国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

シシャ
1988年 岩手県
最近の死者の話で不思議なことがあった。伊保内で火事がおき、親子3人が焼死した翌日、焼死した子どもの友人が、登校中に「熱かった、熱かった」と言いながら通り過ぎるその子どもと会った。

類似事例(機械学習検索)

キツネ
1961年 茨城県
味噌豆を煮ると狐が「豆くれ」と来る、という。ある人が与えたら、熱い熱いと逃げて行ったという。
類似事例

キツネ
1990年 秋田県
吹雪の中で湯に入ったような気持ちになって「熱い熱い」と言って裸になって体を拭っていた。狐に騙されたらしい。
類似事例

(コドモノユウレイ)
1971年 福島県
子どものお棺に六文銭を入れてやらなかった。子どもが買い物に来るが、いつもその子どもだけが買えないで見ているという話を聞いて行って見たら、自分の子どもだったという。後になって掘ってみたら金を入れてやっていなかった。だから忘れずに入れなければならない。
類似事例

ユウレイ
1974年 東京都
築地にあった御救小屋が愛宕に移されたのは夜中に焼死者の幽霊が出るためだという。しかしその正体は人を驚かして物を盗ろうとした盗賊だった。
類似事例

クマ
1955年 山形県
昔、熊の子どもを産んだ女がいたという話があった。
類似事例

オソキ水神
1965年 宮崎県
オソキ水神は子どもが好き。子どもが河原や神社の境内で遊んでいるとよく現れるし、子どもの帰るときには見送ってくれるという。
類似事例

テング
1972年 千葉県
ある子どもが東茂原のある橋で天狗を見た。その子どもは頭が悪くなって死んでしまった。
類似事例

キツネ
1954年 栃木県
山の神様の怒りで、子どもが狐に殺されることがある。母親が抱いていてもいなくなり、子どもは囲炉裏で死んでいる。
類似事例

ヤマノカミサマ
1954年 栃木県
山の神様の怒りで、子どもが狐に殺されることがある。母親が抱いていてもいなくなり、子どもは囲炉裏で死んでいる。
類似事例

ジゾウサマ,カミサマ
1985年 新潟県
お宮の神様は子どもが好きで、お宮の池で船を出して子どもと遊んだ。お地蔵様も一緒に遊び、子どもがいたずらをしてもばちがあたることはないという。
類似事例

リンカ
1936年 秋田県
墓地には火玉が出た。その燐火に足をのべてみたが熱くはなかったという。
類似事例

トリゴ
1946年 岩手県
生まれたとき体の弱い子どもは取子として神様に名前をもらうと強い子どもになる。
類似事例

タヌキ
1972年 千葉県
子どものころの話。狸が風呂にやってきて、人の背中を叩いたと言う。
類似事例

タヌキ
1979年 三重県
山奥に泊まりこんで山仕事をしていたら、妻が来て「子どもが病気だ」という。急いで帰ったが、家では何もおきていなかった。狸の仕業。
類似事例

フジョウノバツ,マサユメ
1937年 秋田県
保呂羽山権現の元宮の別当の家で火事があり、参詣者でこの家に泊まっていた多くの人が焼死した。これは別当家の老婆が死んだのを秘していた不浄の罰だという。その夜、別当家より他家へ嫁いだ嫁が火事の夢を見ていたという。
類似事例

カッパ
1980年 秋田県
5~6歳の子どもがよくカッパに取られてはらわたを食われたので、魚とりのヤスでカッパを捕まえた。もう子どもを取らないと約束するので許してやった。以来、子どもが溺れることはなくなった。
類似事例

ザンビキワラシ,カッパ
1965年 岩手県
ザンビキワラシとはカッパのこと。小学校2、3年生の子どもくらいの大きさで、子どもがいると思って近づくと、水中に引っ張り込まれる。
類似事例

(ダイナルヒ)
1980年 東京都
享保の頃江戸に住んでいたが、その家の向かいにある山に伝通院という寺があった。正月25日の戌刻に寺の辺りから大きな光が出て北や南に歩いた。その後、空に上って星に成り、夜な夜な輝いた。そして3月8日巳刻に、牛込から千住までの大火事が発生し、この寺の庭で非常に多くの人が焼死した。
類似事例

ヤマノカミ
1941年 岐阜県
山の神は子どもの神なので、子どもが病気になったときは提燈をともして祈ると全快するといわれている。また、山神は狐だという人もいる。
類似事例

モモンガ
1978年 山梨県
倉の中にはモモンガがいて子どもを食べる。子どもが悪さをすると「お倉にいれるぞ」と威す。
類似事例

シンダコドモノタマシ
2001年 青森県
日が暮れて暗くなってから自転車に乗って帰っていたところ、前を青い姿の子どもが歩いていた。しかし、いくらこいでもその子には追いつけなかった。家へ着くと、オバサンの孫が死んでいたことが分かった。その子どもは、死んだ子どものタマシだったのである。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内