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検索対象事例

ヨシダガワ,ダイダラボウ
1956年 宮城県
ダイダラ坊という巨人が、タンガラに土を入れて品井沼から何度も往復して七ツ森を造ったとき、その跡が吉田川となった。

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シナイヌマ,ダイダラボウ
1956年 宮城県
ダイダラ坊という巨人が大昔、タンガラに土を入れて運び、七ツ森を造ったとき、土を取った跡が品井沼となったという。
類似事例

ナナツモリ,キョジン
1956年 宮城県
モリは東北地方で山のこと。朝比奈三郎という巨人が、今の品井沼の所からタンガラに土を入れて運び、七ツの山を造った。出来上がってからタンガラにくっついていた土をほろき落としてできたのがタンガラ森で、これは七ツ森に入らない。土を掘った跡に水がたまって品井沼となり、土を運んで往復した足跡が吉田川となった。七ツ森の全ての頂上に薬師の石仏を立て、毎年旧暦4月8日に薬師ガケといって一日で巡拝する習わしがある。
類似事例

ダイダラボウ
1992年 茨城県
水戸にダイダラ坊伝説がある。この巨人はみんなに好かれていて、仲も良かった。村は高い山によって日が差してこなかったので、ダイダラ坊は頼まれて山を動かしてやった。ダイダラ坊の指で作った池や、手を洗った所だという伝説もある。
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ダイダラボッチ
1989年 埼玉県
ダイダラボッチ(ダイダラ坊、ダイダ坊)という巨人が昔いて、定峰峠をまたいで腰掛けて昼食をとったその跡が数々の山になったという。巨人の足跡は今でも山中に凹地として残っている。
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ダイダラボウ
1967年 茨城県
ダイダラ坊が串をさして魚を焼く場所なので大串だという説がある。ダイダラ坊はオーダラ出身の大男である。村人の為に、山を移動させたり、川の流れを変えるので地神であるオーナマズが怒ったことがある。ダイダラ坊の足跡なども残っている。
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ナナツモリ,キョジン
1956年 宮城県
朝比奈三郎はタンガラを七度ゆさぶり、その土が七ツ森となった。足駄の歯にはさまった石を降り飛ばしたら、加美郡色麻村の小栗山におちて男石となった。しまいに土を全部投げ出して出来たのが同郡西小野田の薬莱山、捨てたタンガラにくっついていた土が残って出来たのが薬莱山のタンガラ森である(加美郡色麻町小栗山)。
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キョジン,ダイトクボウ
2003年 福島県
昔、大徳坊という巨人がいて、タンガラ(背負籠)で土を運んできて平地にあけた。それが今の信夫山である。タンガラの底に少し残っていた土を捨てたのが今の一杯森(福島市森合)であり、草鞋の裏についた土を払ってできたのが石ヶ森(福島市鎌田)であるという。
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ダイダラボウ,オニ
1988年 長野県
鬼の足跡をたどると巨人伝説がある。そこにダイダラ坊伝説があり、製鉄と関係がある。砂鉄と炭を熱する時に吹子を使って風を送る。そのタタラ吹きがダイダラ坊となった。石を鉄にするその技術者は不思議な力持ちと言われ恐れられていた。
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ダイダラボウ
1986年 埼玉県
昔、秩父にダイダラ坊という大男がいた。ある年、ダイダラ坊は旅に出ることになった。そして昼飯の時に腰を下ろした所が定峰峠で、粥を煮て食ったところが粥新田峠、使った箸を突き立てた所が二本木峠、笠を置いた所が笠山だという。また、腹いっぱいになったダイダラ坊が大あくびをするのに足を伸ばすと、その足は槻川まで届いた。そして粥を煮た釜は荒川で洗い、その近くに伏せておいた。それが釜伏山である。
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キョジン
1993年 三重県
巨人が江州から土を運んだとき、もっこから落ちた土がモッコ山になった。
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データラブチ
1992年 群馬県
昔巨人が榛名富士を作ろうと土を運んでいた途中で夜が明けたので土を掘り出して帰った。その土がひともっこ山である。
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デエデエボウ
1944年 山形県
雪が降ると、その上に飛び飛びに大きな足跡のようなものがつくことがある。デエデエ坊という1本足の巨人が通った跡だということである。
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オトナ
1920年 徳島県
稼勢山という山がある。その昔この辺りに巨人が住んでいて、もっこう(土を運ぶ道具)に土をいれて運んでいると、その綱が切れて土が積まれて山になったという。近くに巨人が米を搗いて、その糠を捨ててできたという小山もある。
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キョジン
1939年 香川県
昔、巨人がフゴを担いで讃岐へやって来た。巨人がフゴの土を撒いたりふるったり、草鞋の土を落としたりするとそれが山になり、尿を流すと川になった。
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(ゾクシン)
2001年 鹿児島県
竈は北向きに造らない。造ると家が滅ぶという。
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ダイダラボウ
1938年 神奈川県
昔巨人が地団駄を踏んで、尻の跡が窪んで沼になったといわれている。
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ダイダイボウ
1989年 埼玉県
物見台跡は「ダイダイ坊の足跡」と呼ばれ、巨人伝説が残っている。対岸の山腹にはもう一方の片足跡があるといい、山岳巨人が伊豆ヶ丘の頂に腰をおろして休んだりしたのかもしれない。
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ダイダラボッチ
1992年 静岡県
昔巨人が富士山のような山を千頭に作ろうと土を運んでいた。夜明けが近くなったので土を掘り出して行った。その土が丘となって残っている。また大井川を一跨ぎにして水を飲んだ時の足跡が遠州と駿河にそれぞれ足窪と名づけられ残っている。
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キョジン
1981年 和歌山県
大男が種手見山の頂上に座った。上窪は巨人の尻の跡、下窪は男のモノの跡、東神野川集落には右足の跡、熊瀬川集落には左足の跡があるという。
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オドガモリ,キョジン
1956年 宮城県
この山の巨人は頂上に腰をすえ、右足を5キロほど隔てた名取市高館のふもとの吉田におろし、太平洋に手を伸ばして魚や貝を取って食べた。山頂の東北に巨人が腰掛けたという一枚岩があり、吉田の田の中には巨人の片足の足跡がある足型石がある(大きさ三尺ばかり、巨人の足には小さすぎるか)。時々は村に出て、秋の稲あげの忙しい時には何百人分の稲を運んで手伝った。ふもとの東南を流れる川は洗沢といい、巨人が足を洗ったという。
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キツネノヨメドリ
1977年 富山県
嫁をもらうときは狐が嫁入りの格好をして明かりをもって川淵を何往復も歩く。これをキツネノヨメドリという。
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