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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ベンザイテン
1981年 愛知県
岩屋寺消却の時、弁財天が鎮火したという伝説が残る。その時ついた焼痕の後のある柱が今も残る。

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テングノアシアト
1971年 福島県
天狗の足跡が今も残っている。
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ヒケシベンテン
1980年 愛知県
南知多の岩屋寺に藤島弁財天の噴井がある。ここは水量も豊かで、昔鳥羽の九鬼大隅守の軍勢が知多を侵略する際に岩屋寺に攻め入り本堂に火を放った時、白馬に乗った弁天様がこの噴井から水を運んで火消しに一役かった。この奇跡に村人が気づいたのは、弁財天の足に泥がついているのをみつけたからであり、深く感動したといわれる。
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サカサバシラ
1958年 岐阜県
家の柱が逆柱だと、夜になると泣く。
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キナルコト
1974年 東京都
3月21日の大火の時、看板だけが焼け残った所や、出火元の近くなのに燃え残った小屋があった。
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ヒケシベンテン
1966年 愛知県
慶長5年秋9月「悪竹(あたけ)」と呼ぶ九鬼一族が兵船を出し知多郡西岸を却椋した。横須賀馬走村、大野光明寺、次々に寺を焼き住職を殺し寺宝を奪った。そして岩屋寺に来襲し本堂に火を放った時、弁天様が白馬にまたがって水をかけ鎮火させたので全焼をまぬがれた。(伝説)
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ミソシ
1958年 石川県
河童(みそし)は人畜を害さないと約束し、神社の柱に手判をしてかえった。その跡は今も残っているという。
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カジ
1981年 愛知県
岩屋寺奥の院である晩失火でお堂が焼けたが、大火事の条件がそろっていたにもかかわらず水向所が焼けただけで自然鎮火した。
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〔ヤキゴメ〕,(ゾクシン)
1960年 愛媛県
その年にとれた米を用いて焼米をつくる。秋の社日に焼米ができると秋が良いといわれている。神様にこの焼米を供えて、親類中で祝うという。
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ゼンシンオウ
1979年 東京都
弘化3年(1846)に江戸で火事があり、内邸も類焼した。翌日その跡を見に行くと、南西の隅にある善神王の祠とその風下の家数軒は残っていた。残った家の人に聞けば、炎が盛んだったときに、ここらで見たことのない僧が数人で火を防いでくれたという。鎮火した時にはもういなかった。それらは一時、神の使いと喧伝されていた。
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ノコッタゴチソウ
1942年 青森県
1つ残ったご馳走を食べると、坊主に出会う。1つ残ったものは遠慮しなければならない。
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ユウレイ
1987年 長野県
幽霊は,殺されて恨みが残った時や,供養を怠った時に,足の無い姿で墓地や木の下にでる。
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ウシ,(ゾクシン)
1939年 和歌山県
火事などで牛を焼殺すと7代祟る。
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テン,オヤカタ
1941年 新潟県
或住職の代に、あまり無用心だからとて戸に錠を取り付けたところ、オヤカタ(貂の王)の機嫌が悪くなって困り早速又取り外したそうで、今もその際の釘痕だけははっきり残っている。
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ヨウカイ,サカノウエタムラマロ
1929年 滋賀県
滋賀の田村神社には、坂上田村麻呂が鈴鹿にいた妖怪を退治したという伝説が残っていると言う。
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イシ
1967年 福島県
薬師堂の内に独鈷の形をしている石があり、よく化けたと言われている。今は残っていないそうである。
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ヤマンバ
1999年 静岡県
山姥が3人の男の子を生み育てた。3人の男の子はそれぞれ山の神になった。明光寺の裏山には山姥が出産の時に苦しんでつけた爪の痕がある子産み石が残っている。山姥はお産が上手なので浅間山に祀られている。
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(ゾクシン),ウラナイ,アシアト
1933年 沖縄県
西表島地方では葬儀後の家を清めた後に死者の寝ていた室に灰をまいた長盆を置いて、再びその室を清める。その時長盆の灰に鳥の脚痕があったらそれは運命であり、犬の足痕があったなら不運な死であったという。
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オニ
1933年 岩手県
坂上田村麻呂が退治した鬼の歯が残っている。
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(ゾクシン),レイ
1933年 鹿児島県
四十九日までは霊が家に残っているという。
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カタメノサカナ
1954年 新潟県
片目の魚の中で最も多いのは鮒であるが、このような伝説は全国に多々ある。新潟県長岡市では、片目の魚の話が多く収録された本があるが、場所はすでに埋め立てられてなくなっているが、伝説だけが残っているものもある。
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ウマレカワリ
1944年 東京都
掌に字の痕がある子供が生まれた場合、その子が前世で埋葬された所の土を用いないと痕を消せない。土を得るため訪ねていった米屋と訪問先の富裕な家とが、それを縁にして親戚づきあいをするようになったとの話もある。
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