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検索対象事例

ワカノトク,カジワラカゲスエ
1974年 群馬県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。源頼朝が浅間三原狩鞍の時、激しい雷雨に見舞われた。そこで梶原景季が狂歌として「昨日こそ浅間はふらめ今日は又みはらし玉へ白雨の神」と詠んだところ、しばらくして晴れたという。

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ウマイシ,スルスミ
1974年
源頼朝が梶原景季に与えた(名馬)磨墨が石になった。それは馬石と呼ばれる。
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ワカノトク
1974年 福岡県・滋賀県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。宰府天神の飛梅、江洲唐崎の松が枯れようとした時、詠歌によって緑が青々と戻ったという。
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ワカノトク,ノウインホウシ
1974年 愛媛県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。伊予守実綱が太山祇社で雨乞いの際に、能因法師が「天河苗代水に塞きくだせ天下ります神ならば神」と詠んだところ、たちまち大雨が降り続いたという。
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ワカノトク,タイケンモンイン,(アメドメ)
1974年 和歌山県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。待賢門院が紀州の玉津島に詣でた時、大雨が降って止まなかったので、「天下る名を吹き上げの神ならば雲晴のきて光りあらはせ」「苗代に塞下だされし銀河とむるも神の心なるべし」と詠んだところ、やがて西風が吹いて雲が晴れ、社参が叶ったという。
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スルスミ
1974年 静岡県
源頼朝が梶原景季に与えた磨墨という名馬は、当時の持ち主である梶原頼実が駿河の狐崎で死んだ時、その場所の笹葉を食い切って死んだという。その場所の笹葉は食いきった様に生じるという。
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ワカノトク,クマノミョウジン
1974年 和歌山県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。和泉式部が熊野詣に行った際、月の障りで参拝できなかったので、「晴やらぬ身の浮雲の薄靡て月の障りとなるぞ悲しき」と詠んだ。するとその夜霊夢があり、「元よりも塵に交わる神なれば月の障りは何か苦しき」と詠まれた。その日に社参したという。
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センゲンジンジャ,タタリ
1944年 山梨県
ある家の者が、自分の家の屋敷神として浅間様の位を京都へ行き取ってきた。そして、浅間神社の祭日と神輿の渡御の方法を変更した。長男がコレラで倒れ、以降不幸が続出し、翌年の祭りの頃には、家族のうち老婆を残し死に絶えた。新盆の竿に蛇が登った。浅間様は蛇ともいわれている。
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ワカノトク,ヨウコ
1974年
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。北条氏康が出陣の時、野狐が現れてうるさく鳴いて騒いだので、氏康が「夏はきつ、ねに鳴蝉の唐衣己々か身の上に着よ」と詠んだ。するとかの妖狐は理由もなく野に死んだという。
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オニ
1982年 群馬県
浅間山と富士山が背比べをしたとき、浅間の神が鬼を集めて土盛りをした。鬼が集った鬼の土俵がある。そのとき里芋の葉っぱで滑って転んで胡麻の草で目を潰したので、里芋と胡麻は作らない。そのときこぼした土が小浅間になった。
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ワカノトク,スミヨシミョウジン
1974年 大阪府
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。昔ある者が住吉へ行幸した際、「我見ても久しく成ぬ住吉の岸の姫松幾世へぬらん」と詠むと、明神が現れて「むつましと君はしら波瑞籬の久しき世よりいはひ初めてき」と詠んだという。歌に感得があり、明神が現れたのだ。
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レイム,ギョウキ
1929年 東京都
富士浅間社の縁起に、天正元年に木村がみた霊夢によって、本郷の中にあった古塚から行基が製作した牛王板などを得た。そして社を建てて富士浅間を勧進した。
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ワカノトク,コウジロウ
1974年 神奈川県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。永正年中に関東管領上杉朝興の配下である三浦道寸と息子荒次郎が北条早雲と戦った時、道寸親子は敗死してさらし首となった。しかし荒次郎の目は怒り、歯がみして見る者を睨み付け、人々は非常に恐怖を感じ、また病気になった。そこで小田原久野総世寺の和尚が「現とも夢ともわかぬ一眠り浮世のひまを曙のそら」と詠んだところ、その首の目はふさぎ、死骨となったという。
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キツネ
1974年
卯雲が狂歌を集めた『歌集』に収録された狐つきの狂歌について。
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キツネッピ
1984年 山梨県
昔、太郎さんと富士浅間神社の間に狐っ火が見えた。そして、ついたり消えたりついたり消えたりということがあった。
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ノロイゴト
1975年 京都府
昔、名高い狂歌師が稲荷山に詣でた時、神木に藁人形が打ち付けられていた。狂歌師は戯れにこの呪い事をやめさせようと言い出て、その木へ狂歌を書き付けた短冊をつけた。後日再び藁人形が打ち付けられていたので、また狂歌を付け、邪な呪いを挫いた。
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ノウインホウシ,ウタ
1983年 静岡県
むかし、能因法師が東国を遍歴していた時に、伊豆の国の三島神社に詣でた。その時農民が雨乞いの歌を所望していたので、「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば川」と詠んだところ、天地が感応したのか、大雨が降ったという。
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ドクフルウワサ,テンサイ,ボウセツ
1977年 大阪府
文化7年8月14日に空から毒の雨が降るという噂が流れ狂歌なども詠まれた。しかし実際には何もなかった。
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センゲンサン
1988年 愛知県
堀田稲荷社の西に小高い山があり、そこに浅間神社がある。婦人病を治すといわれており、女性の間で広く信仰されている。
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(アメヲトメルワカ)
1974年
烏丸光広という公家が雨を止める和歌「祈るより水せきとめよ天河これも三島の神の恵に」を詠んだところ忽ち止んだという。また春日祭で上卿を務めた時も「ふらばふれみかさの山の雨なればさしては何かくるしかるべき」と詠んで雨を止めたという。
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ツエ
1925年 東京都
元八王子の八幡神社の境内に、梶原杉という杉がある。昔、梶原景時が鎌倉八幡を勧請したときに、携えていた杖を挿したものが成長したといわれる。
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(カエルノコエヲトメルワカ)
1974年 兵庫県
元禄の頃、播磨明石の城主である松平若狭守は歌人だが、ある日泉の蛙がうるさくて学問の障りになったので「しばしこそ爰に来鳴めもとつ野にやがてかへるの名にしたがふな」と和歌を詠んだところ、蛙は鳴く事を止めたという。
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