タヌキ,ブンブクチャガマ 1935年 群馬県 いわゆる分福茶釜の話。青龍山茂林寺では、四百年ほど前に、茶釜が狸に化けて(狸が茶釜に化けて?)小僧達大勢との活劇があった揚句、その釜は払い下げとなった。古物商の間を転々する間に、見世物興行をするものがいて、大いに当たった。この男が前世で善根をほどこしたためという。男は相当の資産もできたし、お釜様にも楽をさせてあげようとこの茶釜をもとの茂林寺に納めたという。
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(タヌキ) 1982年 群馬県 茂林寺に守鶴という納所がいて、寺に大衆が集ったときには大茶釜で1000人の湯茶をまかなったりした。ある日昼寝していて正体がばれ、寺を辞して姿を消した。それ以来諺に、おかしい事を「ぶんぶく茶釜に毛が生えた」と言う。
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タヌキ 1918年 群馬県 老狸が所化となって茶釜番として茂林寺に住み込んでいたが、熟睡中に尻尾を出してしまい正体が露見した。本身を見られた以上寺内に止まることができないと思った狸は、恩返しに釈迦来迎を見せて息絶えた。和尚は墓を作ってやり、茶釜の蓋を目印にした。
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キツネ 1982年 群馬県 正通和尚が榛名山で守鶴という旅僧に会い、ともに茂林寺を建立した。守鶴は寺務として、寺に大衆が集ったときには大茶釜で1000人の湯茶をまかなったりした。ある日昼寝していて狐の正体がばれ、寺を辞して姿を消した。件の茶釜がいまもある。
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チャガマ,バケネコ 1941年 不明 ある猟師が茶釜の蓋をきせるのを忘れて山へ出た。すると家にいた猫がその蓋を持って化けて山に先回りした。猟師が鉄砲を撃っても化猫は茶釜の蓋で弾をよけてあたらない。猟師が南無阿弥陀仏を切り込んだ祈りの鉄ダマをうつと、茶釜の蓋は割れて化猫をしとめることができた。家の猫が殺生をやめさせようとしたのだとも。
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タヌキ 1982年 群馬県 茂林寺で守鶴という旅僧が住み込み、分福と言う呼び名で使われていて、寺で江湖があったときには大茶釜で1000人の湯茶をまかなった。分福は何時になく朝寝し、狸の姿を見られた。狸は暇を申し出で、釈迦の御説法の様子などを見せて姿を消した。そののち、件の茶釜の蓋がなくなっていたので、それを咥えて去ったものとわかった。
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ムジナオショウ 1982年 群馬県 茂林寺で人寄せのある時、寺の沼に手紙を流して頼むと膳椀を貸してくれた。ムジナ和尚のしわざという。
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タヌキ 1982年 群馬県 茂林寺に狸が化けた納所がいて、寺に大衆が集ったときには大茶釜で1000人の湯茶をまかなったりした。食堂の番の犬のために姿を消したという。
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コリ 1979年 狐狸のばけた古跡は、泉州堺の少林寺、釣狐寺、上野国館林茂林寺などにある。これらには茶釜や筆跡が今でも残っている。
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タヌキ 1982年 群馬県 タヌキ和尚が佐野の鋳物師から茶釜を買ってきて、蓋を忘れて来たのでこちらで違うかねで作った。この茶釜は1斗2尺(21.6リットル)入り、1000人でも2000人でもまかなえた。
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チャガマ 1972年 千葉県 山崎家の人が、馬が死ぬので馬の観音様に茶釜を供えた。盗まれて困るので山崎家に返したら、茶釜は夜中にブーンブーンと鳴って観音様の下へ飛んでいった。
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タヌキ,チャガマ 1941年 秋田県 人に追われた狸が茶釜に化けた。その後、和尚たちに売られるが、狸は元の姿に戻って逃げ出した。
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エンコ 1967年 愛媛県 昔、与一という人が早朝河原へ行くとエンコが出て来て相撲をとろうといった。与一さんはエンコを待たせて家に帰り、茶釜の蓋を尻に当てて戻って来ると、エンコは茶釜の蓋が大嫌いなので「与一のツベクサレ」と叫んで川に消えた。与一さんはエンコが良い声で歌うのも聞いているし、エンコにも何度も遭っていたという。
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クロイカオ 1976年 愛媛県 横島の南側の絶壁で、源十が烏賊をとっていると、絶壁の中程の洞穴から真っ黒な頭がにょろっと出て「源十くうた・・・」と呼び続けた。源十は逃げ帰った。以後人々はこの漁場を「源十びた」といい、語り継いでいる。
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ブンブクチャガマ 1935年 群馬県 一説によると、茂林寺の分福茶釜は、多くの来客の接待をするときなど湯を汲めども尽きず、誰が水を補充するでもないのに始終頃合に湯が沸くといい、檀家の人寄せの際にも貸し出しされて役立ったという。分福の名もこれに基づいて起こったという。
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ムジナツカ 1979年 群馬県 上州館林茂林寺から1里ほど西に狸塚という村があり、村中で犬を飼うことを禁じている。
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(チャガマノスス) 1979年 徳島県 鈴ヶ峰には茶釜があった。その茶釜には煤がたくさんついていた。煤をつつくと大雨が降ると言われていたので、誰もつついたことがない。他の人が来てつつくと、必ず雨が降ったという。
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バイロンノバケモノ 1953年 新潟県 村はずれに毎晩、バイロンの化物が出る。和尚さんがこれを捕まえると、翌朝、余計な茶釜があった。火にかけるとそれは狢だった。
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〔ゲンタロウバア〕 1973年 富山県 源太郎婆がブリを一本欲しいと漁師に頼んだがもらえなかった。怒った源太郎婆は海に入って死んだ。それ以来そこで魚が獲れなくなった。これは源太郎婆の仕業だといわれ、二月一日に供養する。
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ゲンベエヤシキ 1955年 山梨県 源兵衛が最後まで残った屋敷の跡の田圃を源兵衛屋敷という。源兵衛は名うての豪家で毎月慈観寺に碁打ちに出かけていた。ある日源兵衛が和尚に手相を見てもらうと、終いには乞食になるということであった。源兵衛は「どんなに寝食いに食っても3代はある身代だ」といったが、厄病と火事との重なる事件のため、明治維新頃には乞食となり、どこで終わったか知る人もないという。
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プンプクチャガマ 1957年 新潟県 某家ではプンプク茶釜で役人を接待して、他人の土地を踏まなくてもいいほどの土地を貰った。この茶釜を黒岩の某家にあげたところ、プンプクプンプク転がって戻ってきた。「なぜ戻った」と言って火箸で叩いたらツバが割れ、戻らなくなったが、家によくないことが続いた。今は熊谷の寺の宝物になっている。
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