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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ,(ゼンヲカシテクレルジンジャ)
1990年 長野県
青鬼神社の山の上の方には、青鬼の住む大きな祠があった。何か困ったときは、そこの鬼が椀を貸してくれたという。青鬼はオーコドヌシノカミだったともいう。

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チチオニ
1941年 大阪府
父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
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オニ
1975年
霊は鬼であり、鬼は気である。
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オニ
1997年 静岡県
鬼払いの行事の過程に関する記述。鬼払いに出る鬼は、青鬼、赤鬼、黒鬼の3匹である。鬼役を務めると厄逃れや兵役逃れ、弾逃れになるといって希望する者が多かったという。
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キツネ,オニ
1979年 岐阜県
夜、赤鬼と青鬼が相撲を取っていて、赤鬼が崖から落ちた。朝確かめてみると、人が死んでいた。狐の仕業。
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キンキ,フウキ,スイキ,インギョウキ
1975年
天智天皇の時代に、藤原千方という者が金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4鬼を使役していた。伊賀と伊勢の国はこの鬼のせいで、天皇の支配に入らなかった。そこで紀朝雄という人物が「草も木も我大君の国なればいづくか鬼の栖なるべき」と和歌を詠んで鬼のもとに送りつけたところ、たちまちに鬼はいなくなり、藤原千方は朝雄に討ち取られたという。この鬼は狐狸の類か。
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オニ
1961年 和歌山県
百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
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オニ,ゼンキ,ゴキ
1968年 奈良県
8月3日に大峯山の行者祭りで行われる「鬼の行列」には一本歯の下駄で歩く行者に従って手に斧を持った鬼、水壺を持った鬼、そして数十名の赤鬼・青鬼が続く。この鬼は「ゼンキ・ゴキ」と言われ、行者を助けて行場を作った民衆を意味する。
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イワトゴンゲン,オゼンキサマ
1990年 長野県
岩戸山の岩戸権現をお膳鬼様という。このお膳鬼様は、人が集まるときには飯椀を貸してくれていた。しかし、ある人が借りた飯椀を1つなくしたまま返したので、それ以来貸してくれなくなったという。
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オニ,テンノミヤサマ
1961年 鳥取県
成美では、昔、田んぼに鬼が出てあらしまわり村人を困らせた。そこでこの地の氏神、テンノミヤ様が鬼を退治した。その鬼を埋めたところに松が生え、それをオニが松といって、そこをオニガマツツアンの墓という。また、鬼が出た田を鬼田といい、神様が腰掛けた石をカニサンダという。
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オニ
1922年 徳島県
昔、鬼が住んでいて人を喰い、財を掠めていたが、法然上人によって改心させられ、仏道に入った。鬼は罪を悔いて死んだので、そこに鬼骨寺を建てた。鬼骨寺では、今でも鬼の牙を秘蔵しているという。
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オニノイナイムラ
1937年 静岡県
昔、鬼を退治して鬼はいないので豆はまかない。
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アオオニ,アカオニ
1983年 東京都
ある人がお寺の2階のゲヤに寝ていると、青鬼と赤鬼がやってきてその人をさがしたが鶏が「トッテクショー」と鳴くと、鬼は「夜が明けるからぐずぐずしていると自分がつかまる」と言って帰った。
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オニノニョウボウニオニガミ
1956年 宮城県
鬼神が鬼の女房になったという。このことから、鬼のような亭主に輪をかけた女房を指すという。
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オニ
1986年 鹿児島県
ある人が狩りに行って、木の上にしばられた鬼ににぎり飯をやったら、鬼が力をつけてしばっていたカズラを切り逃げた。実はその鬼はその人の妻の父がしばっていたもので、逃げた鬼は妻をさらって鬼が島へ行ったという。妻をとりかえすために箱に入って鬼が島へ行き、鬼を退治する。
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オニ
1955年 秋田県
トトが町に出かけている間にアバのところに鬼がきた。アバは鬼ガ島まで連れて行かれた。トトも赤鬼、青鬼に鬼ガ島に連れて行かれ、アバの血を飲まされたが、鬼どもを退治して戻ってきた。
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オニ
1983年 栃木県
昔、節分の夜に一匹の鬼がどこの家も泊めてくれず、困り果てて山の麓にある樵の家に泊めてくれるよう頼んだ。住んでいた二人の老人は快く鬼を泊めた。お礼に鬼は高価な鬼の褌をくれた。お婆さんが感謝し、来年もまた泊まって下さいと言ったら、鬼は笑いながら「褌がなくては来られません」と言った。だから来年の話をすると鬼が笑うのだという。
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オニ
1971年 福島県
大昔、青鬼と赤鬼がいた。1軒の家に娘さんが何人かいて1年に1人ずつやっていた。親たちは娘をやりたくないと思っていたが、鬼の住んでいるそばまで連れて行った。そこで親子3人、菖蒲や蓬が生えている中へ飛び込んで身を隠した。すると鬼がわからないでそこを通ってしまった。それで五月節句には菖蒲と蓬を軒先に挿してすごす。
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オジュラッサン
1984年 愛知県
乙方(南知多町)には鬼が住み、人間の子供を七人まで食べたので、その仕返しとしてある人が鬼の子を捕まえ隠した。鬼は泣いてわが子を探すと、その人が鬼に向かって「人間の嘆きも同じである」といい、鬼は非常に後悔して子供の守り神となった。これが現在の林若子神社であり「おじゅらっさん」と呼んでいる。
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オニ
1990年 静岡県
久保というところに鬼穴という穴があって鬼が棲んでいたのを、弘法大師が退治した。鬼とは山賊のことだったろう。
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オニ,ホウキ
1941年 朝鮮
村人で四方山話をしている中で、鬼は強くて負け嫌いという話になった。すると鬼が現れて相撲をとろうと言った。相手になった村人は力持ちで、鬼を倒すことができた。何度も負けた鬼は姿を消した。翌日その場所を見ると箒が転がっていて、鬼は箒が化けたに違いないということになった。それ以来、頭の近くに箒を置いて寝ると、恐ろしい鬼の夢を見ると言われている。
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チチオニ,ハハオニ,コオニ
1941年 大阪府
昔、父鬼と母鬼との間には、9人の鬼の子供がいた。その鬼の使った臼が、ある河原に残っている。
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