ユウガオ 1987年 長野県 昔,夕顔を作らないというクルワがあったが,ある家で作ったところ,その夕顔棚で首を吊って死んだものが出た。それ以来どこでも作らなかったという。現在は作っている。
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(ゾクシン) 1982年 新潟県 ゴマを作ると目が悪くなるといい、作らない。
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キンキ,カレイ 2003年 山梨県 夕顔、キュウリ、十六豆などを作ると凶である。
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(カッパ) 1989年 長野県 夕顔を食べてきたと言うと、淵に引き込まれないという。
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ビクニタ 1995年 埼玉県 比丘尼から騙し取った田を作ると持ち主が急に死んだり、その家に悪いことがあるので「びくに田」は作る人がなかった。
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ギケイ,ワルネコノオンネン 1972年 宮城県 僧が夕顔を翌朝の汁の実にしようと考えていたら、主が猫に毒殺されようとしていることを以前に僧に知らせた鶏が夢枕に立ち、「かの猫が今度は貴僧を殺そうとしているので、あの夕顔を食べてはならない。夕顔の根を掘ってみよ」といって消えたので、小僧にほらせたらそれは猫の頭骨の眼孔から生えていた。
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ユウガオ 1989年 長野県 天文13年、和知野の城主関盛永が下条時氏の不意打ちに遭い、城は焼け落ちた。城主の奥方は幼い息子を連れて落ち延びた。向方のある家の傍で息子が「夕顔が欲しい」と言ったところ、その家の人が母子を叩いた。母・お万が「この家の夕顔は来年赤くなる」と言ったところ、次の夏から本当にそうなったのでその家では夕顔を作らないという。
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ゴマ 1974年 宮城県 ゴマを作ったが育たず、作った人も死んでしまった。それ以来、ゴマを作ってはいけなくなった。
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キモノ 1965年 岩手県 出産前に赤ん坊の着物を作ると難産するので、作ってはならないという禁忌
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イハイダ 1985年 茨城県 下町に昔から位はい田と言われて、位牌の形をした田があった。これも作ると死人が出たり怪我人が絶えず、普通農家では作る者はなかったが、お寺で作るようになった。
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バケモノ,ユウガオ,タカラモノ 1953年 新潟県 臆病な夫が、嬶に化物は夕顔のようなものだと教えられる。バロンバロンと化物が出たので、夕顔だと思って背負って来たら宝物だった。
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ジョロウダ 1985年 茨城県 満願寺に女郎塚と言う小さい塚があった。いつの頃からか、平にして稲を作る者があったが、悪い事が続いて発生して、唯れも作る人はなく、荒れていた。
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サクモツキンキ,トウモロコシ,(ゾクシン) 1916年 千葉県 宗像神社の神官の分家では玉蜀黍を作らない。作れば不吉なことがあるという。その家から別家した母が玉蜀黍を作ったら、その年の暮れに父が急病で死んだ。
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ネズミ,(ゾクシン) 1942年 富山県 鼠を殺すとその家に悪いことがある。
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カマドガミ 1965年 岩手県 便所を家の東側に作ると「不具者」が出るといわれるため、西か北の方角に作るのが普通である。
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イハイバタケ 1985年 茨城県 位牌の形をした畑作った家で次々と病人が出来て恐ろしくなり荒れていた。寺の下男が野菜畑にして作るようになったと言う。
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サクモツキンキ,ショウガ,トウモロコシ,カボチャ,(ゾクシン) 1916年 群馬県 生姜を作ると病人が出ると言って作らなかった。玉蜀黍や南瓜を作ると不吉なことが起こると言われていたが、迷信に過ぎないと考え玉蜀黍を植えておいたところ、玉蜀黍がなる前に妹が死んでしまった。
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カイモリサン,(ゾクシン) 1965年 愛媛県 旧9月10日はかいもりさんの祭り日で、拝田・重広・森田の者が氏子になっている。お頭には必ずみそ汁を出すことになっているが、これは昔1年みそ汁を作らなかったらその年が悪かったので、毎年作るようになったといわれている。
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サクモツキンキ,ゴボウ,シ,(ゾクシン) 1916年 千葉県 牛蒡を作るとその家の者が必ず死ぬと言われている家がある。
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ユウガオ 1989年 長野県 大河内の目の神様が坂部からの帰り道に向方の家に寄って、水を一杯くれないかと言った。しかしその家では水を飲ませてくれなかったので、以来、向方では夕顔を作ると赤い花が咲くという。
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カンノン,ユメマクラ 1967年 福島県 相馬の松川にある夕顔観音は、夕顔に乗って海上を漂い、今の磯部の浜の鵜の尾岬についたという。そして村人の夢枕に立ち、白河の浜に着いたからその上の山に祀ってくれといった。観音を祀ると、いつの間にか傍に小石が生まれ出ていたので、それを観音様の生んだものときめて、お産の神として参詣が絶えないという。
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