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検索対象事例

ムシクイ
2002年
往生を示す文言が虫食いの形で帳に現れた。

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ヨゲン
2002年
内裏の柱に虫食いの歌があり,火事を予言した。
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エキシン
2001年 埼玉県
名主が疫病逃れに別時念仏を催し、参加者名を名帳に記し、夢で疫神にその名帳を見せた。名帳に載った人は疫病にかからなかったが、他所に嫁いでいた名主の娘はかかって死んだ。
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チョウツケバアサン
2002年 神奈川県
帳つけ婆さんが帳面を道祖神に預ける。
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ヒトツメコゾウ
2002年 神奈川県
一つ目小僧は地域の人別帳を道祖神に預ける。
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ネンブツ
1974年 徳島県
阿州中郡黒土村に、手ぐり網曳利兵衛という者がいて、平生は狂人のようだが無二の念仏者であった。彼の網には他の者よりも多く魚が入っていた。寛文7年6月15日に、自分は今日往生するので酒を飲もうと言う。周りの者はいつもの狂気かと思ったが、ひとしきり飲んだあと浜に行き、西に向かって念仏を唱えて往生した。以前、自分が往生する時には雷電があると言っていたが、実際その頃大干魃だったのに大雨が降ったという。
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クリ
1933年 岐阜県
源治が老年になって死ぬ前に、庭に栗を植えた。そしてその栗の葉が西に向かい、一枚の葉が縦に切れて二股になれば、極楽に往生するだろうといった。そうなったので源治は往生したのだろうといわれる。
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ダイジャ
2001年 奈良県
宝亀6年4月13日に、中将姫が往生の前日に説法をしていると継母が大蛇となって説法を妨げが、姫の念仏により成仏する。姫は予告どおり、翌日往生する。
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ユウレイ
1988年 長野県
幽霊が出てくる理由は分からないが、それは火の玉の形となって現れる。
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レイブツ
1975年 奈良県
霊仏が汗をかき、善悪のきざしを示すことは少なくない。生駒山般若窟の不動尊は汗をかいて、災いが起こることを前もって世に示した。
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ユウレイ
1974年
密通の罪により乳母と料理人が殺された。すると主家の4~5才の娘にのみ2人の幽霊が見えるようになり、娘は死んでしまった。3年後主人が寝ていたところ不安を感じ寝床の綿帳を離れたら、2人の幽霊が山伏を連れて現れ山伏は綿帳の四方を切り落とし、その上からさんざんに討ち、二人は嬉しそうに眺めうち笑って帰った。この後はまた見なくなった。
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ユメ,ロウソウ
1985年 高知県
夢の中に現れた小僧が示した場所に行くと、老僧が待っていて体全体に円を書いた。そして息を三度吹きかけると、病気が治った。
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(リュウグウノオンナ)
1974年 滋賀県
近江にある木部寺という寺で、文禄4年のある夜、仏殿でこの世の人とも思えぬ気高き女性が大勢で斗帳を織っていた。聞くと、彼女らは竜宮からやって来て、斗帳を織るよう命じられたという。そして織った錦を和尚にあたえて、空に上っていった。この事が住持を通して後陽成帝まで聞こえ、錦織寺という名を与えられたという。
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コナキジジ,ゴギヤナキ
1956年
山奥に現れ、形は爺で、赤児の泣き声をする。
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フドウミョウオウ
2001年 京都府
不動明王が、夢で延暦寺の隆暹に往生の決定を告げた。
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シロイモヤモヤ,ヒトノカタチ
1999年 栃木県
家で白いもやもやが現れて人の形になり、しばらくの間そこにあるように見えて消えた。
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ユウレイ,カミゴト
1974年
幽霊とは魂が形を現すことであり、日本や中国の書に見え、今でも当然現れる。心を残して死んだ人の魂が現れたものである。
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シノヨソク
1944年 愛知県
誓願寺の織田俊成師は、自らが死ぬ日をはっきり示し、そのとおりに死んでいった。
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クジラ,タタリ
1996年 三重県
夢のお告げを無視して子持ちの鯨を捕獲した為に、悪疫が広がったので供養塔を建てた。この村にある寺の過去帳には、当時二人の子供が死亡していた事が記載されていた。
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ポックリコウボウダイシ
2004年 愛知県
荒熊神社山麓に鎮座している。ある時92歳のおじいさんが道端で起き上がれずにいたところ,どこからかお大師様が現れて杖でおこしてくれたという。おじいさんはお礼を言いに来て,一週間後に安らかな大往生を遂げた。
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チショウ,キフドウ
2002年
智証大師の黄不動は、以前に我が国でも現れ、また波間でも現れた。現れて真言を秘するために今まで現れなかったといったという。
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アッコ
1976年
九尾の狐といえば俗に悪狐だと言われるが、もとは瑞獣であり、『太平御覧』にそれを示す記事が引用されている。
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