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検索対象事例

ダイジャボウ
1975年 埼玉県
ダイジャボウが粥を食べたところが粥煮田峠で、粥を煮た釜を伏せたところが釜伏山である。

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デイダボウ
1984年 埼玉県
昔、デイダ坊という大きな人がいて、粥を煮たころが坂本の粥新田(粥煮田)峠で、腰をかけた所が大霧山。粥の箸を立てたところが二本木峠で、すげ笠をとってかぶせたのが笠山になり、足跡は沼になったといわれている。
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ダイダラボウ
1986年 埼玉県
昔、秩父にダイダラ坊という大男がいた。ある年、ダイダラ坊は旅に出ることになった。そして昼飯の時に腰を下ろした所が定峰峠で、粥を煮て食ったところが粥新田峠、使った箸を突き立てた所が二本木峠、笠を置いた所が笠山だという。また、腹いっぱいになったダイダラ坊が大あくびをするのに足を伸ばすと、その足は槻川まで届いた。そして粥を煮た釜は荒川で洗い、その近くに伏せておいた。それが釜伏山である。
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コイ,サカナ
1978年 長崎県
壱岐では12月1日の朝に粥を作り、食べるほか神仏に供えた。「渡り粥(ガイ)」または「渡し粥」と呼び、この粥を食べる前にはどんな小橋も渡ってはならず、渡ると鯉が飛びつくと言われた。この日は「魚の山越し」といって、山に行くと魚が腹をつきぬくとも言った。
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ショウガツノカミ
2000年 徳島県
正月15日の小正月の前日に、樫や椎などを使って粥柱ないし粥杖を作り、また三宝に供えていた白米や里芋などを用いて粥を作り、正月棚に供える。そして15日の早朝に、粥を粥柱の先につけて、家の柱にもつける。終わると門先などに立てて正月の神を送る。
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デイダボウ
1984年 埼玉県
今の釜状はデイダボウが釜を伏せたところである。
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ダイシガユ
1965年 岩手県
遠野地方では、十一月二四日に「大師粥」といって小豆の粥を作って神様に供えるが、上閉伊では、小豆粥を三年食えばその境遇から抜け出せるという。
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(ゾクシン),コイ
1935年 長崎県
師走1日に粥を食う。この日粥を食わない間は、どんな小さい橋でも渡ってはならない。鯉が飛びつくという。
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カユツエ,カユノキ
1983年
粥杖や粥の木というものがあり、小さき棍で女性の腰を打つと、打たれた女性は男子を産むという。
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トウジノアズキガユ
1965年 岩手県
冬至の日の夕食に、小豆を混ぜた米の粥(冬至粥)を食べると中風にならず、健康でいられる。
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ダイジャボウ
1975年 埼玉県
ダイジャボウが二本の箸を立てた。これが二本木峠である。そして、腰をおろした所は休石といい、ダイジャボウの足跡は今でも大霧山山頂や粥煮田の下にある。また、二本木の地名起源に関しては、日本武尊が持っていた箸を捨て、それが根付いて二本の大杉になったからだとも言われている。
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アズキカユ
2000年 香川県
正月15日前後の小正月に小豆粥を炊く。各家は大きな川を挟まずに7軒の家から粥をもらい、子供に萱の箸を使って食べさせると元気に育つ。
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コウボウダイシ
1998年 山梨県
昔、弘法大師が川浦地方のある家の老婆に粥を乞うたが、老婆は粥の中にはヤマメが入れてあり、なまぐさいのでさし上げることはできないと断る。大師は魚は川へ放てば生き返るからといい、煮た山女魚を川へ入れると、魚は皆生き返って粟粥を体につけたまま泳ぎ去った。それ以来笛吹川の山女魚には紅の粟粒がついている。
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カユ
2000年 香川県
正月15日の小正月の朝には、大勢の子供達が家々を「粥つり祝いに来ました」と言ってまわり集めた米で粥を作る。その粥を食べると夏に病気しない。米の他にもせんべい・おいり・餅・豆などももらい、30センチ位の銭差し2本を十文字に括って重箱や1升桝に入れたものを持って回る。
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ショウガツノカミサン,トシトクジン
2000年 徳島県
正月15日の小正月は、おしめ上げといって正月の神さんが帰る日である。朝は早いほどよく、粥を炊いて樫で作った粥箸を添えて歳徳神に供える。そのあとに樫の箸は門に立てる。豊作祈願として粥汁を作物にかける農家もある。
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カシャンボ,ガシャンボ
1981年 和歌山県
炭焼きに行って小屋で粥を煮ていたら、夜になっていないのに暗くなり、大きな影がさして金縛りにあった。しばらくして動けるようになり、外に出たが何もいなかった。ガシャンボの仕業。
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アズキガユ
1940年 千葉県,茨城県
正月15日に小豆粥を炊く。小豆を煮た汁を、家の周囲にひいておくと、蛇など長虫の類が来ないといわれている。
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(ゾクシン),サカナ
1935年 長崎県
師走1日に粥を食う。この日粥を食わない内は山に行くものではない。「魚の山越え」といって、魚が山を飛ぶ日で、その魚が腹をつきぬけるという。
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カユ
2000年 香川県
正月14日頃に送り小正月の行事として、子供達が重箱に一尺程の銭差し2本を十文字に括ったものを入れ、「かいつりさん祝うてつか」と言い、家々を回る。家人は重箱に米や餅・豆などを入れる。15日の朝には集めた材料で粥を作る。その粥を食べるとその年は病気をしない。この日は望粥の節句と言われる。
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フエフキガワノヤマメ
1961年 山梨県
昔、弘法大師が空腹で笛吹川の上流の川浦にたどり着いた。ある家の老婆が粟粥を炊いており、弘法大師はそれを乞うたが、老婆は粥の中にはヤマメが入れてあり、なまぐさいのでさし上げることはできないと断る。大師は魚は川へ放ってやるからといい、煮た山女魚を川へ入れると、魚は皆生き返って粟粥を体につけたまま泳ぎ去った。それ以来笛吹川の山女魚には紅の粟粒がついている。
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カユエダ
2000年 徳島県
正月15日の小正月は上り正月と言い、朝に袴や羽織袴で「なりよし、なりよし」と唱えて、あらゆる果物の木の根を、粥枝で叩く。これをすると正月行事が順調に済んだという。粥枝は前日に樫の木で作り、神棚に祀っておいた物で、15日には新粥を炊いて家の柱にまつるなどした。
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カユ
2000年 香川県
正月15日の小正月には、子供達が取り外した注連縄で枡を作り、各家を回って米や菓子などをもらい歩く習慣があり、それを粥釣といった。集めた米で作った粥を食べると、その年は病にかからない。
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