タクセン 1974年 滋賀県 夜が更け、幼い童が寝ていたところ、急におびえて後鳥羽院の御前に走り行き託宣をした。院が日吉の社に詣でた夜のことである。
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ミガワリジゾウ 1940年 神奈川県 後鳥羽院代、刀で切られたり首を落とされた者の身代わりとなって地蔵が傷ついた。身代わりになってもらった人は無傷で助かった。
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イタチヨセ 1964年 福島県 いたちには神霊があるものとみて、よりと呼ばれる神のよりましとする。法印や特殊な祈祷にその神霊をつかせ、ご神託をきき、病状や天候、作物の豊凶を占う。
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シンバツ,オワタリサマ,オジンジキサマ 1968年 愛知県 篠島の八王子社の年一回の祭礼が正月3日4日にの両日に行われる。祭行事は八王寺社から神明社の神霊渡御及び還御の儀を中心として行われる。神霊の渡御の途中は物影に身をひそめ,ひざまづいて控える。もしもまちがって路上でこのオワタリサマに行き逢うと,神罰をこうむり一命にかかわると伝わる。神霊はオジンジキサマという。
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オンリョウ,ウジアクサフ,キタノテンジン,サヌキイン,オキノイン 2002年 『太平記』巻25「天龍寺事」によれば、宇治悪左府(藤原頼長)・北野天神(菅原道真)・讃岐院(崇徳上皇)・隠岐院(後鳥羽天皇)はそれぞれ怨霊であったが、それぞれ贈官・奉爵・追尊号などし、また廟所などを建ててまつることで、みな王朝鎮護の神となったという。
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(カエルノコエヲトメルワカ) 1974年 島根県 後鳥羽院が隠岐に流された時、「蛙鳴く勝田の池の夕だたみきかましものはまつかぜの音」と詠んだところ、勝田の池の蛙は今も鳴かないという。また風は松の枝を鳴らさないという。
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(サイシニヨルヘイアン) 1976年 京都府 安元3年、樋口富小路より出た火は神祇官に及び、御正体が焼失した。その年の11月に、後白河法皇は平清盛によって鳥羽殿へ閉じ込められ、後鳥羽院は佐渡国へ移され、天皇は武家の食客のようになり世が乱れた。元和の頃漸く平穏になったのは、神社を造営し祭祀礼奠を厳重に行って復古したためだ。
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(ゾクシン),シャシン 1998年 静岡県 写真の真ん中にいる人、四人の場合は左から二番目の人に神霊が出やすい。
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キツネ 1913年 和歌山県 昔、金剛院という山伏がいた。金剛院に驚かされた狐が仕返しに池の藻をかぶって金剛院に化けるようになった。ある時、他の山伏たちが金剛院に化けた狐を懲らしめるために袋叩きにした。けれども、化けの皮がはがれず、実は本当の金剛院だった。
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リュウジョ 1956年 宮城県 白山神社の神霊が美麗な童子となって現れたが、山に住む二頭の龍女が山を奪われることを嘆き、老女と若い女の姿で現れて障りをもたらした。神霊は怒り二頭の龍を池へ封じ込めた。この伝説の故か、神事を行う神男に不思議なことが起こるが、翁の面をつけて勤めると不思議なことは起こらなくなった。
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ワカ 1976年 奈良県 大和の国勝田山善福寺という寺に後鳥羽院が行幸した折、池の蛙の声に趣があったのに、風が強くて聞こえなくなったので、「蛙なく勝田の池の夕たたみきかまし物を松かぜの音」と詠むと、風音が止んだ。
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ムジナ 1941年 秋田県 五右衛門爺さんの所へ狢が来て睾嚢を広げて暖をとっていたが、爺さんにひっくり返され、その際に睾嚢に入った炭火で大火傷を負って死んだ。次の晩、雌の狢(女房)がやってきたが、それも爺さんに殺された。
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ナナフシギ 1920年 京都府 京都大仏の七不思議。方広寺の鐘・耳塚・大仏餅の看板・鳥寺の鳥・五右衛門の衡器窓・三棟の屋根・そば喰地蔵。
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キツネツキ 1991年 愛媛県 昔、狐が憑いた人がいた。法院で祈祷してもらったが、治らなかった。
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ゴエモンイシ 1930年 岩手県 ある夜、深夜にもかかわらず一人の美女が男の行く手を遮った。怪しいと思った男が刀で斬りつけると、女の姿は消えてしまった。後日、当所にあった巨石が2つに割れていたので、美女はこの石が化けたのだということになった。この石は五右衛門石と呼ばれる。
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キツネ 1967年 福島県 宝石将監院という山伏が山中で行方不明となり、その後、顔は人、身体は狐という姿で帰ってきたので村人はそれを追い出した。それ以来道に迷う人が出てきたので往来が通行止めとなり、触頭良蔵院が呼ばれ行法で原因を探れとお沙汰があった。護摩修行を行ったところ将監院が狐の姿で現れたので、往来の妨げにならないようにと証文を取った。
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(ヨミガエリ) 1976年 兵庫県 有馬山清涼院の石文が死んだ後、19日して甦った。冥土のことを聞いたところ、ただ、湖山の間にいて、風景が良いだけで特に見るところもなかったと石文は答えた。
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インノコ 1974年 平清盛が幼い頃、夜に恐れをなしたときには、守り役らは「院の子院の子」と言って邪祟を鎮めたということで、京の童たちが口ずさんだという。
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(ゾクシン),(シノヨチョウ) 1935年 大阪府 明王院という寺では、人が死ぬ時は1つ鐘がなるという。
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ヤクシニョライ 2000年 愛知県 医王寺の薬師如来は行基が作ったものといわれる。昔医王寺に盗賊が押しかけ、薬師如来像や宝物を盗もうとしたことがあった。そのとき1人の坊さんが盗賊の前に立ちはだかり、盗賊たちをなぎ倒し追い払った。この時の坊さんは実は薬師如来が姿を変えたもので、像には盗賊につけられた刀傷が腕に今も残っているという。
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トバドノ,シンレイ 1974年 京都府 伏見小倉の湖は昔巨掠の入江といって淀川につながる大きな湖水である。この中に1丈以上の大きな鯉2匹いる。このあたりの漁師はこの鯉を鳥羽殿と呼んで湖中の神霊とする。
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