アマゴイ,タイ 1934年 香川県 昔三味線島という島があり、田井という強欲な地主がいた。旱魃の時、島人は天災と年貢の取立てに悩まされ、雨乞いをしたところ、雨が降り続き、田井の屋敷は島と共に沈み、島は2つに分かれた。その付近でとれる鯛は田井一族に似ているという。
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タタリ 1935年 三重県 弘化2年、弁天島と呼ばれる島の近くを舟で過ぎていた庄屋の兼次郎は、一條の水柱が立っているのを見て、島に近づいてみると何かの頭が見えたという。その三日後に弁天島に渡った親子の木こりが谷に落ちて死んだ。これは神の祟りと考えられた。
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ヒノタマ,キツネビ 1935年 山口県 火の玉の話はあるが、狐火はない。島には狐がいない。
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キタキョウガシマ,オキノキョウガシマ 1956年 宮城県 周囲絶壁の島。昔、1人の老僧が島に現れて、読経念仏後、経巻を埋めて去ったという。
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イヌガミサマ 1941年 香川県 庭に三枚の瓦を立てて、犬神を祀る。島の人が浜に出て潮を汲んでいると、柄杓の中に入って島に上ったという。
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ピシノシタノセカイ,ニーノクニ,ウシノカタチノカミ 1986年 沖縄県 ピシの下の世界は地底他界を連想させ、島人の中にも、これを「ニーの国」と表現する人がある。上地翁の話では、ピシが実在のナガピシと特定されている。ナガピシは島の東側にあり、そのことと牛の形の神が男神で、島の繁栄や島人の生命をつかさどることとは無関係ではない。
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フクシュウキ 1975年 溺死した人の霊のこと。
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ヤマネコ 1929年 東京都 島に人が住んでいないころ、この島へ行く人を山猫が喰い殺して困っていた。大浦又次福谷太左衛門という侍が槍で退治するが、今度はその霊が人を取り殺すようになった。大島に来た役行者が祠を建て、その島で猫という言葉を使わないようにするとおさまった。
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シマアソビ,シマノアソビ 1975年 西国で、沖に投碇し停泊することがある。その様なとき夜更けに島がすぐそばに現れ、島の木々や家、行き交う人々が間近に見えることがある。船が島に近づいたのかと思うが、夜明けになると周囲は海原のみである。蜃気楼の類いだろう。
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(バイカノカゼ) 1979年 広島県 伊予国の沖合いにある「みたらひ島」に風待ちで停泊していたところ、どこからともなく濃厚な梅花の香りがしてくる。島によい梅があると思ったが捜してみても無く、島人に聞けばここから10里(約40キロメートル)離れた備後にある梅林から、風に乗ってにおってくるという。
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テンジンサマ,ニワトリ 1929年 香川県 柏島では、決して鶏が育たない、鳴かないといわれている。それは、天神様がこの島に立ち寄った時に谷が六つしかなくて、ひとつ不足していたので早々児島の曳網に去られたからである。
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ミヤジマサマ,ゲッケイ 1929年 香川県 むかし宮島様が、この島に来たことがある。その時に、谷が不足していたので、すぐに立ち去った。それから、女がこの島に来ると月経が上がるので、みんな行くことを嫌がっている。
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ヘビ 1999年 佐賀県 神様のお使いの蛇は、島渡りをする。
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〔コンジキノトリ〕 1963年 愛媛県 宗方と浦戸の境にある福島(鶏島とも)に、神宮皇后三韓征伐の後に、百済・新羅・任那からの貢物を積んだ船が仮泊した。翌朝、船から貢物である金色の鶏が飛び出して行方不明になった。故に島を「鶏島」あるいは福の神が上がった島「福島」と呼ぶという。
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ダイシサン 1967年 愛媛県 コウソの岩の大きな足跡は、大師さんがよその島から海をひとまたぎにしてこの島においでになったときの足跡という。
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ビシャモンジマ 1956年 宮城県 坂上田村麻呂が五大堂に安置した毘沙門天が、この島に飛んだ。
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ワルイケモノ 1936年 福井県 昔、女郎はタンスの底を叩いて御神島に参るのが普通だったが、ある年、不浄の女郎がいて、船が沈没し、その女郎の亡魂がイルカになったという。現在ではこの島は、女が行ってはいけない所になっている。島の宮には悪い獣がいて、女の子をあげぬとあばれた。
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カイブツ,オニ 1971年 沖縄県 来間島に得たいの知れぬ怪物が夜ごとやってきて島の人々を殺すようになる。この噂を聞きつけた勇者たちが島へやってきたが、悉く殺害された。それを聞いた3兄弟が島へやってきて、怪物の正体は大きな黒牛であることをあばき、怪物を退治する。しかしその後怪物に逃げられ、その後をつけていき体中に毛を生やした血だらけの大男を見つけて殺す。
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〔トラ〕 1976年 鎮西の未申の方角のはるか沖に度羅島という大きな島がある。この島の人は、姿は人であるが人を食する。ゆえに人の中にあって人にふさわしくない物を食べる者のことを度羅人という。今、人に似ず行跡の悪い者のことを度羅うちというのも、ここから出た言葉だろう。
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オトヒメサマ,アマノジャク 1931年 鹿児島県 枇榔島に泊ると、真夜中に森から音楽が聞こえてくる。また、琵琶歌を歌うと激しい地響きがして、大きな岩が崩れる音が聞こえたかと思うと、島中の木がメリメリと大鳴動を起こしたという。この島は和銅年間に天智天皇の皇女の乙媛様が一夜にして造った島だといわれ、不思議なことが起こるのは、姫様の霊の仕業だと信じられている。乙媛が悪戯のあまり沖に流されたとき、島を作り、陸までの岩道を一夜のうちに作ろうとしたので、天邪鬼が鶏に言いつけて早めに鳴かせ、岩道の完成を防いだ。今も島から陸に向かって、海中に岩道が続いているという。
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キョジン 1975年 福井県 巨人が青島ともとどり島を担ごうとするが、あまりの重たさに耐えかねて腰を下ろす。その窪みがかくし田となった。
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