの娘を連れて帰り、祝言をあげることになった。花嫁の次に風呂へ入ったとたん、蛙の子は立派な若者になった。老夫婦は神様が授けてくれた子だと言って喜んだ。
類似事例

ヒダルカミ
1948年 和歌山県
ダル神(ヒダル神)とは飢えて死んだ人の亡魂が憑くことで、急に腹がすいて動けなくなる。このような時は米粒を1つでも食べるとよい。米粒がないときは、指で掌に「米」の字を書き、舐めるだけでも良いという。
類似事例

キツネ
1935年 千葉県
狐につかまれないために、下駄の裏に唾を吐く。
類似事例

ムジナ
1965年 兵庫県
口寄せは、ムジナが聞く人の心をつかんで話すものであるという。
類似事例

ダリ
1981年 和歌山県
ダリに憑かれたときは、米を食べたり、手に米と書いて飲む真似をしたり、米を3粒でも投げたりすれば助かる。
類似事例

キツネ
1935年 千葉県
狐につかまれないために、田圃にいる百姓は帯を前に結ぶ。
類似事例

ダルガミ,ダル,ダニ,ヒダルガミ
1948年 和歌山県
ダル神につかれるのは険しくて迷いそうな道で、飢えて死んだ人の霊がつくことである。急に腹がへって動けなくなるが、米粒ひとつでも食べれば助かる。米粒がないときには、手のひらに米という字を書いてなめるだけでもよい。
類似事例

ダレ
1974年 奈良県
ダレにつかれると体がだるくなり、腹が減って動けなくなる。米一粒でも食べると治る。腹の上に米という字を書いてもよい。
類似事例

タタリ
1956年 東京都
ある家の子が、隣の家の米をつかんで生米を食った。隣の家はその子を殺せと言い、親が首を締めて殺した。隣の家はその祟りを受けて七代悪いことが続いた。
類似事例

シンダコドモノタマシ
2001年 青森県
日が暮れて暗くなってから自転車に乗って帰っていたところ、前を青い姿の子どもが歩いていた。しかし、いくらこいでもその子には追いつけなかった。家へ着くと、オバサンの孫が死んでいたことが分かった。その子どもは、死んだ子どものタマシだったのである。
類似事例

テング
1972年 千葉県
ある子どもが東茂原のある橋で天狗を見た。その子どもは頭が悪くなって死んでしまった。
類似事例

(コドモノユウレイ)
1971年 福島県
子どものお棺に六文銭を入れてやらなかった。子どもが買い物に来るが、いつもその子どもだけが買えないで見ているという話を聞いて行って見たら、自分の子どもだったという。後になって掘ってみたら金を入れてやっていなかった。だから忘れずに入れなければならない。
類似事例

ヤマノカミ
1941年 岐阜県
山の神は子どもの神なので、子どもが病気になったときは提燈をともして祈ると全快するといわれている。また、山神は狐だという人もいる。
類似事例

キツネ
1954年 栃木県
山の神様の怒りで、子どもが狐に殺されることがある。母親が抱いていてもいなくなり、子どもは囲炉裏で死んでいる。
類似事例

ヤマノカミサマ
1954年 栃木県
山の神様の怒りで、子どもが狐に殺されることがある。母親が抱いていてもいなくなり、子どもは囲炉裏で死んでいる。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内