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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

フドウミョウオウゾウ,ニョライ,ユメ
1932年 東京都
荘厳寺の不動明王像は、将門討伐の際に藤原秀郷が勝利を祈誓し、霊験を示した霊像である。幾多の戦乱を経て様々な武将に奪われ、遂には武蔵国多摩郡の三光院に移されたが、ある夜住職の夢に如来が現れ、霊像を荘厳寺に返すようお告げがあった。調べるとその通りだったので、盛大な法会を営んで返した。

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ムカデ
1982年 群馬県
舞木は藤原秀郷の生まれ里で、秀郷は赤城山のムカデを退治したので、舞木の人は赤城山に行ってはいけない。行くと変事がある。
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サンコウサマ,オンリョウ,タタリ
1984年 長野県
寺の弟子の三光が、父の薬代にと和尚のお金を盗もうとして小指を噛み切られた。捕らえられた三光は、牢獄に入った後に死刑にされた。その後何代も後になって天変地異が続いたので、三光の怨霊だということになり、三光の骨を拾って手厚く弔った。
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マサカド,カイイ
1976年 東京都
天慶年間、俵藤太秀郷が相馬の将門の首を持って、都に上る途中、将門の甲を持ってきたが、様々な怪異がおこったため、箱に収めて埋めた。そこを甲塚とも甲山ともいう。
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レイケン
1975年 東京都
武蔵国多摩郡芝崎村鎮守八幡宮の本地仏は弘法大師御作で霊験あらたかである。昔火事で堂守が消失した時尊像がどこかへ飛んでいった。宝永の頃堂を再建すると境内の松の根元が輝いているので掘るとそこから現れた。盗まれた時もある日突然帰ってきた。
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リュウ,ウロコ
1992年 栃木県
藤原秀郷が井戸を掘ったときに、竜宮から招いた竜の子孫であると言われる家があり、そこでは代々腋の下に鱗の生えた子供が生まれる。
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オツゲ
1973年 愛知県
篠島西方寺でみつかった「善光寺如来略縁起」によると、山本某が如来の御かげで病気の治癒後、剃髪して尊像を背負い諸国行脚で伊勢神宮に参拝した。其の夜「我は当国篠島へ至りて海士魚人を済度せん速やかに有縁の地に誘うべし」とお告げがあり尊像をこの寺に安置すると幾多の霊験を現じ給うた。
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メイドウ
1974年 奈良県
和州多武峰は藤原鎌足の霊廟だが、そこに納められた鎌足の霊像は、国家に凶事があると尊像が破裂するという。
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ハクジャ,リュウジン
1977年
藤原秀郷は延喜17年10月21日に白蛇を斬り、竜神が十種類の珍しい宝を与えたといわれる。
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ネコジゾウ
1934年 東京都
江戸牛込の人が、我が子のように可愛がっていた猫に死なれて悲しんでいると、夢に地蔵尊が現れて、自性院と言う寺の鑑秀上人に頼んで、法要を営み地蔵尊を建立せよと告げた。
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マサカド,タタリ
1995年 東京都
昭和十五年に大蔵省本庁に落雷した時には、それが将門塚付近であった為に、将門霊神の祟りということになり、慰霊祭が盛大に行われた。
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サンコウトリ
1959年 東京都
三光鳥などを捕えると火事になる。
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ヨウゲン
1977年 京都府
田原藤太の矢根が妙心寺にある。これは豊臣秀吉の子・棄君が生まれた時に蒲生氏郷が天正17年4月に献上したもので、彼の祖先である藤原秀郷が妖蚿を射殺したものである。
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ジゾウ
1977年 長野県
信州松本領のある郷に地蔵堂があった。だが80年ほど前に地蔵像がなくなってしまい、それから何年も経た後の享保3年8月15日に、地蔵大士の像がいづくともなく現れて元の壇上にあったという。
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ヨウカイ
1978年
秀郷が妖怪を射殺した箭鉾が代々伝わっている。
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レイ,ボウコン,オンネン
1975年
武蔵国多摩郡中野に陣取り、奸計により討死した平将頼の霊が戦場にとどまり人々に祟をなした。480年程の間怨念は残っていたが、延文の頃一遍上人の3代目真数坊が芝崎村に草庵をつくり供養した。後の神田橋日輪寺である。また将頼の兄将門を神にした。東国に祟をなした霊は将門ではなく将頼のようだ。
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カッパ
1976年 宮崎県
日向国で河童に足を掴まれた為に、その手を切り取って持ち帰ったところ、毎夜河童が現れ手を返してくれるように願った。返す代わりに妙薬の仕法を教わった。
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ダイジャ
1964年 福島県
田原藤太秀郷は平将門の愛妾桔梗の前と恋仲になり、影武者の見分け方を聞き出して将門を滅ぼした。桔梗の前は秀郷を恨み、生国伊達郡藤田村を訪ねたが、秀郷の行方はわからず、蛇身になって菅沼の主となった。人身御供をよこさないと村を泥海に変えるというので、村人は金を集めて娘を買いに行く。下総の周防という浪人が主君の年忌供養のために娘を売った。周防の耳にも人身御供の話が聞こえ、大蛇退治に出かけ、白鳥明神の神通のかぶら矢で大蛇を退治した。この噂を湯野村の阿部道学親子が聞き、武名を上げようと襲ってきたので返り討ちにした。周防は茂庭の領主となり、大蛇と阿部親子の首を祀ったのが三社権現。
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ニョライノタタリ
1975年 京都府
慶長元年、京都大仏方広寺の仏像が大地震で壊れた。その後信州善光寺から如来を請じてこの殿の本尊とした。この時、残暑が厳しかったが、にわかに飛雪が天に満ち、寒気が人を侵した。これは如来の祟りであるという。秀吉は8月18日に死ぬが、その前日に如来を善光寺に返した。
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カミナリサマ,(ゾクシン)
1915年 岩手県
雷様に悪口を言うと蹴り返されるといわれている。
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ダイジャ
1967年 福島県
菅沼平というところがあり、今は水が無くなり谷地になっている。承平年中、平将門の女弟がこの国に来たのだが、藤原秀郷のために嫉妬の恨みにより自害した。その魂は大蛇になり菅沼に住み、建久年中になり、人身御供をとるなどして村人を苦しめた。ところが白鳥大明神の霊験により大蛇を射殺することができた。大蛇を退治して帰ってきたところを来の原といっているが、今は北の原ともいっている。
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ネコ
1939年 岩手県
住職が寝ていると、飼い猫が住職の背丈を測る。猫は住職の身体が隠れる穴を掘っていて、そこに住職を殺して埋め、自分が化けて住職になろうとしていた。
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