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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

セツブン,オニヨケノマジナイ,(ゾクシン)
1960年 愛媛県
節分には、軒下にたらの木・鰯の頭などをさして「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまく。あるいは出入り口にタワラギとトベラを供える。また、トベラを出入り口であぶって音をたてる。鬼は天井の煙出しから多く入るといい、その下に女性の髪でタワラギを結んでおくという。以上が鬼よけのまじないであるという。

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オニノイナイムラ
1937年 静岡県
昔、鬼を退治して鬼はいないので豆はまかない。
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マヨケ,オニ,(ゾクシン)
1960年 愛媛県
節分にはすすきの穂の先にメッツタとホーベーの葉をはさんで魔よけにする。節分の豆まきの唱え言は、家では「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外」という。船では、「ふか外、ふか外、鬼は内、鬼は内」とやる。
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セツブンノイワシ,(ゾクシン)
1960年 愛媛県
節分の日に、いわし、メツク、トベラを竹にはさんで、出入り口にさして魔よけにする。
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ゼンキ,ゴキ
1940年 奈良県
柿阪秀元死の家では節分の夜には玄関にすすぎ水をとり、奥座敷に床を敷いて鬼の来て宿る用意をする。この家では鰯の頭を柊にさすことはせず、豆まきは「福は内鬼は内」という。この家は前鬼、後鬼の子孫といわれている。
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オニ
1975年
霊は鬼であり、鬼は気である。
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(ゾクシン),オニ
1933年 栃木県
節分の唱えごと。「福は内福は内鬼は外、鬼の目玉をぶっつぶせ」
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チチオニ
1941年 大阪府
父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
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オニノシソン,オニスジ
1919年 奈良県
安生寺の周囲14、5軒の家では、5月の節句に粽を、また3月の節句に菱餅を作ることをしない。その理由は彼らが鬼の子孫であり、鬼の角の形をした粽、鬼の舌の形をした菱餅を作るのは先祖である鬼に対して申し訳ないためという。節分の日にもこれらの家では「鬼は外」とは言わずに「福は内」とだけ言う。そのため彼らを鬼筋という。
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オニ
1986年 奈良県
節分の夜には鬼が焼いた鰯の臭いに誘われてやってきて柊で目を突いて逃げるとも、鰯の頭を焼いた悪臭で鬼が逃げるとも言う。
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オニ
1961年 和歌山県
百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
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オニ
1997年 静岡県
鬼払いの行事の過程に関する記述。鬼払いに出る鬼は、青鬼、赤鬼、黒鬼の3匹である。鬼役を務めると厄逃れや兵役逃れ、弾逃れになるといって希望する者が多かったという。
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(ゾクシン)
1973年 三重県
柊のことを「鬼の目さし」という。節分の日は、鬼門の窓から鬼がのぞくといってこれを窓にさしておくという。
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キンキ,フウキ,スイキ,インギョウキ
1975年
天智天皇の時代に、藤原千方という者が金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4鬼を使役していた。伊賀と伊勢の国はこの鬼のせいで、天皇の支配に入らなかった。そこで紀朝雄という人物が「草も木も我大君の国なればいづくか鬼の栖なるべき」と和歌を詠んで鬼のもとに送りつけたところ、たちまちに鬼はいなくなり、藤原千方は朝雄に討ち取られたという。この鬼は狐狸の類か。
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オニ,セツブン
1915年 香川県
節分の日、男は鬼の面をかぶって戸口に外に立ち、女はお多福の面をかぶり連れ立って家々を廻る。お多福が家に入ると鬼も入ろうとするが、お多福は鬼が入るのを制し、そしてその家から米や銭をもらう。家では鬼を防ぐために柊と鰯の頭を戸口にさしておく。
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オニ
1976年 新潟県
昔、頼光と金時と渡辺の綱が鬼退治にいき、綱は鬼の腕をとってきた。次の日の夜、鬼が綱のおばあさんにばけて腕を見に来た。綱は拒んだがおしきられて見せたところ、鬼は正体を出して腕をつかんで高窓から逃げた。以後、渡部姓の家では煙出しの窓をつくらないし、節分の豆まきにも「鬼は外」とはいわない。
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オニ
1936年 山梨県
馬方が馬に鰯を乗せて帰宅する途中、鬼に出会って松の木に登って隠れた。鬼は鰯も馬も食べてしまった。馬方は鬼の家までつけていき、2階に隠れていた。馬方は鬼が味噌を取りに行く間に、鬼が焼いていた餅を食べてしまった。その後、鬼が釜の中で寝たので、蓋をして火を炊いた。鬼は焼き殺されて脂になった。馬方はそれを売って長者になったという。
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セツブン,オニ
1964年 福島県
戦争前までは、節分の前夜、子どもたちが首に袋をさげ「豆たんもうれ、豆たんもうれ」と村中の各戸をまわり、豆やとうきびをもらって歩き、次の節分の夜に「福は内、鬼は外」といってまいた。家々では、炒った豆を用意しておいて、もらいにくると木わんに入れて出してやった。
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オニ
1966年 静岡県
節分の2月3日4日を鬼おどかしという。「鬼は外、福は内」のほかに「隣の婆、婆、屁をひった、しゃらくさい、うーん臭い、まっと臭い、ぷー」と唱える。臭いといって鬼が逃げる。
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オニ
1938年 長野県
節分のとき、米の粉で鬼の目玉というものを作って家の入り口にさしておく風習がある。豆まきで追い出された鬼がやってきても、鬼の目玉を見て「俺には2つしか目玉がないのにここには三つ目のやつがいる」といって、家の中に入ってこないのだという。
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ヤギョウサマ
1939年 徳島県
節分の晩には、夜行様という鬼が来る。これは一つ目で髭の生えた鬼だという。
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ウシオニ
1985年 和歌山県
牛鬼は、頭が鬼で、首から下が牛のようになっている。淵によく牛鬼が出るというので、昔は暮れ方にになると、淵のある所を通らなかった。昔、牛鬼を見て寝込み、頭がおかしくなった人もいた。
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