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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ツブ
1961年 熊本県
爺が正月が明日にせまった日山へ餅杵を切りに行った。帰りに「餅杵は切ったが餅やなんでつこうやら」と独り言を言うと、「米でさい、米でさい」というものがある。それは田の中にいた小さい田螺の声であった。爺は「おお、みそか田螺」といってふところに入れて帰った。

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サイノカミ
1964年 福島県
さいの神の火で焼いた餅を食べると、腹やみしない。
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モチ
1987年 長野県
与良のある家で暮に餅をついていたとき,合取りの人を誤って杵でつき殺してしまった。以来,暮に餅をつくと餅が血のように赤くなるというので,正月になってからつく事になっている。
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カッパ
1971年 茨城県
1965年頃までは、12月1日には思案餅もしくはカピタリ餅、カワッペリ餅と呼ぶ餅をついていた。うるち米は丸餅に、餅米はのし餅にして切り分け、焼いて食べたり、屋敷を出て最初に渡る橋まで行って、河童にやるといって橋の下に投げたりした。
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モチゴメ
1989年 長野県
昔、ある家で正月の餅米をふかしていたとき、召使いの女性が居眠りをしていた。怒った主人は彼女を火の中に投げ込んで死なせた。以来、餅米をふかすと真っ赤になるので、餅がつけなくなったという。
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カネクズ,クソクズ,イシガメ
1934年 大分県
昔々、好い爺様と婆様がいた。正月の餅をつこうと思ったが米がない。そのとき、1匹の物を言う金くづ(くづは石亀のこと)がいて、庄屋さんにこれを見せ、褒美に餅米をもらった。隣の悪い爺様がこれを真似したところ糞くづは何も言わなかったので、悪い爺様は庄屋さんにぶち廻されて泣いて帰った。
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センニンネギ
1956年 宮城県
餅をつくときは、一人でつくよりも千本ギネといって、多くの杵と多くの人々の協力でついた餅のほうが目に見えぬ力が多いと信じられていた。
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ヤマノカミサマ,タノカミサマ
1982年 新潟県
2月16日には「山の神様が田の神様に下がる」といい、この日には餅をついて16個の丸餅を神棚へ供えるが、その餅をつく前に空臼を3度たたく。10月16日は「田の神様が山に上って山の神様となる」といって、春と同様十六餅をつき、その後空になった臼を3度たたき十六餅を神棚に供える。ここでは「空臼の杵音について下がる」「空臼の杵音について上る」という。
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ヤマジイ,ヤマンバ
1942年 高知県
高岡郡別府村澤渡のヤマヂイ(山爺)の話。昔、ある猟師が火にあたっていると、山爺が現れて餅がないか尋ねた。猟師は明日持ってくると言い、次の日、岩を火の下で焼いていた。山爺が現れ、大きな音の出し合いをした。山爺が叫ぶと岩や木が揺れ動いた。猟師は銃を撃って音を出した。山爺が餅を請うたので猟師は焼けた岩と燈油を口に入れた。山爺はひっくり返り帰って行った。追っていくと岩屋がありヤマンバが居て、山爺は蜘蛛になって仕返しをすると言う。翌日猟師は家に出た蜘蛛を火にくべてしまった。
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サギチョウノモチ
2000年 徳島県
正月15日の小正月に、正月飾りを燃やす左義長の火で、神に供えた小さい餅を焼き、家族で分け合う。この餅を食べると家族が健康であるという。この餅は左義長の餅という。
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タノカミ,カエル
1961年 茨城県
餅をついて田の神様にあげると、その餅をもって蛙をお供にしてもとの社へ帰る。
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ヤマンバ
1982年 京都府
1月15日の朝、山姥が谷川に餅を流すと言い伝えられている。山姥の餅を食うと体が丈夫になるという。山姥は14日に餅つきをする。山姥は松の臼と杵で餅を作るので、松の香がするという。
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ツブ
1961年 新潟県
菅谷の不動明王はかつて火災となったとき、たくさんの田螺が本尊にとりついて水を吹いたため、頭部だけが焼け残り現存しているという。以来眼病の人は田螺を供えて祈願すると効果ありとされる。また、2月初午の日に田螺を屋根に投げ越して魔除けとし、これを信仰するものや眼病を患うものは田螺を食べない風習がある。
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ウジガミ
1943年 静岡県
氏神が正月の餅を食って死んだので、氏子は正月の餅を食わない。
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コジキ
1984年 愛媛県
正月に餅を搗いていると、乞食がやってきて餅を所望したが、欲深の婆さんが「これは餅ではない白石だ」と言って断った。それ以来、餅を搗くとみな白石に化してしまうようになったので、土地の者は餅を搗かなくなった。
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カッパ,ウワバミ
1982年 長野県
餅と稲を共に流すことで無縁仏の供養とする。水の災難を防ぐため餅と米を流す風習もある。ウワバミが子供を食べようとしたが餅を持っていたので難を逃れた。川の事故を防ぐために餅を流すこともある。
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ツブ
1961年 滋賀県
出庭明神は田螺を使令とするため、氏子は田螺を畏れ敬い、触れたり食べたりすることをかたくつつしむ。この村の者が他村で田螺を煮た火と知らずたばこなどを吸えば、たちまち戦慄を生じ数日間病むという。また、耕作のとき田螺がいれば、ことわりをいって社地に移す。この村へ縁づいたものがこの相火のものを食い永病した実例もある。
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ヒル
1981年 和歌山県
弘法大師が回ってきて餅を乞うたが、そこの人は「餅をやるから口をあけろ」と言って弘法大師の口の中に火を投げ込んだ。以来そこでは正月に餅を搗くと蛭が出てくるといって、餅を搗かない。
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(ゾクシン)
1963年 愛媛県
初誕生の日には紅白の餅をつき、部落中に配るという。紅の餅を大きく、白の餅を小さく作る。男児の場合は餅と金槌を背負わせて箕の中を歩かせると力がつくという。女児の場合は餅とお金を背負わせて箕の中を歩かせ、その時に泣くと声が良くなるという。泣かない場合はシャモジでつつくとよいといわれている。
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ヤマンバ
1983年 愛媛県
正月に餅をついていると、毎年必ず山から汚い老婆が来て餅を拾うので、村人は餅つきの日を変えた。するとそれから不幸が続いたので、村人はあれは山姥に違いないと話し合った。
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イケノヌシ,ハクバ,(オサイトイウムスメ)
1978年 新潟県
雨が降らずに困っていたときに、おさいという若い娘をあげてもいいから雨を降らせてくれと池の主の龍に頼んだ。白馬と一緒に代かきをしていたおさいは、泥沼に沈んでしまった。それ以来、白馬を飼わないし、「おさい」という名前も付けないという。
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ソウシキ
1939年 長野県
葬式から帰ってきたときには、家の入り口に臼と杵を出しておく。杵で臼の中を二三回搗いてから、家に入るという。
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