日文研

まんが訳絵巻物プロジェクトとは何か

まんがアニメの起源は何故、絵巻物ではないのか

大塚英志

まんがやアニメーションの起源は中世の絵巻物?

まんがやアニメーションの起源を中世の絵巻物に求める俗説がある。

俗説と書くのは後述するようにそれが「創られた伝統」に他ならないからである。確かに美術の教科書の中には『人物鳥獣戯画』をまんがと結びつけた記述があり、故・高畑勲も自身の絵巻物論を『十二世紀のアニメーション』と題して刊行している。

海外では近年、日本のまんがアニメに関する学術研究や美術館での展示が多数なされているが、必ずと言っていいほど、中世以降の絵巻物、あるいは浮世絵の「伝統」との結びつきが強調される。それどころか、これらの「伝統」の所在が日本のまんが・アニメの現在の隆盛の理由としてまことしやかに日本人によって説かれることも稀ではない。

正確に言うと、このまんが・アニメ文化伝統起源説は、①キャラクターの作画法、②絵と物語が連動した演出法の2つに大別される。前者の例としてしばしば挙げられるのが『鳥獣人物戯画』であり、後者の代表が『信貴山縁起絵巻』である。しかしこれらを例に、まんが・アニメの今に至る「起源」だというのは印象論の域を出ないどころか、実は「印象」にさえ反している。

ぼくのまんが論を読んだことがある方にはまたか、と思われる事例だが、【図1】に掲げた3パターンのキャラクターの画像を見て、一体、どれとどれが似ていると思うか改めて考えてみて欲しい。

【図1】A左 手塚治虫「鉄腕アトム」(1951)、A右 手塚治虫「ジャングル大帝」(1954)、「鳥獣人物戯画」(12C)、C上Walt Disney「Steamboat Willie」(1928)、C下 Pat Sullivan「Felix the Cat」(1919)

ぼくの「印象」では手塚治虫のアトムやレオは『鳥獣人物戯画』の動物たちではなく、ミッキーマウスやフィリックス・ザ・キャットの末裔に感じられる。しかし、絵巻物起源説論者は『鳥獣人物戯画』の兎とレオが似ている、と主張する。どこが似ているか、と訊くと、滑稽さやユーモア、動物を擬人化したことなどという答えが返ってくるが、それらの特徴はあらゆる文化圏を超えて、カリカチュアライズされた絵に共通のものだ。

あるいは『鳥獣人物戯画』ではないが、人が見ている夢をスピーチバルーンに似た表現で描いてある中世の絵画を持ち出して、まんがの起源だという研究者もいる。そういう人は、まんが研究以外の、別の領域の専門家が多く、学識ある人々が、「スピーチバルーン日本起源説」という珍説を語っていることに無自覚なのはいただけない。

まんが『鳥獣戯画』起源説は、1920年代、まんがが文化として社会認知を得ていく過程で細木原青起が『日本漫画史』を絵巻物から解き起こしたのが出発点だ。新しい文化が市民権を得たいと、伝統という権威と結びつこうとするのはよくあることだ。

絵巻の演出法とまんが・アニメの関係

アトムやレオが何故、ミッキーやフィリックスに似ているのか、両者の系譜関係や一体、ミッキーたちのどの要素がいかにしてアトムたちに至ったか、についてはぼくの『ミッキーの書式』、そしてその上でミッキーとアトムはキャラクターのあり方としてどう違うのかは『アトムの命題』でそれぞれ印象論でなく筋道を立てて説明してある。ちなみに少女まんがのキャラクターは、『源氏物語絵巻』や浮世絵の女性画が引きあいに出されることが少なくないが、こちらは、明治30年代、ちょうど世紀の変わり目のあたり、アルフォンス・ミュシャの受容によって女性の描き方の書式が更新されて成立し、それが戦後、再発見されたものである。それについては、誰が見ても見てわかるように、その流れを『みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ』(2019-2020)という展覧会をお手伝いするとともに同じくぼくの『ミュシャから少女まんがへ』にまとめた。ことで示した。

高畑勲の用いた「メディア理論」とは

だから、問題はもう一つ、絵巻の演出法がまんが・アニメの現在に連なるのかにある。

冷静に考えれば、ことばによる物語と絵からなる表現も、また古くからどの文化圏にも存在する。第一、絵と物語がセットの表現なら「絵本」や「紙芝居」も同様である。しかし、何故か「まんが・アニメ」の起源として中世の絵巻物がわざわざ主張されるのには、実が相応の経緯がある。

ぼくは先ほど、絵巻起源説として高畑勲を例に出したが、正確に言うと、高畑の絵巻物分析はその演出方法を緻密な映画理論の援用で行うもので、実は本書が「絵巻物のまんが訳」で採用した手法と同じなのである。ならば伝統起源説は正しいのではないかと短絡しないでほしい。

ぼくは今、高畑の「分析」と、そして本書のまんが訳の「手法」が「同じ」だと書いた。ここは大事な点なのでよく理解してほしい。

高畑勲は彼の絵巻論の中で、あるメディア理論に基づいて絵巻物の演出を丁寧に解釈してみせた。そして本書のまんが訳を行った、まんが創作を学び、研究する若い学生たちもまた、同じメディア理論で絵巻物を解釈した。その解釈の結果を図版と文章で学術的に説明するが、こうやって「まんが形式」で見せるかは実のところアウトプットの手段の違いに過ぎない。思考プロセスは極めて近いのだ。

「映画的」「モンタージュ的」が「日本的」と同義に

さて、それでは、いささかもったいぶって記した高畑の用いた「メディア理論」とは何なのか。それはエイゼンシュテインらのモンタージュ論を軸とする1920年代のソビエトが創り出した映画理論である。つまり高畑はモンタージュ論という映画の古典的な理論で絵巻を分析してみせたのである。

この試みは高畑が初めて行ったのかと言えば、そうではない。日本では昭和初頭、モンタージュ論を中心とするソビエトの映画理論の日本への大量流入が起きる。大正末期にはエイゼンシュテインの『映画の弁証法』は雑誌などで妙訳が紹介されていたが、1932(昭和7)年に翻訳書が刊行される。1932年というと満州事変の翌年である。つまり十五年間に渡る戦争状態に突入していく中での刊行である。

言うまでもなくソビエトの映画理論は社会主義のプロパガンダ映画のためのものである。当時、来たるべき大戦は「宣伝戦」だと喧伝されていて、だからその方法はプロパガンダの内容さえ差し換えればファシズム体制に向かう日本でも「活用」できるものだった。中でも「文化映画」やニュース映画など国策映画にこの手法が援用された。

一方で、エイゼンシュテインの『映画の弁証法』は、偏と旁からなる漢字を例に日本文化をことごとく「モンタージュ」とみなした。偏と旁は象形文字まで遡ればそれぞれ意味を持っていて、それを合わせて一文字にすると新しい意味が産まれる、つまりモンタージュだという理屈である。短いフレーズの組み合わせからなる和歌や俳句も当然、モンタージュになる。しかし漢字は中国文化だし、短歌がモンタージュなら漢詩もモンタージュじゃないか、とはまでは当時の日本人は理性的になれなかった。外国人に評価されるのが大好きな「日本スゴイ」は今に始まったことではなかったのだ。

エイゼンシュテインは『映画の弁証法』の中で【図2】のような日本画の教本をどこから手に入れたのか、掲載している。

【図2】『アトリエ』第17巻13号臨時増刊」絵巻の構成」(1940年、アトリエ社)

彼にはこれもまた、日本人が一本の樹を描くにあたって「枠」の中に部分を任意に切り取っていくことことで、「モンタージュ」に於ける「切断」「摘出」を行っていると、これも善意の誤解をした。エイゼンシュテインは「日本人は枠をとる」と興奮して記すが、そこでも、いや西洋画だって風景をキャンパスに切り取って額縁に入れるんじゃないの、と思う人はどうやら少なかったようである。

エイゼンシュテインは日本文化への言及の後でアフリカ部族社会の文化へと論を繋ぐので、つまり日本文化はプリミティブだ、と実は言っているのだが、そうは受け止められなかった。その結果、日本文化をモンタージュ論的、映画的に解釈することが流行してしまう。「映画的」という日本語はこの時点で「モンタージュ的」のニュアンスを強く含み、同時に「日本的」のニュアンスも含むようになる。日本文化モンタージュ説とでも言うべき日本文化論が実は戦時下に出来上がるのだ。

モンタージュの技法がプロパガンダ用に映画だけでなく写真などの視覚表現にも多様に転用されていたこともあり、モンタージュと日本文化を結びつけることは、ソビエト産の理論という「産地」を偽装するとまでは言わないが、曖昧にするには都合が良かった。その中で、元はマルクス主義の映画運動に関わり、戦時下は、文化映画やニュース映画など国策映画作りに関与する映画人たちを中心に唱えられたのが、「絵巻物モンタージュ説」である。

確かに絵巻物の中には建物などが風景に比して大きく描かれていたり、場面の転換もある。それをアップショットだ、カットバックだと言い出したのである。

そして絵巻の研究者が、権威ある美術雑誌『アトリエ』の増刊として『絵巻の構成』【図3】を執筆、一冊丸ごとソビエト映画の映画理論を駆使して「信貴山縁起」を中心にその手法を映画的に解釈して見せたのである。高畑の絵巻論はこの書で示された分析を更に精緻にしたものだ。

だから重要なのは、絵巻物が「映画的」なのは、「映画的」=モンタージュ論という「見方」で絵巻物を解釈したという意味であって、そのことで、絵巻が日本の映画文化の起源だと言っているわけではないということだ。むしろ、日本文化の本質はモンタージュだから新しい日本文化はモンタージュ的になるべきだ、という、日本文化モンタージュ化計画の主張に近い。事実、エイゼンシュテインも日本文化はこんなにモンタージュ的なのに映画は全く違うと言っている。

このように戦争が進むにつれて、次第に「映画的」「モンタージュ的」は、しばしば「日本的」と同義に用いられるようになっていく。

【図3】 ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』(1830)を元に作成

手塚治虫の「映画的なまんが」

さて、しかしそれはあくまで絵巻が「映画的」に解釈されただけである。それが、アニメやまんがと、どう繋がるのか。

モンタージュ的手法は文化映画、記録映画で積極的に用いられたが、1945年、敗戦直前に日本初の長編アニメーション『桃太郎 海の神兵』が完成する。これは実際の戦闘をアニメで記録映画的に再現した文化映画である。つまりモンタージュ的という意味で「映画的」なアニメであった。そして戦時下の早熟な映画少年であった手塚治虫が、敗戦直前、このアニメを観た。手塚はすぐにこれが文化映画の様式のアニメへの援用だと見抜き、彼のノートにこの手法を用いた9コマを描いたのである。1コマが映画の1カットとしてブロッキングサイズ(ロングショットやアップショットなど、対象物を捉える大きさ)やカメラアングルといった情報を正確に含んで設計され、それを繋いでいくまんが、つまり「映画的」手法のまんがが、ここに示されているのだ。「映画的」とはモンタージュ的と同義であり、その手法からなる「映画的なまんが」は、かくして戦時下に成立したのだ。

その結果、アニメとまんがと戦時下の文化映画・記録映画は同じ「映画的」手法を持つことになる。手塚の「映画的」手法は、戦後を通じて、コマを大小に変型させ、本や雑誌を見開いた状態でレイアウトとすることで技法としてより進化し、それが、私たちが雑誌メディアの中で目にしているまんがなのである。

まんがの手法で絵巻を今の人々が「読める」ようにする

今回行ったのは、このような現在のまんが表現に於ける「映画的」手法を改めて絵巻物の解釈を用いたものである。だがそれは、まんがの起源が絵巻であることの証明にはならない。元々これはぼくの前任校で、まんがを描く学生のためのゼミの一貫として始めたものだ。

少し振り返ると元々は、2010年、神戸芸術大学で電子コミックの実験的アプリを製作するぼくの自主ゼミが発足、そこで、縦、横のスクロールまんがの実験が行なわれた。

その中で横スクロール形式とタブレットの相性の良さに注目、まず、絵巻物の演出論を現代まんがの手法と統合する「横スクロールまんが」の実験を行った。コマを使ってみたがしっくりいかず、異時同図法などを使ってみた。つまりは絵巻がもしまんがに進化したらこうなるよ、という仮説実験である。 

そして次に絵巻の「まんが訳」実験をした。学生に自分たちが学ぼうとするまんがの方 法論を理解させるために、「絵巻物」をまんがに置き換えさせる側面があった。彼らは現代まんがの規則である「映画的手法」を学んでいるから、それをアプリのように使って「絵巻」をまんがに変換できることを確認させたのである。

2012年には石本悠馬、上原光一、立川侑子、矢崎裕子、白川歩実が神戸芸術工科大学のギャラリーで「信貴山縁起」の一部を「まんが訳」公開した。一期生の山路亮輔が主として担当した横スクロール実験先もここで公開した。

2017年には、アングレーム国際漫画フェスティバルで清水雄太、楠本博之、田口加奈、安田佳澄、稲雅子がまんが訳やスクロールのプレゼンテーションをした。いずれも山本ゼミ生である。

そしてこの日文研大衆文化研究プロジェクト内で行われたまんが訳絵巻プロジェクト、及び、『まんが訳 酒呑童子絵巻』&『まんが訳 稲生物怪録』の制作(2020〜2021)には山本ゼミから、鳩野マメ、竹田侑斗、小高優大、井上荘、小原遥、山本崇が参加した。いずれも、山本忠宏の指導である。

並行して中国在住のまんが家・浅野達哉、斉梦菲は「縦スクロール」などのまんが様式間の変換実験を行い「まんがでわかるまんがの描き方」と題してリリーズを続け、絵巻プロジェクトを理論的に支えた。何故、中国かといえば、同地では縦スクロール型のwebまんがが紙のまんがを淘汰、浅野がその最前線で中国のwebコミックのヒット作の小回りを手がける演出家であり、斉は石森章太郎研究で石森の演出論をテーマに博士号を取得した研究者で教員も兼ねるからだ。

このような、実作と教育と研究がリンクする体制で本プロジェクトは行われた。

実作と教育と研究がリンクする「まんが訳絵巻物プロジェクト」

され、重要なのは、まんが訳で用いたのは「映画的手法」という戦後まんがの「文法」であるということだ。従ってこのような「まんが訳」は「日本の絵巻物」以外が材料でも、いくらでも同じことができる。【図4】

これは「日本の伝統」でなく、戦時下日本に発生した「現代まんが」の手法なのである。

そもそも中世以降、絵巻物の情報を人がどう受け止めたかは時代ごとに変遷がある。例えば中世から近世にかけて盛んにつくられた絵巻の絵を扇の中に模写し(つまり「切り取り」)、それを数点、屏風に張り込むという表現があったが、そこでの絵巻の「切り取り方」は今回、本書が示したものとは全く違う。絵巻を絵本に作り直したのも多数あるが、同様だ。

それぞれの時代で、人々が共有する解釈の装置によって絵巻物は受けとめられ、書き換えられ、それ故に読まれ続けてきたのである。

【図4】ちくま新書『まんが訳酒呑童子絵巻』解説を加筆

このように、本プロジェクトはまんが・アニメ絵巻起源説という俗説には少しも与しない。

しかし、現在のまんがが用いる「映画的」手法で絵巻を構成し直すことで、絵巻を今の人々が「読める」ようにすることは意味があると考える。美術館や博物館で絵巻の展示を見ても専門家でない限り簡単に「読む」ことは出來ない。しかし、このような形式に置き換えると絵巻の、特に「絵」の情報として組み込まれた物語の機微を読みとることができるはずだ。例えば『酒天童子絵巻』で天皇から鬼神退治の勅命を受ける頼光の横顔を大胆にアップで一コマとすることで、まだ身分の低かった武士である彼の高揚ぶりがリアルに伝わってくるはずだ。

そうやって改めて「絵巻」を「読む」ことで、『酒呑童子絵巻』がキャンベルの単一神話論に忠実な物語構造を持つこと、『道成寺縁起絵巻』が女性の心理の機微を描いていること、『土蜘蛛草子』の導入が化け物屋敷で妖怪を出会う物語のセオリーを用いていることなど、「物語」のあり方と、その妙味に容易に触れることもできるのである。

無論、理屈抜きに楽しんでもらえれば何よりだ。

最後に本プロジェクトの試みは誰にでもできるわけではないことは記しておきたい。これはまんがの表現法を正しく身につけた者の参加によって初めて可能なのである。

直接の作業を行ってくれた神戸芸術工科大学の山本忠宏ゼミの学生や助手たちはまんが家としては卵たちだが、彼らがまんがの手法を正確に真摯に学んできたからこそ、本プロジェクトの試みは可能だったのだということは強調しておきたい。理論的な整理は並行して浅野、斉らが行ったが山路も含め、実作による「仮説実験」という、人文系の研究としては極めて稀有な研究方法を今回は実作者の参加によって実現した。その研究方法の新しさと可能性に当の日文研がどこまで気づいているかは極めて心もとない。

しかし、僕たちは「右から左にまんがにした」のではない。

プロジェクトメンバー

大塚英志
一応、国際日本文化研究センター教授。
しかし正体は「黒鷺死体宅配便」や「木島日記」などで知られるホラーまんが原作者。本プロジェクトをその前身、前任校・神戸芸術工科大学の電子コミック自主ゼミで立ち上げる。
山本忠宏
神戸芸術工科大学まんが表現学科助教。
2017~2019年度末まで日文研客員准教授。
カメラマン・映像作家でもある。まんがを描かないが、まんが教育の達人。そのゼミで数多くのまんが家を育てる。絵巻まんがプロジェクトの現場監督役。
鳩野マメ
神戸芸術工科大学山本ゼミ出身。
まんが表現学科助手を経てまんが家デビュー。かわいくてコワイ、ホラーが得意。ネーム(コマ割り)という最重要パートを担うキーパーソン。
竹田侑斗
山本ゼミ出身。
まんがイラスト制作やアシスタントとして活動しつつ、コミティア等で作品をリリースする気鋭。本プロジェクトのデジタル担当で大活躍。
浅野達哉
白泉社「ヤングアニマル」誌で新人賞受賞後、神戸芸術工科大学助手を経て北京外国語大学日本語学科講師として赴任、北京伝媒大などでまんが表現を指導。まんが演出家としてwebコミックの最前線で活動。
→FACELESS【縦スクロール版】
→Facelessダークヒーロー編【縦スクロール版】
齐梦菲
日本に留学後、石森章太郎研究で博士号を取得。「まんがでわかるまんがの描き方」(『ヤングエース』KADOKAWA)の作画を担当。博士号を持つ現役まんが家。中国の大学教員の顔も持つ。
山路亮輔
まんが家。主として横スクロールの実作実験に参加。代表作に全編3Dモデリングを使用した「Biscuit」がある。
→Biscuit【3Dモデリングコミック】
山本ゼミ
『信貴山縁起絵巻』作品展示会(2012)石本悠馬・上原光一・立川侑子・矢崎裕子・白川歩
『信貴山縁起絵巻尼君の巻』アングレーム国際漫画フェスティバル発表(2017)清水雄太・楠本博之・田口加奈・安田佳澄・稲雅子 『まんが訳 酒呑童子絵巻』&『まんが訳 稲生物怪録』(2020〜2021)
鳩野マメ・竹田侑斗・小高優大・井上荘・小原遥・山本崇

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まんが訳絵巻プロジェクト

eotsuka1★nichibun.ac.jp

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