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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ジョフク
1978年 山梨県
徐福たちの魂が3羽の鶴になって留まっているといわれる大原で、元禄11年3月29日、1羽の鶴が死んだので、役人が検分に来てその羽と肉を江戸へ献上し、骨を福源寺に葬った。寛政6年3月に2羽の鶴が自分で羽を抜いて落ちてきたが、その場所はわからなかった。

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ハス,ツル
1973年 愛知県
三河国渥美郡鷲田村の百姓磯八が、6月11日に蓮の葉をとり、瓦野という場所で干していた。すると翌日4時頃から葉が次々と浮かび上がり、9時頃には150枚ほどにもなった。もはや上の方は見えなかった。その中から白い鶴が1羽降りてきて虚空に上がり、その後東から白鶴が3羽来て1羽は虚空へ、2羽はまた東に飛び去ったという。
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テングノハネノオト
1983年 岡山県
苫田郡富村大には、山中の経験を克明に記憶している老練な猟師がいた。その話すところによれば、「天狗の羽休め」という木があり、そこを通ると天狗の羽の音がするのだという。この羽の音が聞こえなくなったら、猟はやめなければならないのだという。
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アカイトリ
2001年 鹿児島県
雷が落ちた場所から赤い鳥が一羽飛んでいった。
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ニワカラス
1989年 山梨県
奈良田に限り、2羽烏という。これは孝謙天皇が民を惜しんで2羽に封じ込めたからであるという。
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カラス,(ゾクシン)
1975年 山口県
人が一人死ぬと、カラスが一羽死ぬ。
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(タタリ)
2001年 新潟県
大きな田んぼで、子供を負ぶって田植えをしていたお鶴という女性が、太陽にもう少し沈まないでくれるよう祈ったところ、陽が沈むのが遅くなる。お鶴はそのまま死に、このお鶴の家では良いことがなかったという。
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(ツバサノモジ)
1977年
ある時近辺の池に鴛鴦が雌雄で遊んでいたが、一羽の鴛だけが池辺に残って去らなかった。それを安芸国中村城主である阿曾沼中務太輔が撃って、その翼を見てみると、左羽に漢詩の一部、右羽に和歌が現れていた。
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アヤシキトリ,キツネ
1974年 京都府
兼好法師が内の宿直から退出しようとした際、萩の戸の庭の方に怪しげな鳥が羽をふって、嘴を怒らして飛び下ってきた。人々が恐れていたので法師が2羽を弓で打ち落としたところ、一つは足に黒い毛が生えており、もう一つは非常に赤い色をしていたという。博士を呼んでこの鳥の名前を聞いても答えられず、しばらくすると2羽とも狐になって消えたという。
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ハクツル
1977年 栃木県
寛永14年4月のはじめ、東照大権現の造替の地引があり、多くの人が集まっていたところに白鶴が1羽やってきた。そういう時でもあったので、みんながめでたいしるしと思っていると、また天から鶴がやってきて同じ所に舞い降りた。これも御代の栄えを象徴し、神が納受されたしるしと考えられた。
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キュウビギツネ
1933年 香川県
猟師が獲物を探して歩いていると、矢に当たった鶴を見つけた。鶴は望みをかなえるから命を助けてくれと言った。つれて帰ると鶴は妻となって仕えたが、居室を覗かれて去った。このとき置いていった衣を盗んだ狐が九尾狐の祖となったという。
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イネ,ツル
2003年 沖縄県
米地原という場所がある。昔、一羽の鶴が暴風雨のために吹き落とされてここで死んだ。その跡に一本の稲が生えてきた。アマスという人がこれを見つけて浮溝走溝に移植したということであるという。
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ツル
1936年 秋田県
明治元年、鉄砲で鶴を撃った人の弟が狂人となり、裏の堰で水を浴び、鶴の真似事するなどと言われたが、死んでしまった。
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ツルノオンガエシ
1941年 愛媛県
昔、ある貧しい人が僅かのお金をもって米を買いに行く途中、鶴が子供にいじめられているところを見て、金と引き換えにその鶴を助けた。そして夜、その人の所に美人がやって来て嫁にしてくれるように頼んだ。翌日からその娘が織物をして、夫は出来た羽衣を高く売れたが、帰ってくると嫁は自分が先日の鶴だと教えてから飛び去ったという。
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テング
1970年 岡山県
天狗の羽休めという木があり、そこを通ると天狗の羽の音が聞こえる。雪が降ったときに天狗岩を通ると山鳴りがする。天狗倒しと言って風もないのに山の木がいっぺんに倒れるような音がすることもある。
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ツル,イキカエリ
1934年 香川県
昔、深い坊さんが猟師から着物と引き換えに鶴を買い、逃がしてやった。尚庵さんは寒さで死んでしまった。鶴が3年間墓の廻りで舞いながら「尚庵さん、尚庵さん」と泣きつづけると、和尚さんは生き返ったが、鶴は羽毛の抜けたむごたらしい体を残して尚庵さんの身代わりに死んでいた。尚庵さんは鶴の死骸を抱いていつまでも泣いたという。
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〔センニンノモジ〕
1982年
慶長3年に大樹公(徳川家康)が狩りの時、鶴の羽裏にあった4つの文字を書いたという。この文字を天狗に遣われたという虎吉に見せると、仙人が常に唄う符字のようなものの中にある文字であるといった。
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ジョウエンボウヅカ
1956年 宮城県
東照宮の下、東側の延寿院にある。東照宮別当仙岳院の僧浄円は足が速く、飯釜をかけて炊き上がらないうちに出羽の羽黒山に往復した。師の坊が重病で最上の豆腐を食べたいといったところ、即座に買ってきた。一生のうちに羽黒山に238回往復したという。元禄12年に76歳で示寂。鉄のワラジや大小のワラジが奉納してある。水疣が治るといわれ、お礼に酒や餅を塚に供える。
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スズメイクサ
1974年 東京都
天保3年8月6日から10日まで、湯島麟祥院の隣寺の森に雀が数千匹棲んでいたが、雀戦が起こるや数万羽が集結し、食い合ったという。
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ケンナンサイナンヨケノモジ
1982年 和歌山県
紀伊国に住んでいた男は弓を射るのが好きで、常に百発百中であった。しかしある時鶴を射たが当たらず、2射目もはずれた。不思議に思った男が鶴を捕らえて見てみると羽に文字が書いてあった。その文字を他の鳥に付けて矢を射ると、やはり一矢も当たらなかったので文字の守りなのだろう。この文字を所持する時は剣難や災難はないらしい。
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ジョフク,ナナツヅカ,タタリ
1916年 和歌山県
徐福の墓の周囲にある七塚には、徐福に殉じた7人の家臣が葬られているという。かつてこの塚を発掘して刀剣や陶器を掘り出したことがあったが、これに携わった者がたちまち疫病にかかったため、ただちに埋めたと言い伝えられている。
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シラトリ
1976年 京都府
寛徳2年2月、羽の長さ4尺、身の丈3尺の白鳥が侍従池に来住した。その鳥は飯有り菜無しと鳴いたという。
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