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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ
1938年 長野県
節分のとき、米の粉で鬼の目玉というものを作って家の入り口にさしておく風習がある。豆まきで追い出された鬼がやってきても、鬼の目玉を見て「俺には2つしか目玉がないのにここには三つ目のやつがいる」といって、家の中に入ってこないのだという。

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オニ
1982年 群馬県
1月31日に米・蕎麦・稗の粉で繭玉を作り、門口や窓や神仏に供える。これを「鬼の目玉」といい、魔除けにする。鬼が来たとき、この大きな目玉を見て逃げるという。
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(ゾクシン),オニ
1933年 栃木県
節分の唱えごと。「福は内福は内鬼は外、鬼の目玉をぶっつぶせ」
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オニ
1989年 長野県
信州では正月晦日に団子を串に刺して家の戸口に挿す習わしがあり、これを鬼の目、または鬼の目玉といっている。団子の数は必ず3つで、鬼が俺の目は2つだが人間には3つも目があるのかと驚き、閉口して帰るようになるという。
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オニ
1986年 埼玉県
十二月八日は一つ目玉の鬼が病気を引き上げる日なので、病人は元気になる。
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オニノイナイムラ
1937年 静岡県
昔、鬼を退治して鬼はいないので豆はまかない。
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ゼンキ,ゴキ
1940年 奈良県
柿阪秀元死の家では節分の夜には玄関にすすぎ水をとり、奥座敷に床を敷いて鬼の来て宿る用意をする。この家では鰯の頭を柊にさすことはせず、豆まきは「福は内鬼は内」という。この家は前鬼、後鬼の子孫といわれている。
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チチオニ
1941年 大阪府
父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
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オニ
1975年
霊は鬼であり、鬼は気である。
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オニ
1966年 新潟県
昔は鬼が正月にやってきて、12月に帰って行った。鬼が節分にやって来たとき、家の前に箕を置きっぱなしにしていたところ、鬼は逃げ帰った。以来、節分には家の入口の柱に箕や米通しを掛ける。
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オニ
1961年 和歌山県
百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
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(ゾクシン)
1973年 三重県
柊のことを「鬼の目さし」という。節分の日は、鬼門の窓から鬼がのぞくといってこれを窓にさしておくという。
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メダマノバケモノ
1982年 群馬県
大武士神社にひざに目玉のある化物が出ると言うので、信じない男が見に行ったら、出た。
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キンキ,フウキ,スイキ,インギョウキ
1975年
天智天皇の時代に、藤原千方という者が金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4鬼を使役していた。伊賀と伊勢の国はこの鬼のせいで、天皇の支配に入らなかった。そこで紀朝雄という人物が「草も木も我大君の国なればいづくか鬼の栖なるべき」と和歌を詠んで鬼のもとに送りつけたところ、たちまちに鬼はいなくなり、藤原千方は朝雄に討ち取られたという。この鬼は狐狸の類か。
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ヤギョウサマ
1939年 徳島県
節分の晩には、夜行様という鬼が来る。これは一つ目で髭の生えた鬼だという。
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オニ
1952年 大分県
昔、鬼がいて、川の向こうの鬼と大声で誘い合って、日高の高千穂まで人をとりに行った。今でも、鬼の家といわれる家があり、その家の人には牙が生えるという。
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オニ,セツブン
1915年 香川県
節分の日、男は鬼の面をかぶって戸口に外に立ち、女はお多福の面をかぶり連れ立って家々を廻る。お多福が家に入ると鬼も入ろうとするが、お多福は鬼が入るのを制し、そしてその家から米や銭をもらう。家では鬼を防ぐために柊と鰯の頭を戸口にさしておく。
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オニ
1986年 鹿児島県
ある人が狩りに行って、木の上にしばられた鬼ににぎり飯をやったら、鬼が力をつけてしばっていたカズラを切り逃げた。実はその鬼はその人の妻の父がしばっていたもので、逃げた鬼は妻をさらって鬼が島へ行ったという。妻をとりかえすために箱に入って鬼が島へ行き、鬼を退治する。
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オニ
1983年 栃木県
昔、節分の夜に一匹の鬼がどこの家も泊めてくれず、困り果てて山の麓にある樵の家に泊めてくれるよう頼んだ。住んでいた二人の老人は快く鬼を泊めた。お礼に鬼は高価な鬼の褌をくれた。お婆さんが感謝し、来年もまた泊まって下さいと言ったら、鬼は笑いながら「褌がなくては来られません」と言った。だから来年の話をすると鬼が笑うのだという。
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オニノシソン,オニスジ
1919年 奈良県
安生寺の周囲14、5軒の家では、5月の節句に粽を、また3月の節句に菱餅を作ることをしない。その理由は彼らが鬼の子孫であり、鬼の角の形をした粽、鬼の舌の形をした菱餅を作るのは先祖である鬼に対して申し訳ないためという。節分の日にもこれらの家では「鬼は外」とは言わずに「福は内」とだけ言う。そのため彼らを鬼筋という。
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オニ
1997年 静岡県
鬼払いの行事の過程に関する記述。鬼払いに出る鬼は、青鬼、赤鬼、黒鬼の3匹である。鬼役を務めると厄逃れや兵役逃れ、弾逃れになるといって希望する者が多かったという。
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ウシオニ
1985年 和歌山県
毎年大晦日に、牛鬼が出るといわれていた。けれども、その牛鬼を実際に見た人はいないという。
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