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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

テング,テングコ
1974年 栃木県
下毛国の杼木で、ある老婆が、二荒山の天狗が皆筑波や大和へ移った。輝石山にも3・4人移って来て、子供も生まれたようで泣き声が聞こえると語った。人が冗談で話した事を信じたのだろう。老人は愚かな存在である。

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ウマ,タタリ
1982年 東京都
あんまり馬を粗末にしたので、馬の泣き声とそっくりの泣き声をする子供が生まれた。
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アカゴシミズ
1996年 石川県 
赤子清水から子供の泣き声が聞こえる。
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トリ
1943年 長崎県
火事の時、鳥が火をくわえて他に移る。
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ジュウガツボトケ
1930年 岩手県
南部藩公が奥の三戸から盛岡へ移ったとき。共に移ってきたある家の十月仏の掛け軸は、その家が家事にあったとき、自ら仏壇を飛び出して林の木に引っかかっていた。
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キツネ
1961年 千葉県
狐は普通、若者に憑く。若者が寝込んでいる枕元に老人が座り、「ワケエモンに憑かんと、わしにつけ」というと老人に移るという。また、魂3人殺さないうちは、狐が戻らないと言われる。
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テング
1940年 神奈川県
文化4年7月5日、3人の人が天狗に投げられ、1人が死亡、2人が怪我をした。
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ヤマガミ,テング,ヤマンバ
1957年
山の神を天狗だという人は男神であると信じ、山姥という人は女神であると信じている。農民が信仰している。
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テング
1956年 群馬県
山には天狗がいる。樵木が山で木を伐っていると斧で木を伐る音や大木の倒れる音がする。そんな時、樵木は木を伐るのをやめて逃げ帰る。翌朝見に行くと木は倒れていない。天狗がいたという事を他人に話すとわざわいがあると言われる。
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コドモノナキゴエ,チョウチン
1985年 和歌山県
夏のある晩夜道を一人で歩いていると、向こうから子供の泣き声が聞こえてきた。ちょうちんを灯して誰かやって来るようだったので立ち止まって待っていた。しかし誰も来ず、歩き出すとまた泣き声がした。そのときは煙草をのみながらやっと家までたどり着いた。
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ネムリ
1926年 京都府
大正4年5月4日、食事をあまり取らずに醍醐から岩間、石山と山道を歩いたところ、3時ごろに急に眠くなって寝てしまった。苦しいどころか、とても気持ちよかった。
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テング
1988年 長野県
山には天狗が出る。
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マジン
1985年 徳島県
昔、ある人が夜道で月が出るのを待っていると、マジンが木の上で話すのが聞こえてきた。その夜どこかでお産があったが行くのが遅れ、鑿(のみ)に先に名前を付けられてしまった、と話していた。話の中身を不思議に思いながらその人が家に帰ると、子供が生まれていた。その子は7つの時に2階から鑿が落ちて来てのどに突き刺さって死んでしまったという。
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アカゴ,ナキゴエ,イシ
1985年 長野県
城から落ちのびる途中で奥方が石の上で子供を産んだ。しかし子供はすぐに死んでしまい、石からは赤子の泣き声がする。供養すると泣き声は止んだ。ある時子供をあやしながらこの石の近くを通ると、不思議に子供が泣かなくなった。
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オイナリサマ
1989年 群馬県
初午の前日、男の子が集まり、じゃんけんで負けた子などに目隠しをして座らせ、周囲から唱え言を繰り返すと、お稲荷さんがのり移り、その場で2尺あまりも飛び上がる。お稲荷さんがのり移ると、弱かった子でもたちまち強くなった。
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スイジン
1973年 富山県
砺波のある村にあった水神が、東中江へ行きたいと言ったので移った。
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ハカ
1936年 沖縄県
大和から漂着した人びとの墓に手をつけると荒れると信じられている。
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オイナリサマ,トオカミ
1988年 埼玉県
大正から昭和初年にかけて、コウチャンと呼ばれた男によく稲荷様がのり移った。自分も居場所を言い当てられ、トオカミを見に来るよう呼ばれて見に行ったことがある。手ぬぐいで目を縛り、手に幣神を持って座り、周囲で唱え言を唱えると、稲荷様がのり移った。
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ヨナキイシ
1984年 長野県
急に流れて来た大石が、夜な夜な子供の泣き声を立てる。山から押し流されてきた石は、その間に幼児を圧死させていたことが分かり、石の上に地蔵を置くと、泣き声がやんだ。
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ヤマタロ,ガンタロ,カッパ
1949年 奈良県
河童は年に二度、山と川を去来する。山へ移ったものをヤマタロ、川にいる間はガンタロと呼ぶ。
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ツクバヤマ
1929年 茨城県
東海が昔、逆流した時があった。その時は国中が水没したが、この山だけは高くて堤防のような役割を果たした。こうして波を防いだことから筑波と呼ばれるようになったと言う。
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カミノミスガタ
1976年
神の御姿を画くのは、恐るべく慎むべきことである。人の目には見えないから隠身(かくりみ)と言うのを、略して神というのだ。稀に人に諭すことがあって御姿を現す時、我々には老翁童女や大蛇猛獣の姿に見えるが、真の御姿を見ることはできない。神が見えなければ存在しないと思うのは愚かなことだ。
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