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検索対象事例

エンマオウ,ジゾウボサツ
2001年 奈良県
金剛山寺(矢田寺)の満米上人は閻魔王の招請を受けて、閻魔王宮に赴いて菩薩戒を授けた。喜んだ閻魔王は満米を阿鼻地獄の見える岳上に案内して、鉄扉を開くと、そこには受苦の衆生と共に猛火の中にいる地蔵菩薩の姿があった。地蔵菩薩は満米に、「私は釈尊の付属を得て悪業の衆生を救うために炎の中にいるが、一毛の縁も無い者は救えない。人界に帰って苦を恐れる者は私に結縁するよう人々に伝えなさい」といった。

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エンマオウ
2001年 大阪府
閻魔王が長宝寺の慶心を冥途へ呼び、地獄のありさまを見せ、逆修の善業を勧めさせた。
類似事例

エンマオウ
2001年 大阪府
閻魔王が長宝寺の慶心を冥途へ呼び、地獄のありさまを見せ、逆修の善業を勧めさせた。
類似事例

ショウジンブツ
1928年 奈良県
役行者の修練時代、吉野山を上りつめた金峰山に本尊を得るため、17日の間般若心経を唱えたところ、地蔵菩薩が現れた。慈悲円満の顔をした菩薩であったが、強剛な愚民を治めるには柔和な顔ではだめだと思った行者は菩薩を西に向かって投げた。その地蔵菩薩は伯耆国(鳥取県)の大山に飛び去り、そこの寺の本尊になったという。。
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イソウ
1982年 福岡県
享保18年春頃、筑紫国天拝山の頂に毎夜火の光が見えるので、太守が怪しんで家臣を見に行かせた。すると1人の僧が五穀豊穣の護摩を修していた。家臣が確認をしに来た事の証拠が欲しいと言うと、僧は梵字に似た字で歌を認め渡した。太守がそれを見て僧を召したので、家臣たちが再び山へ入ると、僧の姿は無く、護摩の跡も無かった。
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ジゾウ
2001年 奈良県
大和国宇知郡の住人武者所康成は過って実母を殺し、死後は無間地獄に落ちた。しかし生前に罪を悔いて矢田寺の地蔵菩薩に月参りをし、母の後生を弔っていたので、その志を哀れんだ矢田地蔵に救われた。
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ヘビ,カニ
1976年 京都府
昔、綺田に美しい女がいた。ある時、村人が蟹を食べようと沢山取っていたのを、女は魚と交換して助けてやった。次の日、女の父が蛇が蟇を呑んでいるところを見つけ、蟇を逃がしたら娘をやると言った。蛇はすぐに蟇を放して去った。その夜、どこからか男が現れ、昼の約束の通り来たという。まだ娘に話していないというと去った。娘はそのことを聞いて仏前で読経をはじめた。蛇が現れ閨に入った。村人が戸を開いて中を見ると、女は無事で、蛇が数万の蟹に挟まれて死んでいた。村人はその所に寺を建立し蟹満寺と号した。
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リュウホウジノシャカ
1956年 宮城県
炭焼藤太が栗原郡金成に建てた福王寺の本尊であったのを、四代藩主綱村がここに移した。当時福王寺は小さい寺になり、本尊は縁の下に放り込まれ、毎年2月15日の祭に子供たちが引っ張り出して縄でしばり、堂の周りを引きずり回して遊び、また床下に押し込んでいた。その後、住職が新しく入寺して本尊を洗って本堂に安置したところ、せっかく子供たちと遊んでいるのに余計な邪魔をするといって釈迦に叱られ、大熱を出しうわごとを言って暴れる。そこでまた元のように床下に放り込んだら、和尚の熱は忽ちさめたという。今も出世の釈迦として信仰を集める。
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テング
1974年 和歌山県
ある雨の日、高野山の金剛三昧院の下人が住職を迎えに来たが雨具を持っていなかった。しかし雨に濡れないので住職が下人に正体を尋ねると、下人は門前の杉と楓に住む天狗であり、「住職の行跡が貴いので仕える。今から寺に火難はない」と言って飛び去った。
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ダイジャ,アクリョウ,カンノン
1974年 東京都
姥ヶ池というところに一軒の家があり、姥とその娘が住んでいた。姥は旅人を泊めて殺しては衣裳をはいでいた。ある日浅草観音が笛を吹いて、旅人に危険を知らせ、旅人は助かった。また、浅草観音は姥が地獄に落ちるのを憐れんで、児の姿で姥を訪ね、姥は児と誤って娘を殺してしまった。その後母は池に身を投げて大蛇となったが、神にして祝ってその悪霊をなだめると守りの神となって、諸々の病をしりぞけるようになった。大蛇と化したが供養により守りの神となった。
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トビ
1975年 京都府
永承の頃、西塔の僧が京に出た帰りに、東北院の北の大路で、子供たちにいじめられていた鳶を助けた。その帰り、藪から法師が出てきて先ほどの礼をしたいという。僧が霊山で釈迦の説法を聞きたいと望むと、法師は下松の上の山に僧を連れて行き、ここで説法の声が聞こえるまで目を閉じて待てという。ただ、信心を起こしてはならないと告げた。その通りにしていると、説法の声が聞こえてきたので目を開いたら、紛れもなくそこは霊山で、釈迦を中心に菩薩衆などがいた。おもわず手を合わせたら、山が鳴動して草深い山になった。
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カマジゾウ
2001年 愛知県
昔根高に安兵衛と妻のおそで、子の安丸がいた。安丸は病身のおそでのため地蔵菩薩に毎日お参りしていたがおそでは死んでしまう。安丸は親なし子といじめられるが、ある日通りかかった旅の僧が子供達を叱り、安丸に木作りの地蔵を与える。安兵衛は再婚し、ある日安丸は継母に釜で煮殺されそうになるが、地蔵尊が身代りとなる。継母は改心し、以後地蔵を祀った。
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ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
有明山のふもとに住む弥左衛門は息子の弥助が幼いうちに八面大王という鬼にさらわれた。立派に成長した弥助はあるとき大きな山鳥を助けた。それから3日して弥助は美しい娘を娶った。そのうちまた八面大王が暴れ始めた。坂上田村麻呂が観音堂で祈ったところ、特定の山鳥の尾を矢にするよう言われた。その話を聞いた弥助は悩んだが、嫁がそれを持ってきた。嫁は山鳥の化身であり、その後姿を消した。その矢で八面大王は退治された。
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ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ
1983年 愛媛県
柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
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チュウホウソンジャ,テング
1935年 群馬県
龍華院弥勒寺(迦葉山)で、900年ほど前に中興の天巽禅師に師事した中峰という神童がいた。天巽が大法を大盛禅師に伝え、後に憂いがないのを見定めて、中峰は「我釈迦の化身にして既に権化の業を了せり自今上天して末世の衆生を抜苦興楽せしめん」といって両禅師に別れを告げ、案山が峰から昇天したという。当地の天狗面は中峰尊者をかたどったものという。
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ヒダマ,ヒジャマ
1977年 鹿児島県
天の神様がヒジャマ(火玉)に下界へ降りて家を焼いてくるように言った。ヒジャマは指定された家に来て甕壷に隠れて焼く機会をうかがっていたが、朝も晩も火に用心しているので焼けなかった。たまりかねたヒジャマは甕壷から出て、村人たちに頼んで小屋を焼いてもらい、その煙によって天に帰ることができた。
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ハクハツノロウジョ
1961年 山梨県
承応の頃、鴨狩寺、高前寺の亀外和尚の夜の説教に多くの人が集まった。すると、ご本尊の脇に白髪の老女が現れ、読経が終わると、自分は今畜生道へ髄在して大蛇となり、昼夜三熱に苦しんでいる、今宵は観世音のお告げにより、師が道徳無辺なのを知った。どうか、自分の苦悩を救ってくれ、それがかなえば、永く当山で火難を除き、世の衆生の産難を遁れさせようといって消えた。それに因んで子安観音を祀ったという。
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リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ
1976年 兵庫県
康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
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ヒシヌマノオウジョウジ
1956年 宮城県
慾深い男が小牛田の牛飼長者の話を聞き、旅僧が来たら泊めて牛になってもらい長者になろうと思っていた。そこへ旅僧が托鉢に来たので、無理矢理泊め、毎日部屋を覗いて牛になるのを待つ。ある朝、家中大声をあげて泣くのを聞きつけた僧が行ってみると件の男が牛になっていた。旅僧は法然上人の高弟金光上人だった。京に帰ってこの話をすると、「近くにいって説教してやれば真人間に戻るが、年老いて陸奥へ下るのも覚束ないから、わしの木像を刻むのでその前で代わりに説教するように」と命ぜられる。金光上人が木像を負ってもどり師の言うとおりにすると、額の角がもげて真人間に戻った。男は金光上人の弟子となり、屋敷を施入して往生寺という。
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チボチノイケ,タタリ
1987年 長野県
鳶ヶ岳の佐久側の尾根にある。明応年間(1492~1501)の頃,自成寺の建立に関わった杣の子が小僧として寺に住み込んでいたが,ある時殺されてちぼちの池に投げ込まれた。以後,その祟りでお寺や檀徒に災いが起こったという。その後,小田原最乗寺の俊庵麒英和尚がこの寺に住み着いてこの話を聞き,ちぼちの池の辺にたって金剛経を唱えると,池の底から「こんなありがたいお経を初めて聞いた。これで浮かばれる」という声が聞こえてきた。経の尊さによって化物の迷いが解けたのだという。以後災いは起こらなくなり,この寺を金剛山自成寺というようになった。
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タロウボウ,シンゼイ,オオテング
1974年 京都府
文徳天皇の時、太郎坊(真済)という僧は弘法大師に密教を受け、高雄の峯で修行していた。しかしいつの頃か、染殿后を見た真済は心迷って死んだ。その執心は青い鬼となって染殿后を驚かし、最後には大天狗になったという。その山は軍を守り、火の難から逃してくれるので、皆が崇拝した。
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