■トピックス  2018年

2018-06-15 日文研の話題

[創立30周年記念国際シンポジウム・リポート①]「日本研究」と日文研の過去・現在・未来について語り合う(2018年5月20 - 21日)

 5月20日・21日の両日にわたって、日文研創立30周年の記念事業を締めくくる国際シンポジウムが開催されました。「世界の中の日本研究―批判的提言を求めて―」と題したシンポジウムには、過去に外国人研究員として日文研に長期滞在し共同研究や研究交流活動を行った、ゆかりの深い研究者16名が世界12カ国から集い、日文研教員との活発な対話を通じて旧交を温めました。
 
 一日目は、小松和彦所長の挨拶と、井上章一実行委員長による趣旨説明に続き、「歴史」「古典・言語」「舞台芸術」の三つの領域で、発表とコメントによる応答が行われました。
 
 「歴史」領域では、まず、マティアス・ハイエク氏(パリ・ディドロ大学准教授)が「新しい問題意識の共有へ:フランスにおける日本(文化)史研究の近況を一例にして」と題して発表。フランスでの日本研究が、教員の増加と世代交代によりこれまでになく活発化している現状を報告し、今後の日文研に対しては、国際的な共同研究のネットワークを個人主体から組織同士の連帯へと広げていくこと、また、日本研究以外の新たな比較研究への関わりに努めることの重要性を説き、「相対的な全体化への道を開いていくことが、今後の存続への課題」と指摘しました。
 続いて、「日本史研究の国際化及び学際化にむけて」という発表で、ファン・ハイ・リン氏(ベトナム国家大学准教授)は、近世の日越交流史の中から「象の貿易」と「松阪縞織のルーツ」の二つを事例に、国境、ならびに歴史学というディシプリンを越えた資料・文献のクロスチェックや、学際的研究方法の必要性を論じました。
 ランジャナ・ムコパディヤーヤ氏(デリー大学准教授)は「日本研究と社会科学―インドにおける日本研究の現状から」と題し、インドにおける二つの大きな流れ――「地域研究としての日本研究」と「外国語としての日本研究」――について、その歴史を振り返り、第二次世界大戦後に日本や欧米の研究者らの間で有力であった「日本人論」が日本の文化・社会の独自性を強調し過ぎたあまり、日本研究が一般の社会科学から孤立した一面もあると主張しました。日本研究はいかに社会科学の発展に貢献できるのか、また、グローバル化の中、言語の壁を越えて日本研究をどのように世界へ発信するのかと、今後の課題を提起しています。
 
 「古典・言語」領域では、「世界の中の日本研究―古典文学」と題してマラル・アンダソヴァ氏(日本学術振興会外国人特別研究員/和光大学)が、海外の研究者が日本の古典文学を研究するうえで直面する二つの大きな課題――原典の翻訳における敬語表現と、原典の解釈と研究方法――について、ロシア語圏や英語圏での豊富な事例をもとに解説。細分化され隣接分野の研究者と議論が共有できない傾向にある日本の学界に対し、広い視野での問題意識の共有を呼びかけました。
 続いて、言語史を専門とする李康民氏(漢陽大学教授)は「韓国における日本研究の現状と日文研への提言」の中で、韓国の日本研究と、日本の古典文学の翻訳状況を概観したあと、日文研は何よりも新しい「日本の魅力」を発掘して、それを海外へ発信強化していかなければならないとし、海外研究者と共有できる研究テーマの開拓や活動空間の構築を求めました。それに対し、コメンテーターの楊暁捷氏(カルガリー大学教授)も、「日文研の一番の財産はネットワーク。人的資源・研究資源・研究成果を共有するうえでまだまだやるべきことはある。物理的な空間ではなく、ヴァーチャルな空間づくりがこれからの課題」と補足しました。
 
 「舞台芸術」領域では、時田アリソン氏(京都市立芸術大学客員教授)が、「日本音楽研究の『内と外』」と題し、海外の研究者が日本音楽を研究する場合に起こりうるコミュニケーションの問題を取り上げ、長い年月をかけて高い日本語能力を身につけてもなお払拭できない、日本の「内と外」の学問的期待の「食い違い」について体験談を交えて語りました。一方、日本音楽の研究に外国人研究者が影響を与えた「パラダイムシフト」例として、ローレンス・ピッケンの雅楽研究とケネス・バトラーの語り物研究を紹介し、世界への日本音楽の発信における外国人研究者の役割の重要性についても強調しました。
 一日目の最後に登壇したイタリアのボナヴェントゥーラ・ルペルティ氏(カ・フォスカリ大学教授)は、「共同研究の力点を考える」という論題の下、日文研で2015年から1年間にわたり代表を務めた共同研究「日本の舞台芸術における身体―死と生、人形と人工体」の成果を報告しました。日本文化・思想における身体観を演劇史・美学・比較文化・宗教史・ダンス研究等の幅広い分野から国際的・総合的に検討し、舞台芸術の本質に迫る議論ができたと総括しています。そして、世阿弥の「遊楽万曲の花種をなすは、一身感力の心根也」を引き、それぞれの国の文化に対する理解と知識が、国際平和にとって最も大切である、と結びました。
 
リポート②に続きます。
 
 
(文・白石恵理 総合情報発信室 助教)