■研究活動 共同研究 2009年度

日本における翻訳の文化史

領域 第五研究域 文化情報

近世から現代にかけて、日本では翻訳は非常に重要な役割を演じて来た。翻訳というのは、ある文化における概念を言葉のレベルで変容して他文化にも通じるようにする機能を持つものであるから、ある文化と異なる文化が通じ合う境目といってもいい。その上、文化的、そして文学的な発展に、翻訳は大きな役を果たす。しかし、翻訳というプロセスの文化的な意義は、充分研究されているとは言い難い。 今までの翻訳の研究の大多数は、ある小説はいつ翻訳されたか、ある言葉あるいは概念はどのように翻訳されて日本語に入ったか、西洋の言語が日本語に翻訳されると日本語自体がどのように変わったかという程度である。また、フランス、ロシア、英語圏の文学が近現代の日本文学の発展に大きな影響を及ぼしたため、西洋の言語からの翻訳を強調する傾向があり、中国語などからの翻訳を見落としがちである。これらの問題を乗り越えるため、翻訳そのものを歴史的な現象として扱い、その文化史を探るべきである。 明治初期から中期にかけて、翻訳が重要性を増すにつれて、翻訳の意味、そしてそのやり方はだいぶ変わってきた。一般読者のために小説を書いた黒岩涙香のような人の訳は今考える翻訳に比べると翻案に値するようなもので、異文化の作品を日本の文化の中に置き換えるという機能があった。つまり、19世紀末から20世紀の始めにかけては、訳というのは、言葉を置き換えるよりも教育的な機能があり、異文化を日本人の読者に説明する役を果たしていた。しかし、いつの間にか、翻訳の概念が変わってきたようで、透明なものであるべきであるという考え方が定着した。つまり、訳は異文化の作品をそのまま、異文化のものとして理解されるように日本語で書き直しただけのものとなった。 その過程と同時に、日本語の訳文のあり方も大きく変わってきている。明治初期に訳された本は文語で書かれたが、二葉亭四迷が文壇に登場すると、翻訳の意義は大きく変わった。二葉亭四迷のツルゲーネフの邦訳、「あひゞき」と「めぐりあひ」は普通の文語を使わず、西洋の言い回しを真似するため、その時点までの日本語の規則をだいぶ曲げたり、異常な表現を多く使ったりした。そのような新鮮で芸術的な表現を使うことによって、二葉亭四迷は日本人が西洋の表現と文化に近づけると信じていた。その訳は坪内逍遥を始め、多くの若い作者に影響を与えて、新しい文学的な日本語を作り上げることに大きく貢献した。二葉亭の訳文は言文一致への一歩といってもよかろう。 翻訳のやり方や価値の変遷などを視野広く見れば、面白い問題が次々と出てくる。「文学」概念が変わってくると、それにつれてその中の翻訳の位置はどのように変わっていったか。訳のやり方はどのように変わってきたか。訳の対象の日本語がどのように変わってきたのか。日本で翻訳の機能とやり方はそれぞれの時代にどのように論じられたか。時代の変遷と共に、翻訳の対象になる作品はどのように変わってきたか。 上記の問題に答えるために、「日本の翻訳の文化史」を一年間の共同研究プロジェクトとして実行する。明らかにしたいことはいくつかあるが、「翻訳論史」「翻訳の文化的影響」と「翻訳の職業としての歴史」というテーマによって分けられる。 ① 翻訳論史 a. 個人的な作家の翻訳と翻訳論、つまり翻訳についての随筆と論文と感想文などを参考しながら、幕末から現代まで、それぞれの時代の翻訳論や訳のやり方の歴史を明らかにする。ようするに、一番重要な目的は翻訳の実行のし方の歴史的な輪郭を描くことである。もちろん、二葉亭四迷、上田敏、森鴎外のような名翻訳家の執筆を見るべきだが、目的はそれぞれの作家の翻訳方法を述べることよりも、その翻訳家の考えを翻訳の歴史の中に位置づけすることである。 b. 名翻訳家の翻訳についての論文とコメントを読み直しながら、知られざる翻訳論(翻訳についての論文など)を掘り出す。 c. 最近まで見落とされた重要な翻訳家、例えば、若松賎子とその時代の女性翻訳家のプロセスも研究しながら、彼女らの翻訳の歴史への貢献を論じること。 ② 翻訳の文化的影響 a. 翻訳家の選択によって、日本文学が分野としてどのように変わってきたかということを論じる。問題を更に広くすれば、翻訳がどのように日本語自体を進化させたかということを論じる。翻訳とは言語と文学の発展を推進させるエンジンであるとよく言われている。日本文学の場合にも同じことが言えるだろう。 b. 翻訳によって、「日本」という概念がどのように変わってきたか論じるのが大切である。翻訳によって、「日本」と「日本語」の輪郭が見えてくるではないか。アイヌと沖縄の神話が初めて日本語に訳されることによって、アイヌ人と沖縄人は少数民族として日本に入ったという感覚を作っただろう。台湾と朝鮮半島と満州なども、日本帝国に入ると同時に、中国語と韓国語からの翻訳がなおさら必要になった。翻訳というのは「外地」を日本帝国の一部として取り入れるということではないか。 ③ 翻訳の職業としての歴史 a. 時代が変わると、翻訳家の仕事はどのように変わったのか。 b. 翻訳は歴史的に日本社会にどのように評価されたのか。 c. 翻訳家はいつ作家として独立した存在になったのか。(現代の日本では、翻訳をやっているけど、独創的な作品を自分で書いていない翻訳家がたくさんいる。) d. 女の翻訳家は、男の翻訳家とは訳した作品のタイプが異なったのか。男の翻訳家と必ず同じ訳し方をしていたのか。(明治期には男の翻訳の文化と女の翻訳の文化にはギャップが存在しただろうけれども、新しい研究が必要だろう。) e. 時代が変わると共に、評価される翻訳はどう変わったのか。 f. 名訳家は滅びてしまったのか。われわれは名訳という概念はもうない時代にすんでいるのか。 g. 翻訳の原稿料は訳ではない作品の原稿料と同じだったのか。 h. 翻訳家は自分で作品と文体を自由に選ぶ権利が必ずあったのか。雑誌や出版社は翻訳家にどの要求をしたのか。著作権が戦後に厳しくなると、日本の翻訳の文化はどう変わったのか。 最近、西洋では翻訳の文化的な意義を論じる研究が盛んになりつつあるので、それらを参考にすれば、上記の問題を取り組む際に新しいことがきっと見えてくるはずである。

研究代表者 ジェフリー・アングルス 国際日本文化研究センター・外国人研究員
幹事 鈴木貞美 国際日本文化研究センター・教授
共同研究員 安藤恭子 大妻女子大学短期大学部・准教授
伊井春樹 元国文学研究資料館長
飯田(佐藤)祐子 神戸女学院大学大学院文学研究科・教授
井上 健 東京大学大学院総合文化研究科・教授
江藤裕之 東北大学大学院国際文化研究科・准教授
大村 梓 東京工業大学大学院社会理工学研究科・博士課程
鴻巣 友季子 翻訳家・作家
佐藤=ロスベアグ・ナナ 立命館大学衣笠研究機構・ポストドクトラル研究員
全 美星 同志社大学言語文化教育センター・嘱託講師
高橋睦郎 詩人・評論家
沼野充義 東京大学大学院人文社会系研究科・教授
堀 まどか
宮下 惠美子 翻訳家
リース・モートン 東京工業大学外国語研究教育センター・教授
稲賀繁美 国際日本文化研究センター・教授
劉 建輝 国際日本文化研究センター・准教授
海外共同研究員 Indra LEVY Stanford University,Department of Asian Languages・Assistant Professor
石川 肇 蘇州大学外国語学院・日語系外籍教師