■研究活動 共同研究 2011年度

徳川社会と日本の近代化-17~19世紀における日本の文化状況と国際環境-

領域 第三研究域 文化比較

日本の近代は、嘉永6(1853)年、ペリーが東印度艦隊を率いて来日し、米国大統領の親書を日本側に手渡すとともに開国通商を求めたという衝撃的な事態の到来から始まると一般には理解されている。多くの日本近代史に関する概説書も、ここから叙述を始めるのを常としている。その翌年に日米和親条約を締結して開国に踏み切ってのちは、ヨーロッパ諸国と相次いで和親条約を締結し、さらに米国と通商条約を結んで本格的な開国の態勢に入り、その後は一連の条約をめぐる政争から内乱に発展し、明治維新によって天皇を中心とする統一国家が成立し、近代日本が形成されていった、云々。日本人は徳川時代から明治時代に至る歴史のプロセスを、このような形で捉えている。それは紆余曲折とダイナミックな政治ドラマを伴うものではあるが、明治の日本が最終的にそうした姿をとるに至ったことは、別に不思議であるとも思わない。 しかし、目を転じて日本以外の国々を眺めやるならば、この日本が経験した歴史的プロセスが決してあたりまえではないことが理解できる。同時代のアジア諸国は、そのほとんどが欧米列強の植民地に編入されるか、蚕食の危機にさらされていた。このような19世紀のアジア情勢(それは世界情勢でもあるのだが)を見るとき、日本が独立を堅持したうえで、資本主義的経済発展を遂げ、社会の近代化を達成しえたことの文明史的な意義は少なくない。では、それが何故に可能であったのかと問うとき、明治政府が採用した近代化政策を持ち出すだけでは、説明は到底不可能であろう。明治国家に先行して存在し、欧米列強のアジア進出を予見し、国家的規模でその対策を講じ、そして彼らに互しうるだけの力を蓄えていた徳川日本の文明史的力量に、自ずから着目せざるをえないであろう。 徳川日本の社会はどのようにして、そのような力量を備えるに至ったのか。本共同研究会のテーマはここにある。研究代表者笠谷の主宰した前回共同研究「18世紀日本の文化状況と国際環境」では、徳川日本の18世紀に焦点をあて、その社会に胎胚していた新しい文化的動向を広範な分野にわたって解明した。今回は対象を拡大して、17世紀から19世紀に及ぶ徳川社会全般を取り扱い、如上の問題、日本の近代化にとって徳川社会はどのような力powerを、いかにして形成しえたのか、これを多分野の研究者とともに総合的に究明する。

研究代表者 笠谷 和比古 国際日本文化研究センター・教授
幹事 佐野 真由子 国際日本文化研究センター・准教授
共同研究員 芳賀 徹 東京大学名誉教授(元京都造形芸術大学長)
脇田 修 大阪歴史博物館・館長
上村 敏文 ルーテル学院大学・准教授
磯田 道史 茨城大学人文学部・准教授
岩下 哲典 明海大学ホスピタリティ・ツーリズム学部・教授
伊藤 奈保子 広島大学大学院文学研究科・准教授
魚住 孝至 国際武道大学体育学部・教授
大川 真 吉野作造記念館・副館長
加藤 善朗 京都西山短期大学・教授
上垣外 憲一 大手前大学総合文化学部・教授
郡司 健 大阪学院大学企業情報学部・教授
小林 龍彦 前橋工科大学大学院工学研究科・教授
小林 善帆 京都女子大学・非常勤講師
武内 恵美子 秋田大学教育文化学部・准教授
竹村 英二 国士舘大学21世紀アジア学部・教授
高橋 博巳 金城学院大学文学部・教授
谷口 昭 名城大学法学部・教授
長谷川 成一 弘前大学人文学部・教授
原 道生 元明治大学教授
平井 晶子 神戸大学大学院人文学研究科・准教授
平木 實 京都府立大学文学部・非常勤講師
平松 隆円 名古屋文化短期大学・講師
藤實 久美子 ノートルダム清心女子大学文学部・准教授
前田 勉 愛知教育大学教育学部・教授
真栄平 房昭 神戸女学院大学文学部・教授
宮田 純 関東学院大学・非常勤講師
宮崎 修多 成城大学文芸学部・教授
森田 登代子 桃山学院大学国際教養部・非常勤講師
横谷 一子 大阪医療福祉専門学校・非常勤講師
横山 輝樹 元総研大院生
和田 光俊 科学技術振興機構知識基盤情報部・調査役
武井 協三 国文学研究資料館・副館長、教授
松山 壽一 大阪学院大学経営学部・教授
辻垣 晃一 国際日本文化研究センター・客員准教授 / 京都府立東舞鶴高等学校・教諭
フレデリック クレインス 国際日本文化研究センター・准教授
瀧井 一博 国際日本文化研究センター・准教授