国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

イハチ,(ホウリキ)
1974年
芸州宮島光明院の開山である以八和尚は徳行優れた僧であったが、加藤式部大輔という不信心の人が彼を試そうとして邸宅に招き、魚や鳥をふんだんに使った料理や、色っぽい女性を数名、羅(薄物)だけつけて給仕させた。すると和尚がしばらく目を閉じると、料理した魚や鳥はたちまち飛び上がり、給仕する女性はみな骸骨となった。驚いた加藤が改心したところ、みな元に戻ったという。

類似事例(機械学習検索)

イハチ,ベンザイテンニョ
1974年 福島県
芸州宮島光明院の開山である以八和尚は奥州磐城の出身だが、彼の母は子がないのを憂いて弁財天女に祈誓し、水を入れた桶を頭に戴き、つま先立てて月影を映し、その奇瑞を得て以八和尚は誕生したという。
類似事例

イハチ,ジュウゴドウジ,テンニョ,ヘビ,リュウジン
1974年 広島県
芸州宮島光明院の開山である以八和尚は宮島に住居を定めたが、常に美しい女性が十数人仕えていた。その事を誹謗する人がいるとの話を聞いて和尚は、彼女らを法談の席に呼び、事情を説明して立ち退きを命じた。すると海上にわかに波が起こり、暴風すさまじい状況になって、先の女性がたちまち蛇の姿になった。それらは黒雲と一緒に海底に入っていったという。彼女らは天女が使わした十五童子だったという。その後、上人は別時念仏の回向の日に往生するといって往生した。すると、紫雲が立ち、妙なる香りがし、潮がみちて遺灰を残らず流していった。竜神が供養したのだと思われた。
類似事例

キツネ
1990年 大阪府
信太山から大和へ狐が嫁に行った。茶屋で休んで婚礼の料理を食べたが、この料理は庄屋の婚礼の料理だった。なぜかというと、消えた庄屋の料理の数と婚礼の行列の数が同じだからである。
類似事例

カミノケ,トリ,ス,キョウジン,(ゾクシン)
1915年 愛媛県
女性の髪の毛で鳥が巣を作るとその女性が狂人になるという。
類似事例

ヒトダマ
1974年 大分県
「人魂」という名の鳥がおり、この鳥が鳴くと人が死ぬという。鳥の正体は定かではない。
類似事例

ヤマノカミ
1986年 福島県
山の神は女性である。
類似事例

オマンサン
1933年 大阪府
ある稲荷社におまんさんという狐が棲んでいた。ある時、婚礼の注文を受けた料理屋が大きな邸に数十人分の料理膳を運んだ。翌日、料理屋が代金を請求しに行くと、邸などなく、食後の膳が散乱していた。おまんさんの嫁入りだと大層噂になったという。
類似事例

カラスナキ
1996年 神奈川県
人が死ぬ前には、鳥の鳴き声がヘラヘラと笑うように聞こえる。また、鳥が騒いでいる朝には怪我に気をつけると言う。森で変わったことがあるときにも鳥鳴きが悪い。
類似事例

ライノトリ
1975年 石川県
白山にらいの鳥という鳥がいる。見る人は稀であり、見ることができると奇瑞であるとされる。この鳥はよく火災を避けるという。
類似事例

タフサギ
1974年 京都府
東洞院あたりで牛車をやり出した時に、30歳ほどの女性とすれ違った。すると牛が女性を見て動かず、また女性も動けなくなった。そこで牛飼いは女性のたふさぎを外して牛の目の上にかけた。すると牛が動き、女性も歩けるようになった。女性は家に帰ると息絶えたという。
類似事例

テング
1915年 長野県
当地方(信州松本)では毎年春に古峯ヶ原へ代参を立てており、その宿泊中に天狗が給仕に出るといわれている。
類似事例

トイレ
1998年 静岡
鳥を見ると親が早死にするので、鳥がいるときは親指を隠す。
類似事例

ムジナ
1974年 山梨県
ムジナが魚を食べたくて、魚を持っていた人を化かして殺して魚を食った。
類似事例

ユシキョ
2000年 沖縄県
ユシキョは珍しい鳥である。元は女性で、夫に耐えられなくなり、片方の乳房を子供のために切り落とし、鳥となって去っていった。この鳥は赤く、片方の乳房がない。姿を見ると死ぬ運命となる。
類似事例

キエタリョウリヤ
1985年 高知県
秋祭りからの帰りに川向に料理屋が見え、三味線の音が聞こえた。人家の近くに行くと、料理屋の明かりなどは消えた。
類似事例

キツネ
1974年 栃木県
炭焼きをしていた人が狐を殺して料理しようとしたら、その人の妻が狐につかれた。鉄砲で威したりして、狐を落とした。
類似事例

トウガン,ネズミ,ナタ
1974年 熊本県
加藤肥後守の家が断絶する前の寛永8年に不思議な事が起きた。まずは隈本領内の桐の木に冬瓜のようなものが実り、それが熟すと鼠が中から食い破って出て来たという。また他の実を切ってみると、多くの鼠の他に一本の鉈が出て来た。その後に加藤家が断絶したという。
類似事例

(ドチュウノシュッサン),アメ
1976年 広島県
芸州宮島の光明寺の住職は、亡くなった母の墓で泣いていたところを掘り出され、飴を与えて育てられた。
類似事例

(ニンギョ),ハッピャクビクニ
1982年 群馬県
庚申様が自分で庚申講をして人を呼んだ。そのときに頭が人間で体が魚のご馳走を出した。みな驚いて逃げたが、1人つかまって着物のカタシリハショリに魚の切り身を放り込まれた。この人が八百比丘尼で、その後大変長生きをした。
類似事例

(ネン)
1981年
加藤善左衛門は2歳の時に母を亡くしたが、その時家来が旦那寺であった高成寺に告げに行った。すると亡者は幼子がいる若い女性ではないかと問う。訳を聞くと、自分がとろとろとまどろんでいる時に、20歳ほどの女性が門に入ってきたという。
類似事例

ギュウキ
1962年 愛媛県
加藤清正が牛鬼を随えて海外で偉名をとどろかせたなどと言い伝えられている。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内